数ヶ月前から、近くの公園のバスケットゴールに
朝練としてシュート練習に出かけている。
約50分、音楽を聴きながら、黙々とやるのだが
これはなかなか飽きずに面白い。
公園には、ゴールは全部で約10個あるのだけど
世間が冬休みだった頃は、学生グループの利用が多く
朝6時半に行っても、ほぼ満席、ということが良くあった。
先客がいると、なかなかゴールは空かない。
グループで来ている人たちは、そう簡単に疲れたり飽きたりしないので
ほぼ絶望的に使えない、ということが待っている。
それほど、人気のあるスポットと言えるのだと思う。
そんな中で、一ヶ所、ほぼ例外なく、空いている場所があった。
ゴールネットがほつれて、ほぼ取れかけているゴールだ。
バスケをやったことがある人ならば分かると思うけど
ゴールネットがほつれていると、ボールが変なところに行きやすくなる。
ほとんど取れかけていると、ほぼネットの役割を果たさないので
リングを通過したボールは、そのまま、地面に落ちて
あさっての方角に転がっていく。
そういうゴールなので、大体いつも、皆が敬遠をする。
だから空いているし、使えるわけだ。
こだわらなければ、まぁそれほど気にならない。
でも、できれば綺麗なゴールの方が良い。皆、そう思う。
自分はいつもそのゴールをめがけて行くわけなのだが、
その時、いつも、本心では、
「このゴールネット、早く元に戻らないかな」という思いと
「いや、でも、元に戻らない方が、自分がいつも使えるな」という思いが
ブレンドされたような気持ちになっていた。
ほんの小さな、社会課題ではある。
それが解決されないことで、利益を得ている自分がいる。
こういうことって、世の中にたくさんあるんだろうなぁ、と思う。
多くの人にとって、解決されるべき課題であるのに
ある特定の人にとっては、放って置いて欲しい課題である、ということ。
そんなことを思いながら、今日も公園に行くと、
そのゴールは綺麗なネットになっていた。そして、そこには先客がいた。
代わりに、別のところが空いていて、そこでシュート練習ができた。
春になり、日の出が早くなったせいか、そのゴールはしっかりと日に照らされていた。
シュート練習をしはじめて分かったけど、ある角度でシュートを打とうとすると、眩しい。
あぁ、なるほど、だから空いていたのか。
その時、ふと、また思った。
同じバスケットゴールだけど、社会課題の形が変わったんだな、と。
ゴールネットではなく、日の当たり方で、人はゴールを選ぶ。
それを気にしない人にとっては、日あたりの問題が解決されないことで、ゴールが選びやすくなる。
ただ、多くの人にとっては、避けたい社会課題なんだ、と。
シュート練習をしながら、こんなことを考えた日曜日の朝だった。
無心でいられた証拠かな、とか思う。
