新年度になり、目まぐるしく色々なことが動いている。
よくあることかもしれないけど、日中の色々なことに対応していると
気づいたら夕方とか、夜とかいうことになっていて
さて、今日やろうと思っていたことが、何も終わっていない、みたいなことがある。
自分はというと、ひどく疲れていて、クリアな頭で考えたり作業をしたりできなくなっていて
結局、完成度の低い作業を、ダラダラとやり、翌日に持ち越してしまう。
こういうサイクルを何度か繰り返していると、
やるべきことは朝イチでやるべきだな、と思う。
日中は、多少、頭を使わずに、「作業」として処理できるようなことのほうが
なにか進んだ気になれるし、前進している気になる。
だけど、定型化できていることであるので、
そこに「思いを込める」という行為が発生していないことに気づく。
定型化する、というプロセスの中で、「思いを込める」というステップは省略されているし
省略できるからこそ、定型化できる、とも言えるのかなと思う。
「思いを込める」のは、そう簡単に定型化できないように思う。
それぞれが特殊な形をしていて、捉えるのが難しかったり
理解をするのに、ひどく苦労することが多い。
であるがゆえに、そのこんがらかった紐をほどいて、捉えられるようにして
そのプロセス含めて、愛着が湧いてきて、こうあるべきという「思いを込める」プロセスになる。
そんな気がする。
一日の中に、「作業」と「思いを込める」時間の割合はどんなものだろう。
ほとんど「作業」になってしまっている自分に気づく。
疲労感と、何となく何かが前進しているような気持ちになるけど
肝心なことができていない。そんな感覚に陥る。
先日、とある人から、志を持って欲しい、という言葉を聞いた。
その言葉を聞いた一人一人が、どう感じたのか分からない。
自分は、なんだか、とても居心地の悪い気持ちになり、
穴があったら入りたいような気持ちになった。
志、という言葉を中心において、果たして日々過ごせているか。
答えははっきりしている。
だからこそ、居心地が悪く、隠れたい気持ちになったのだろう。
職場の中で、職歴を重ね、意思決定をしていく立場にある自分が
「作業」まみれになっていて良いものだろうか。
ぼちぼちと家に帰る道すがら、そんなことを考えた夜だった。
