昨年、12月に会社を設立させ沢山の課題と向き合い、もう少しでオープンの日を迎えられそうです。

 

そんな中、年を明けから新型コロナウイルスが世界で暴れまくっています。

 

最初の頃は呑気に大変やな~くらいにしか考えておりませんでしたが

だんだんと物が手に入らない現状、イベントの中止、過剰すぎる報道などにより、事の重大さが身にしみております。

 

ここでまず、僕が考えないといけないことが5つあって

 

1つ目は

①冒険をやめる

②冒険を前に進める

 

この2択です。

 

もちろん即答で②です。

 

2つ目は

思考をチャンスに切り替えることです。

 

3つ目は

この思考を従業員とシェアすることです。

 

4つ目は

全員でありとあらえる情報を収集することです。

 

想像力を豊にするため。

 

5つ目は

力を貯める

 

力=燃料だと考えてます。

燃料がないと会社は動きません(動いているように見えることもある)

僕の会社を動かす燃料はなにか?(とても重要)

燃料を減らすことは絶対にしてはいけない。

燃料を間違えると会社は潰れてしまいます(どんな電気製品でも潰れる)

今の僕の会社では燃料は不足しています。

今は全員で燃料を探し、コツコツ貯めることが重要だと考えてます。


 

6つ目は

燃料の使い道を考える

 

地域住民の方々の、笑顔の和が広がる装置に燃料を使う。

 

7つ目は

アクセルを踏む

 

ワクワクします。

全開?少しづつ?(その時考えよう)

おもしろい冒険になると思います。

 

こんな事を考える機会を与えてくれたコロナウイルスは悪いやつやけど、悪いことばかりじゃないな~と感じています。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくが本格的に企業へ向け活動を始めたのは昨年の9月頃でした。

なんせ自己資金ほぼ0円、担保0、保証人0のスタートだったので

融資を受けるため、福井商工会議所に相談に行きました。

事業計画書はすでに完成していたので、事業計画書を提出し僕の思いを熱く熱く伝えさせていただきました。

担当者様からの返答は10月から商工会議所で7回にわたり起業セミナーを開催するの一度参加してみませんか?という返答でした。

もちろん即答で参加します!でした。

セミナー当日の講義終了後に担当者様から開設場所はもう決まってますか?と質問され、決まっていないと融資は受けられませんよと言われました。

えーっ!まだ融資決まってないのに先に場所決めなあかんねや。

(本当に今から思うと、企業について全くの無知でした。)

慌てていくつもの不動産屋へ相談に行ったり、管理者のYさんにも相談し物件探しをはじめました。

7回目の講義が終わる日に担当の方に物件が見つかったことを伝えると、一度銀行さんと保証協会さんと面談してみませんか?とお誘いがありました。

よっしゃ~!

僕は完全に融資が受けられると勘違いしてました。

12月に入り面談を受けることになりました。

そこで保証協会さんの方から、

法人会社はもう設立してますか?従業員は決まってますか?見積書、注文書などの書類提出が必要なことや希望する金額は融資できないことなど沢山の要件を突きつけられました。

こんなことは融資の決定が出てからやと考えてたので全て後手後手に回り頭の中はパンク寸前でした。

ネットで合同会社の設立方法を調べたり、求人サイトでインディードやエンゲージを調べたりハローワークへ求人出したり、高額な設備備品の見積書や注文書を依頼したり、役所や他の機関へ書類の届け出に走り回リました。

 

そしてついに12月20日法務局へ設立の届け出をすませ、合同会社クレファスが誕生しました。

しかし、まだ融資の決定は決まっておらず、2月の最初(あれ?何日やったかな)の面談最終日まで結果は持ち越しとなっていたため会社ができた喜びに浸っている場合ではありませんでした。

 

その間は信用金庫さんと資金繰りの見直しを進め、融資額の調整を行ったり、職員さんの面接を行ったり、デイサービス開設指定申請書を提出したりと一歩づつ準備を進めて行きました。

 

*会社に8:30~17:30まで勤務しながで時間の大切さが身にしみました。

 

その時の心境はあ~もうあかん、よっしいける、あかん、いけるの繰り返しでした。

幸い信用金庫さんの職員さんや、建築やさん、倫理法人会Sさんお2人などのご協力もあり2月23日無事融資がおりました。

 

この時はまだ従業員は誰一人として決まっておらず(保証協会さんには職員の目処つきました!と勢いで言ってしまいました。)

不安を抱えながらも一人で「デイサービス稼働率100%おめでとう祝賀会」をワンルームの10畳足らずの小さな部屋で行いました。(予祝ですね)

 

そんなこんなで慌ただしい毎日を楽しんでおります。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

1999年春、無謀にも僕は騎手になるためオーストラリアに出発しました。

 

そうです、僕のひとり暮らしデビューは日本ではありませんでした。

最初の3ヶ月間はホームステイという決まりがあったのですが、3ヶ月を過ぎるとすぐにシェアルームを探し一人での生活が始まりました。

でも実際はホームシックにもかかり一人で泣いた夜も数え切れないほどありました。(まわりの親友には気づかれないようにしていたけど、、)

そして、よわ虫な僕は、レースに勝てなかったときの恐怖心や先の見えない未来から逃げ出したくて、色々な理由を探し出し、4年間で騎手を諦め2006年にオーストラリアでの生活にピリオドをつけました。

(あっ!その頃結婚もしてました。)

 

日本に帰ってきた頃、漠然と何か起業したいなという思いはありましたが、何かやりたいこともなく知り合いの整体の先生から柔道整復師の資格でも取ったら、という一言がきっかけで、バイトをしながら専門学校に通うことになりました。(3年間、両親や家族に迷惑のかけっぱなしでした)

無事3年で資格を取得し介護業界に就職しました。(まだ36歳でした)

最初にお世話になった大阪の介護施設には僕も含め、めちゃくちゃ熱量の高い同僚がたくさんいて、色々な影響を受け、その頃から企業への思いが強くなってきました。(とても感謝してます。)

親父が脳出血になった経緯もあり、脳卒中のリハビリの勉強をたくさんしました。(一時期は脳卒中のリハビリを専門とした治療院の開業も考えていました。)

そんなこんなで、色々な事情があり3年間お世話になった大阪の施設を退社し福井県へ移住しました。*詳しく知りた方は直接聞いてくださいね笑

そして3月末までお世話になった福井市の介護施設で、企業を決定づける出来事や出会いに巡り合うことになりました。

 

次回は令和元年12月20日合同会社クレファスの設立までを書かせて頂きます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

はじめまして、渡辺 秀和です。

令和元年12月20日に合同会社クレファスを設立しました。

 

今日から何日かにわたって、僕の自己紹介をしたいと思います。

 

最後までお付き合いください。

 

僕は昭和50年7月13日に大阪市西成区で4人家族の次男として産声を上げました。

 

僕の幼少期は人見知りが激しく家に誰か来ても母親の後ろに隠れていたそうです。

小学校3年生までは友達も少なく、いつも一人でした。

そして3年生のとき事件が起きました!

同じクラスの悪ガキ3人組が僕をいじめてきたのです。

僕はしばらく相手にしなかったのですが、1週間ほど続いたので「いつかしばいたろ」とタイミングを図ってました。

ある日、悪ガキ3人組が僕の消しゴムを奪ってキャッチボールを始め、他のクラスメートも笑い始め僕はブチギレてしまいました。

そして3人の中で一番調子に乗っていた子に向かっていき、押し倒して馬乗りになりました。

よっし、しばいたろ!と思った瞬間、その子がすでに泣いて、僕はびっくりしてしばくのを止めました。

(実はケンカは毎日1つ上の兄と本気のスパーリングをやっていたので得意でした。)

それからはイジメられることもなく少しずつ自分を出せるようになっていきました。

 

親父は自営業で彫刻(木工)の仕事をしており主に神社仏閣や岸和田のだんじりの制作等をしてました。

親父の性格は普段は無口でおとなしいのですが、お酒が入ると180度人格が変わる人で子供の頃は親父がお酒を飲んで帰ってくると、

兄貴と「逃げるぞ」!といって2階の子供部屋まで走り布団に潜り込んでいました。w

でも親父に怒られたり、殴られた記憶は一度もないです。

 

母親はよく、「あんたらだけに優しいんや!」と言っていった記憶があります。

母親はよく働く人でド真面目で僕の記憶では朝から晩まで働いているイメージしか残ってません。

子供の頃は1mほどの竹でできたものさしを持ってよく追いかけ回されました。

 

兄貴は1歳年上で常にケンカをしていた印象です。

一番の兄貴との思い出は、僕が中学生の時大切に集めていた漫画の本を兄貴が勝手に古本屋に売りに行ったことです。

兄貴に「今まで俺が本を集めた時間を一生かかってもええから償えよ!」と訳のわからいことを言って泣いてました。

 

こんな4人家族の次男坊として、両親に甘やかされ、兄貴にいじめられて幼少期、青年期を過ごして来ました。

次回は僕がはじめて両親の元を巣立ってからのお話で~す。

最後までお読み頂きありがとうございました。