ライブドア事件で、先日の産経新聞コラム「産経抄」に続き、スポーツ報知にも「光クラブ事件」に関する記事が掲載されたようだ
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1690972/detail
(上記アドレスは、ライブドア自身の事件特集にアップされているもの)

光クラブ社長室 記事では、ライブドアの堀江貴文容疑者と光クラブの山崎晃嗣とに「奇妙な符合」があると書き、その「光と影」を追っている


この中で、作家の江上剛は、二人は既存のシステムを拒否し「自分でやろう」としたことをまず指摘、さらに「常に新しいことを考えて膨らんでいった」こと、「合法と非合法スレスレのところで勝負」したことなどを挙げている


山崎は物価統制令違反で逮捕され、青酸カリ自殺しているが、江上は「時代の寵児は一瞬光り、“死”というもので完結した」と表現する

※写真は山崎が自殺した光クラブ社長室 机の上の写真が山崎か?

この写真は下記より引用

http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage214.htm


当然のことながら、三島由紀夫青の時代」、高木彬光白昼の死角」についても触れ、三島も高木も「その壮絶な人生に魅せられた」としている。


江上は「自殺したから小説にしたんだと思う。そこには美しさがあった」と言っているが、たしかに「死」という劇的な最後があったからこそ、山崎と光クラブ事件は我々に深い印象を残す


ひるがえってライブドア事件について、ありていに言えば、我々は今、事件そのものの行方もさることながら、塀の中にいるホリエモンの行く末に何らかのドラマを期待しているのではないか


若くして大金持ちに成り上がったホリエモンがこれからどのような「転落の詩集」を編んでいくのか、あるいはどれほど見事な復活劇を見せるのか、不謹慎ながら興味本位で見ようとしている私自身がいることを正直に告白しなければなるまい


ただ、ホリエモン劇場は、間違っても小説になるような「美しさ」で大団円を迎えるとは思えない


※先日のホリエモンに関するブログ記事<ライブドア事件1>

http://ameblo.jp/up-down-go-go/entry-10008128038.html


●(以下引用)………………………………………………………………

ライブドアと奇妙な符合 光クラブ 1949年摘発されたヤミ金融
 証券取引法違反容疑で逮捕されたライブドア前社長・堀江貴文容疑者(33)は依然、否認を続けいているが、今回の逮捕で、あるひとつの事件に注目が集まった。「光クラブ事件」―。1949年に摘発された戦後初の金融犯罪だ。事件の舞台となった金融会社「光クラブ」を設立した山崎晃嗣は東大出身。「人生は劇場」などと刺激的な言葉で世間を騒がせてきた点など、堀江容疑者との共通点は多い。時代の寵児(ちょうじ)といわれた両者の“光と影”を追ってみた。

時代は巡る?若者に大きな影響与えたカリスマ

 戦後、金詰まりの風が吹きあれる中、山崎は1948年ヤミ金融「光クラブ」を設立した。当時、東大法学部に在籍。数か月で時代の最先端にあった銀座に進出した。東大在学中に「オン・ザ・エッヂ」を設立、最終的に六本木ヒルズに拠を構えた堀江容疑者。アプレゲール(戦後)の申し子的存在の山崎と、第2の敗戦と呼ばれたバブル崩壊後から頭角を現わしてきたホリエモン。両者には奇妙なほど共通点が多い。

 金融業界に詳しく経済小説を数多く手がける作家の江上剛氏は次のように分析する。「東大を卒業して官僚になるよりも、自ら会社を起こすことを選んだ。既存のシステムに入るよりは『自分でやろう』とする生き方は似ている。2人とも若者に大きな影響を与えた」

 創業から10年余りで、ライブドアグループを時価総額1兆円を超える企業にまで育て上げた堀江容疑者。山崎の「光クラブ」も高い配当で投資家を募り、集めた金を高利で貸し付ける手法で急成長する。大規模な新聞広告や刺激的なキャッチコピーなど、その宣伝手法も注目された。「常に新しいことを考えて、光クラブは膨らんでいった」(江上氏)

 また両者とも合法と非合法スレスレのところで勝負していることを豪語。「モラル、正義の実存は否定している」(山崎)、「人の心はお金で買える」(堀江容疑者)など世間の良識を逆なでする発言で社会を挑発し続けた。

 銀座にも進出し絶頂をむかえていた光クラブ。山崎も愛人8人を囲い込むなどノリノリ状態だった。タレントや女子アナと合コンを繰り返してきた堀江容疑者と“女性関係”にまで類似点はある。

 だが、その派手な振る舞いが警察の目に留まり、山崎は物統令違反で逮捕される。そのまま光クラブの経営は行き詰まった。49年11月25日「死体は肥料にしてください」との言葉を残し、27歳の山崎は青酸カリで服毒自殺。社会に大きな衝撃を与えた。「世の中を騒がせて、パッと散った。時代の寵児は一瞬光り、“死”というもので完結した」(江上氏)

 その後、山崎をモデルにした小説が登場した。三島由紀夫の「青の時代」や高木彬光の「白昼の死角」など、作家たちもその壮絶な人生に魅せられた。「自殺したから小説にしたんだと思う。そこには美しさがあった」(江上氏)

 依然、容疑を否認しているとされる堀江容疑者。山崎も取り調べに対し得意の法律論で対抗した。江上氏は2人の相違点をこう指摘した。「(堀江容疑者には)“時代の寵児”のような美しさはないかもしれない。最近の報道を見ていると、(堀江容疑者が)やってきたことは豊田商事の事件のように見えるんです」

2006年02月06日12時15分 スポーツ報知

小川洋子の「博士の愛した数式」の新潮文庫版が100万部を突破し、大ベストセラーになっている
発売後2ヶ月の1月30日現在で、104万部という快挙、映画の方も好調のようだ
http://www.sankei.co.jp/news/060130/bun093.htm

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世にも美しい数学入門 ネットで調べているうち、著者の小川と、小川が数学について教えを請うた数学者の藤原正行(文庫版の解説者)との対談集「世にも美しい数学入門」(ちくまプリマー新書)という本を見つけ、早速買って読んでみた


この本のなかで藤原は、数学というものは「実用にすぐ役立たない」「無益なもの」だと、まず「定義」している
だが、藤原は「数学には美がある」という


それを受けて小川は「(数学という)永遠の真理の美しさというのは、どんな文学でもどんな詩の一行でも表現できない」と語る


そして26年も初恋の人を思い続けた天才数学者の話やら、「博士の愛した数式」に出てきた「友愛数」や江夏の「完全数」の話、「フェルマー予想」と日本人の役割や「素数」を巡る「美」と「混沌」の定理、円と無関係に登場する「円周率(Π)」の話、それに数学は不完全だという「不完全性定理」の話などが次々と展開される


二人の丁々発止のやりとりが「面白い」、ではないな、そうこんな表現がいい、「素敵」なのだ
この本は、「美的感受性」を持った数学者と、感性豊かな作家が織り成した「知の結晶」のような「きらめき」を持つ


藤原言う
はたして人間は金儲けに成功し、健康で、安全で裕福な生活を送るだけで『この世に生まれてきてよかった』と心から思えるだろうか」と


『生まれてきてよかった』と感じさせるものは美や感動をおいて他にないだろう」と続け「数学や文学や芸術はそれらを与えてくれ」「もっとも本質的に人類に役立っている」と結論する


藤原のような考えは、青くさいなあ、とも思う

今の私にとって金はすごく大事だし、「金儲け」もしたい
「健康で、安全で裕福な生活」だって何より大切だ


だが、それだけが人生のすべてではない
このブログにしたって、金にもならないし、夜中にこうしてパソコンに向かって疲れるけれど、今のこの瞬間が楽しいし、充実している
生まれてきてよかった」と思う


本が好きな私には、やはりこうした時間が他の何物にも替えがたい

数学はちょと苦手だが、すくなくとも文学や芸術は私に「美」と「感動」を与えてくれる「本質的」に必要なものなのだ


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先日、「博士の愛した数式」について書いた感想は、この小説における数学の存在の大きさ、重さにあまり触れていないので、ちょっとピンぼけだったようだ
http://ameblo.jp/up-down-go-go/entry-10008463477.html


藤原は「世にも美しい数学入門」の方で、数学の魅力を「解けたときのよろこび」としているが、「博士の愛した数式」の中にも、1から10までの数を効率的に計算する方法を発見した時の「私」のこんな描写がある


その時、生まれて初めて経験する、ある不思議な瞬間が訪れた。無残に踏み荒らされた砂漠に、一陣の風が吹きぬけ、目の前に一本の真っさらな道が現れた。道の先には光がともり、私を導いていた。その中へ踏み込み、身体を浸してみないではいられない気持ちにさせる光だった。今自分は、閃きという名の祝福を受けているのだと分かった


小川洋子さん、素敵です

宴のあと ■1■三島由紀夫の「宴のあと」の主題は、新潮文庫の巻末解説で西尾幹二がいみじくも述べているように「『知識人』の空想的な理想より、『民衆』の生命力に富む現実感覚の方がより政治的であった、という皮肉の表現」であることに間違いないだろう

作品中の『知識人』とは、元外相でその後革新政党から都知事選に立候補した「野口雄賢」、『民衆』とは、料亭・雪後庵の女将「福沢かづ」である


「野口」は書物の世界だけで生きてきた<観念>的人間の象徴であり、「かづ」は無学ながら水商売の世界でたくましく生き抜いてきた<現実>派人間の象徴といえる


「野口」は、たしかに戦前、日本の政治の中枢にいたが、それは彼の知力だけでその地位を得ていただけで、およそ泥臭い政治の世界には不向きの人間だ


しかし、「かづ」は彼女が生きてきた料亭で繰り広げられる「(政治家たちの)冗談、陽気なやりとり、女たちの笑い声、床の間に焚いた名香の薫り…」に「政治の肌の温もり」を「五感」で感じることができた、いわば政治向きの人間である


■2■この小説は、いわばそうした<観念>的人間と<現実>派人間との闘いを描いた作品であるといえる

当初、<現実>派の「かづ」は、死して永遠の孤独のまま無縁仏になるよりも、愛する人の墓に供に入りたいがために、<観念>派の野口に接近し、夫婦としての契りを結んで「安住の地」を得ることができた(と錯覚した)


しかし、「野口」が落選したことが、彼女の「民衆」としてのプライドを傷つけた
保守党に負けたのはすべて「金」によるものだと悟った「かづ」は、「金」でその意趣返しをしようとする

いったんは手放そうとした彼女の「城」・雪後庵を、保守派の黒幕の力を借りて「金」を集め、買い戻す


「野口」は彼女の「裏切り」に怒り、夫婦は離婚する
「野口」は「空虚」の中に老後を生きようとするが、「かづ」にはそれができない


その心情を表す三島のこんな表現が巧みだ
空虚に比べたら、充実した悲惨な境涯のほうがいい。真空に比べたら、身を引き裂く北風のほうがずっといい


■3■三島は最終章をユーモア(?)たっぷりに「宴の前」と題し、「かず」に勝利の花束を手向ける
「革新派の政治ゴロである山崎というニヒリスト」(西尾の表現!)さえ、「かづ」の味方である


最後の山崎の手紙がいい
あなたはやはり暖かい血と人間らしい活力へ還って行かれるべきでしたろうし、野口氏も高潔な理想と美しい正義へ還って行かれるべきでしょう


すべては所を得、すべての鳥は塒(ねぐら)に還ったのです


そして雪後庵再開の宴に「喜んで出席させていただきます」という手紙の末尾は、<現実>派人間「かづ」に贈る最高の祝辞であるかのようだ


■4■もともと三島は<観念>的人間の側に属しており、<現実>派人間に対して憧れすら抱いたように思う

この小説は、そんな三島の<現実>派人間への嫉妬を、逆説的に表現したものではないだろうか


彼が<観念>的人間からの脱皮を図り、ボディビルで肉体改造をしたり、スポーツで体を鍛えたりするのも、ちょうどこの小説が書かれたころと一致する


その後、三島は単に<現実>派人間への嫉妬にとどまらず、<現実>の中で<行動>する作家にならんとする


その意味で「宴のあと」は、三島にとっても大きな転換点になった小説だと思う

モウツァルト ■1■「モオツァルトの哀しさは疾走する。涙は追いつけない

小林秀雄の「モオツァルト」の中で、最も好きなフレーズである
彼は続ける

涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた『かなし』という言葉の様にかなしい


天才・モーツアルトの曲に「哀しさ」を聞いた天才・小林は、一気にそれを万葉の歌人の「かなし」に力業で通じさせてしまう
西洋の古典音楽から受けた感情を日本の伝統に生きる感情と結びつけてしまうのだ


初めて、この部分を読んだとき、私はなす術もなく、小林マジックに酔いしれた
小林は「モオツァルトの音楽に独特な、あの唐突に見えていかにも自然な転調」と書いているが、この「モオツァルトの音楽」を「小林の文章」と置き換えれば、そのマジックの所以がよくわかるだろう


■2■小林は、「偽物」を嫌う
常に「本物」を志向し、「偽物」はバッサリ切った
真贋」という文章には、良寛の掛軸が「偽物」であることを吉野秀雄に指摘され、「糞ッ、いまいましい」とばかりに一文字助光の名刀で「縦横十文字にバラバラにして了った」というエピソードが冒頭に出てくるくらいだ


対象にグサッと手を入れ、心臓をわしづかみにして、その本質が「本物」であるかどうかを確かめる


乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時」、まさに天啓のように頭の中に「鳴った」交響曲40番に、彼は「本物」を実感した


モーツァルトの曲は「いつも生まれたばかりの姿」で現れ、「絶対的な新鮮性というもの」で彼を驚かすのだ
それは「切れ味のいい鋼鉄のように撓(しな)やか」であり、小林はそうしたモオツァルトを評価する


■3■問題は、「モオツァルト」が発表されたのが終戦直後の昭和21年ということである
巻末の江藤淳の解説によれば、小林はそれまで満2ヵ年の間、「全くなにひとつ書かずにすごし」ている


小林は戦時中は「当麻」「徒然草」「無常という事」「西行」「実朝」「平家物語」など「かなしさ」とか「はかなさ」「無常感」などをテーマにした作品を書いている
そして「モオツァルト」以後、今度は「鉄斎」「光悦と宗達」「雪舟」「偶像崇拝」「真贋」など、一連の骨董ものに「転調」しているのだ


この間、小林の内部に何があったのか
戦後、小林が「新日本文学会」から、戦争責任者に指名され、「利口な奴はたんと反省するがよい。私は馬鹿だから反省なぞしない」と言ったのは有名な話である


小林は、おそらく自らを「モオツァルト」になぞらえていたのではないか
世間の風評に動ぜず、自身の価値観にのみ基づいて自由奔放に生きた「モオツァルト」自身に


小林は「(疾走するモーツアルトは)悲しんではいない。ただ孤独なだけだ」と書いた
そこに天才・小林の孤高の「哀しさ」が見えるような気がする


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★モーツァルトは1月27日が生誕250年で、故国オーストリアでは「モーツァルト年」としてさまざまな記念行事が行われ、日本でも同様に行事があるという
NHKでもモーツァルトの連続演奏会が放映される

博士の ■1■不覚にも涙が出てしまった

この作品、小川洋子博士の愛した数式」(第1回「本屋大賞」)を読み進むうちにである
なぜなら、ここには人間のやさしさがたくさんつまっていたからだ


そのやさしさとは「察し」と「思いやり」である
相手を傷つけないように五感を働かせて「察し」、相手の立場を「思いやり」ながら接していく
繊細な日本人ならではのコミュニケーションの方法である


博士の…映画 たとえばこんな場面がある

交通事故で脳に損傷を受け、80分しか記憶が持たない老数学者の「博士」は、過去の記憶もある時点て止まっており、江夏が今でも縦縞のユニフォームで活躍していると思い込んでいる

家政婦の「私」は、「博士」から「ルート」と呼ばれる10歳の息子と、江夏については嘘をつき通そうと約束している


「博士」はラジオの阪神戦の中継で先発が江夏でないことを知り、「ルート」に江夏の次の先発はいつか尋ねる

すると「ルート」はこう答えるのだ
ローテーションからいくと、もう少し先だね


なんというやさしい嘘だろう
母親の「私」も、息子が「これほど大人びて振る舞えるとは」と驚く


★写真は映画「博士の愛した数式」紹介HPより引用

http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=5370


■2■あるいはまた、「博士」が素数について何度も何度も同じ話を繰り返すのにも、二人は決して「その話はもう聞きました」とは言わない

「たとえどんなに聞き飽きていても、誠意を持って耳を傾ける努力をした」のだ


それは「幼稚な私たちを数論学者のように扱ってくれる博士の努力」に「報いる必要があった」し、「何より彼を混乱させたくなかった」からだった


一方、「博士」もまた、「私」と「ルート」に出した数学の難問!を見事なひらめきで解いたことを、「たとえフェルマーの定理を証明した人でさえ、これほどの称賛は受けられないだろう」と思われるような「力強く、温かい拍手」をし、「すばらしい。なんて美しい式なんだ」と言って、「ルート」を抱きしめるのだ


■3■小川洋子はこの作品で、それぞれ孤独と寂しさを持ち合わせた「博士」と「私」と「ルート」の3人が、互いに思いやりながら、まるで本当の家族のように心を寄せ合っていく様を描いている

それは、まるで春の日向のぬくもりのようにじわじわっと染み入ってくる、とても心地のよいものだ


おそらく、愛というものは、常に相手の立場を思うことであり、相手を大切にするという気持ちから生まれるのではないだろうか


最後、「ルート」が成長し数学の先生になることを、二人が「博士」に報告する時、「博士」に静かな死が訪れる


しかし、作者は決してその様子をリアルには描かない
プレゼントした江夏の野球カードが「博士」の胸元で揺れることでそれは暗示される


最後の最後まで「察し」と「思いやり」に満ちた作品である


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日本人らしさの再発見 蛇足ながら、「察し」と「思いやり」については、じつは日本文化論などではおなじみで、「日本文化は『察し』と『思いやり』のコミュニケーション」として、いわば「定説」化している


社会学専攻だった学生時代、そのころ読んだ土居健郎の「甘えの構造」の中に書かれていたと思っていたが、今回、ネットで調べてみたら、浜口恵俊の「『日本らしさ』の再発見」(現在・講談社学術文庫)に書かれていたことがわかった

この本を読んだ記憶がないので、なぜ「察し」と「思いやり」について覚えていたのかわからない


Amazonの内容紹介によると、この本は「日本人自らの立場から考え出された『間人(かんじん)』という概念によって、従来の『個人』中心の人間モデルによる分析の不備をつき、新しい主体的日本人像」が描かれており、「察し」と「思いやり」も「間人」的日本人を特徴付けるものだという


最近、この手の本をほとんど読まなくなったので、機会があればじっくり読みたいと思う


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博士の愛した数式」では、「数学」が非常に大きな柱になっている


「友愛数」「完全数」「双子素数」「虚数」「三角数」「対数」「オイラーの公式」などなど…「私」は時に一人で、時に「ルート」とともに、頭をひねり、その謎を解き明かしていく


無味乾燥と思われがちな「数学」が、実は深いドラマを持ち、人間の感情世界を豊かにしていくものであることを教えてくれる


巻末に、小川が小説を執筆する上で教えを請うたという数学者の藤原正彦氏が、「小川さんはこの作品で、数学と文学を結婚させた」と評しているが、けだし名言であろう


これまでの日本の小説になかった分野を切り開いたという点でもこの作品は特筆すべきものであろう

■1■「金閣寺」には、「私」を巡る二人の重要人物が出てくる

同じ金閣寺の修行僧である「鶴川」と、大谷大学の同級生「柏木」だ


「鶴川」は「私」の良き理解者であり、親しい友人である
彼は「私」の吃音を決してからかおうとしない
それどころか、「えもいわれぬやさしい微笑をうかべ」て、「だって僕、そんなことちっとも気にならない性質(たち)なんだよ」と語るのである
「私」が「陰画」とするなら、彼は「陽画」であり、「私」と「明るい世界をつなぐ一縷の糸」でもあった


一方、「柏木」には、内翻足(両脚の奇形)の障害があるが、彼は障害を否定的にはとらえず、「私」に「吃れ!吃れ!」とけしかけ、鼓舞するような男だ
障害を「武器」にさえして、「飛び切りの美人」を何人も支配する
「私」に「裏側から人生に達する暗い抜け道をはじめて教えてくれた友」であり、「鶴川」とは対照的な存在として描かれる


三島由紀夫とは ■2■橋本治は「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」の「『豊穣の海』論」の中で、「『金閣寺』の二人」という章を設け、「私」とこの二人の友人との関係について書いている


橋本によれば、「鶴川」は「三島由紀夫の作品の中では珍しい。『幸福』担当する美青年」であり、吃音障害に悩む「私」を「救済する


また、「柏木」の方は、「醜悪なる認識者にして行動者」であり、「孤独を救済する美」として金閣寺を求める「私」を「嗤う」のである
橋本は、「私」の金閣放火を、「柏木」に嗤われた「私」がその「中途半端な自分から自立するために」たどりついた結論だとしている


いずれにせよ、「鶴川」と「柏木」は、「私」にとって大きな影響を与えた人物であることに変わりない


ただ、橋本は触れてはいないが、当初、「私」にとって救済者だった「鶴川」がその後、自殺していた事実に注意しなければならない


しかも、「柏木」と「私」との「交遊を非難」していた「鶴川」が実は「柏木」と親密であり、「柏木」は「鶴川」の自殺を知りながら、3年間も「私」に隠していたのだ

そして鋭い「柏木」は「私」に「君は破壊的なことをたくらんでいるな」と、まるで金閣放火を予知したかのような言動をしているのである


「私」を巡る2人の友人の複雑な関係が、この作品をより深い人間ドラマにしているような気がする


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「柏木」という男について、ネットで非常に興味深い文章を見つけた

愛知和男代議士政策担当補佐の櫻田淳氏が(財)日本障害者リハビリテーション協会発行「ノーマライゼーション 障害者の福祉」1996年4月号に書いている「文学にみる障害者像」がそれだ(http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n177/n177_041.htm


櫻田氏は「柏木の姿に、障害を持っているが故の真面目さと、その真面目さが生む人間としての下劣さを見た」とし、その存在に「強烈な印象を受け」たという


ただ、「柏木」がその障害を「唯一の道具」であると思い込んでしまった部分に「柏木の中に、障害を持つ人々が障害者の立場でしか自らを説明することができないことの淋しさを感じ始めていた」と書いている


翻って、櫻田氏は、三島由紀夫が「柏木が持つ人間としての欲望、下劣さというものに眼を背けていない」ことに「敬服の想いを禁じ得ない」と、高く評価している


「人間の持つ赤裸々の欲望といったものとは、無縁に存在しているかのように描かれていた」戦後の文学における「障害者像」を、三島は打ち破った
障害を持とうと持つまいと、人間が人間である限りは、高貴な部分も下劣な部分も併せ持っている」という人間の本性を、三島のあの鋭い目はしっかりと見据えていたのだと思う

■1■三島由紀夫金閣寺」で、いわばクライマックスともいえる部分が、金閣に火を放った「私」が最上階の三層にある「究竟頂」に上がって、その扉を開けようとしたところである

「私」は「誰かが究竟頂の内部からあけてくれるような気がして」「力の限り叩いた」のだが開かない
「手では足りなくなって、じかに体をぶつけた」がそれでも開かなかったのだ


「私」は当初、「究竟頂」に「自分の死場所」を夢見ていた
「この小部屋には隈なく金箔が張りつめられている筈」であり、その「眩い小部屋に憧れていた」のである
「ともかく」「その金色の部屋に達すればいい…」と


しかし、扉は開くことはなかった
「究竟頂」は「私」を拒否したのだ


KAWADE三島由紀夫 ■2■この点について、昨年の憂国忌に合わせ河出書房新社から発行されたばかりの「KAWADE夢ムック・総特集『三島由紀夫』」の中で、松本徹が「『金閣寺』の独創」という評論で触れている


彼によれば、吃音者の「私」は「自分の思うことを自由に言葉にできず、孤立した生き方をやむを得なくされて」きた
性的関係を結ぼうとした女たちにも軽蔑され、「俗」の部分を持ち合わせた老師との関係もうまく取り結べず、「孤独へと深く落ち込んで」「抜け出そうと足掻きつづけて」いたのだ


三島は「そのような在り方へ絶えず突きやる象徴」として「金閣」を捉え、「孤独に釘付けにされた」主人公に「金閣そのものを破壊」させ「消滅させようとした」のだという


だが、「私」を孤独化させた「金閣」は、一方で恋焦がれた「究極の美」でもあった
この悩ましいアンビバレンツな存在、「金閣」


松本は「美」の持つ冷厳な真実をこう書く
美しいものは、ひとの心を激しく惹きつけるが、決して一体化を許さない


だからこそ「究竟頂」は、最後の最後まで「一体化」を拒んだのであろう


■3■問題は、その後の「私」である


ある瞬間、拒まれているという確実な意識が私に生まれたとき、私はためらわなかった。身を翻して階を駆け下りた」のだ


このあきらめの早さはなんだろう
あれほど憧れた金閣なのに、「私」は「自らどこへ行くとも知らずに、韋駄天のように駈けたのである


これは三島の性格によるものなのだろうか
自らを武士(もののふ)になぞらえ、常に「完全なる男性」を目指した三島だけに、ひとつのものに執着する女々しさを嫌ったのだろうか


「金閣寺」では、同様なことで、実はもうひとつ奇異に思ったことがある


最後の場面、「私」が左大文字山の頂で「膝を組んで」、燃える金閣を「永いこと」眺め下ろしたあと…
煙草を喫んで」「一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った」のである


実際の事件では、放火僧はここで大量の睡眠薬を飲み、自殺を図り、数日後に病院で死んでいるのだ
なぜ、三島が「私」を生かそうとしたのか
この時点での三島は(「金閣寺」が書かれたのは昭和31年)、作品を「死」で完結させたくない理由があったのだろうか


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総特集『三島由紀夫』に、あの秀逸な桐野夏生論を書いた精神科医の斎藤環が「逆説の同心円」という論文を載せ、「私」を拒否した「究竟頂」に「三島の夢想した天皇制を重ね合わせてみることは、比較的容易なことだ」と、非常に興味深いことを書いていた


斎藤は、金閣を「空虚な表象物」であり「美のイデア」であるとする
究竟頂」は、その金閣の「さらなる中心」であり、この関係は天皇制(=金閣)、天皇(=究竟頂)の関係になぞらえることができるという


三島は「恋愛の対象」である昭和天皇、その人に近づこうとして、拒否されたという解釈なのだろう


斎藤が論文の中でも触れている「などてすめろぎは人間になりたまいし」の「英霊の声」が発表されたのは、昭和41年
「金閣寺」から10年後である


私自身は、斎藤の断定はいささか性急すぎると思うが、「金閣寺」の「究竟頂」のエピソードが、後年の三島の対天皇に繋がる思いの萌芽であることは間違いないと思う

金閣寺 ■1■三島由紀夫金閣寺」は、修行僧の金閣に対するファナティックとも言える異常な愛を描いた作品である


だが、彼の愛する金閣は「現実」の金閣そのものではない
もともと、彼が父から金色に輝く金閣の美しさについて聞かされ、心の中であたためてきたいわば幻想の金閣に対する愛である


現に、彼が金閣寺の修行僧になるべく、父に連れられ初めて金閣寺を訪れ、金閣の威容を見た時には「何の感動も起こらなかった」
それは古い黒ずんだ小っぽけな三階建てにすぎなかった」のだ


しかし、現実の金閣を見たことが、彼の心の中の金閣への「妄想」を一層激しくさせるきっかけとなった
戦争が始まり、金閣が空襲で焼けるのではないかという危険を感じた時、彼は金閣とともに焼き亡ぼされることを夢み、その考えに酔いしれるのである


異常なまでの愛は、それと裏腹に激しい憎しみを生む


彼は「憎しみというのではないが」と断りながらも、金閣と自分が「決して相容れない事態がいつか来るにちがいない」ことを予感するのだ


金閣を一時、出奔した彼は「私のあらゆる不幸と暗い思想の源泉、私のあらゆる醜さと力との源泉」である「裏日本」の海を見て、突然、「残虐な想念」に包まれる
金閣を焼かねばならぬ


これに到る修行僧の心理描写には鬼気迫るものがあるが、この作品のなかで、私が何よりも圧倒されたのは、放火直前、彼が「別れを告げるつもりで」眺めた金閣の美の描写である


■2」■彼の目の前にある金閣は雨夜の暗黒のうちに沈んでいる
しかし、彼は「思い出の力で」、金閣の「美の細部がひとつひとつ闇の中からきらめき出し」、「ついには昼とも夜ともつかぬふしぎな光の下に」浮かび上がる


自ら発する光で透明になった金閣」を想像するがよい


三島がその金閣を細部にわたって描く荘厳な美の極致は、いまここでその文章を抜き出して書くことすらおこがましく感じる


方水院と観音洞の二層が「一対のよく似た快楽の記念」のように重なり、「上下からやさしくたしかめ合い、そのために夢は現実になり、快楽は建築になった」というこの快楽の美の描写はどうだ


第三層の究竟頂の俄かにすぼまった形が戴かれていることで、一度確かめられた現実は崩壊して、あの暗いきらびやかな時代の、高邁な哲学に統括され、それに屈服するにいたるのである」という知的な美の描写はどうだ


そして柿葺の屋根の頂高く、金銅の鳳凰が無明の長夜に接している


おこがましさを承知で、こうして抜書きしているだけで、私自身が、三島の描く美の世界に共振し、大げさに言えば、感動で打ち震えるのだ


さらに、三島の描写は続く

池に張り出した漱清の「均衡を破ること」による「形而上学的な反抗」、それが「秩序から、無規定のもの」への「官能の橋」になり、ついには「無限の官能のたゆたいの中へ」「遁れ去っていく


まさに天才・ミシマの面目躍如、私は、類まれな豊穣な言葉の海に、ただただ圧倒され、溺れていくだけである


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憂国 三島の金閣に対する美の描写で思い出されるのが「憂国」における美しい女体の描写である


2・26事件で遅れをとり、死を決意した竹山中尉が新妻・麗子と最後の愛を交わす場面

中尉は麗子に「お前の体を見るのもこれが最後だ。よく見せてくれ」と言い、その「忘れがたい風景をゆっくりと心に刻んだ」のだ


山桜の花の蕾のような乳首を持つ」「高々と息づく乳房」、「胸から腹へと辿る天性の自然な括れ」、「そこから腰へとひろがる豊かな曲線の予兆」、「光から遠く隔たったその腹と腰の白さと豊かさ」、そして「影の次第に濃く集まる部分に、毛はやさしく敏感に叢れ立つ」…


まさに官能の美である

きょう19日付けの読売社説は「個性豊かな賞が競い合う時代だ」というタイトルで、珍しく文学賞について話題にしている
このところ相次ぐ新しい文学賞の創設を歓迎し、「様々な文学賞が、個性を競い合うことを通じて、活字文化がより活性化することを期待したい」と書いている

本屋大賞 そのなかで「打倒直木賞」がキャッチフレーズの文学賞として紹介されているのが「本屋大賞


読者に最も読んで欲しい本を全国の書店員が投票で選んで決める賞だとか

いわば、本を売るプロによる、売りたい本のナンバーワン


「本屋大賞」のホームページもある(http://www.hontai.jp/index.html


第1回大賞が小川洋子の「博士の愛した数式
読売社説によると、受賞前10万部だったのが、現在125万部のベストセラーになっているという

今朝、読売社説を読んで刺激され、昼間、本屋でこの文庫本が山積みされているのを見て、思わず衝動買いしてしまった

ちなみに、この時、第2位に横山秀夫の「クライマーズ・ハイ」、第8位に福井晴敏の「終戦のローレライ」が選ばれている


第2回大賞が恩田陸の「夜のピクニック

恩田陸は最近、注目の作家で、ちょうど今「ねじの回転」を読書中!


第3回目の今年はちょうど、あす20日にノミネート作品の発表、2次投票を経て、4月5日に大賞が決まるという


●(以下引用)………………………………………………………………

1月19日付・読売社説 [文学賞]「個性豊かな賞が競い合う時代だ

「落とされる度にやけ酒を飲んできた。ふつうの人には出来ない面白いゲームをやったが、今日は勝ててよかった」
直木賞を受賞したミステリー作家、東野(ひがしの)圭吾さんは受賞後の会見でこう語った。これまで6回、直木賞候補にノミネートされていた。
茶川賞を受賞した絲山(いとやま)秋子さんも候補に挙がったのは4回目だった。「のどの小骨が取れたよう」と喜びを語った。
2人とも、いくつかの文学賞を受賞した実力派だ。芥川賞・直木賞の敷居の高さを改めて印象づける会見だった。
2003年度の芥川賞は、20歳の綿矢りささんと金原ひとみさんが、史上最年少で受賞して「綿金ブーム」を巻き起こした。これを弾みに、他の文学賞でも20歳前後の作家の受賞が相次いだ。
選考は厳しいが、時には大胆に時代を先取りする。70年を超える歴史を背負う芥川賞・直木賞は、こうした懐の深さで大きな存在感を示し続けてきた。
一方で、“老舗”の賞の権威に対抗するかのように、新しい文学賞の創設も近年相次いでいる。
「打倒直木賞」をキャッチフレーズにした「本屋大賞」は、書店員らのアイデアで創設された賞だ。出版不況が続く中で、読者に最も読んで欲しい本を全国の書店員が投票で選び、出版界の活性化をはかろうという試みである。
第1回受賞作、小川洋子さんの「博士の愛した数式」の部数は、受賞前には約10万部だったが、今や文庫本を含め125万部のベストセラーだ。
インターネット読書の時代を背景に、「Yahoo!JAPAN」主催の文学賞も創設された。短編作品をネットで公募したところ約4000の作品が寄せられた。ノミネート作品数点がネット上に掲載され、読者投票が行われた。
出版社系の一部の文学賞でも、インターネットによる読者投票などを選考の一部に取り入れたケースが見られる。
こうした最近の潮流に対して、作家たちの間からは「水準の低い賞はいずれ淘汰(とうた)される」「新人作家を育てることにならない」と冷ややかな声も聞かれる。
確かに厳しい基準で作品を審査し、作家を育てて行く文学賞は必要だ。だが一方、インターネットや電子書籍が普及する時代だ。新しい趣向の文学賞が登場するのもまた自然の流れだろう。
文学賞によって、受賞作の質や性格はおのずと異なる。何を読むかは読者の選択の問題でもある。
様々な文学賞が、個性を競い合うことを通じて、活字文化がより活性化することを期待したい。
(2006年1月19日1時42分 読売新聞)

堀江貴文 新興ネット企業・ライブドアに東京地検特捜部の強制捜査が入り、ホリエモンこと堀江貴文社長が窮地に追い込まれている
今朝の各紙のコラムも、主要紙ほぼ全部がライブドアのことを取り上げているが、このうち「光クラブ事件」の山崎晃嗣をホリエモンと比して書いているのが産経の「産経抄」だ


コラム子は「私は法律は守るが、モラル、正義の実在は否定している。合法と非合法のスレスレの線を辿(たど)ってゆき、合法の極限をきわめたい」という山崎晃嗣の語録を挙げ、ホリエモンの「日ごろの言動とよく似ている」と指摘している


青の時代 白昼の死角 さらに「産経抄」では、山崎晃嗣をモデルにした三島由紀夫青の時代」や高木彬光の「白昼の死角」についても触れている
三島の「青の時代」は先日読んだばかりだ し、高木の「白昼の死角」もすでに読んでいる私には、今回のライブドア事件がまるで「光クラブ事件」をなどっているような気がしてならない

しかも私自身、ライブドア株で多少の利益を上げ、今も若干の株を持っている(追記:その後、すべて売却)

その破竹の進撃ぶりに時代を変革する若者の姿を見て、ホリエモンとライブドアを応援していただけに非常に残念である


三島は「青の時代」の冒頭、この作品で「偽者の英雄譚」を書きたいとしていた
「偽者の英雄」と規定された山崎晃嗣は「産経抄」にあるがごとく、戦後の「反社会的で無責任な若者たちをさす『アプレゲール』そのものの生き方」だった


ホリエモンもまた、バブル崩壊後の経済混乱期から生まれた「アプレゲール」だったのだろうか
柳田邦男が指摘するように、彼は「拝金主義を蔓延」させた張本人だったのだろうか(そういえば、ホリエモンは「人の心も金で買える」と言っていた)


失望の念を込めて、ホリエモンにあえて言いたい
君もまた山崎晃嗣のように「偽者の英雄」だったのか、と


●(以下引用)………………………………………………………………

産経抄(平成18(2006)年1月18日[水])
 堀江貴文社長を論じるとき、しばしば比較されるのが、戦後の混乱期に「光クラブ事件」を引き起こした山崎晃嗣(あきつぐ)という人物だ。昭和二十三年、東大在学中にヤミ金融「光クラブ」を設立。商店主らに高利で金を貸し付け、事業を急拡大させて世間を驚かせた。

 ▼反社会的で無責任な若者たちをさす「アプレゲール」そのものの生き方は、三島由紀夫の『青の時代』や高木彬光の『白昼の死角』のモデルにもなる。

 ▼「私は法律は守るが、モラル、正義の実在は否定している。合法と非合法のスレスレの線を辿(たど)ってゆき、合法の極限をきわめたい」。山崎が残したこんな語録は、確かに堀江社長の日ごろの言動とよく似ている。

 ▼昨年の「文藝春秋」五月号で、柳田邦男さんはそれぞれの時代背景に注目していた。敗戦と、第二の敗戦といわれたバブル崩壊は、人々の価値観を揺さぶり、社会は慎みを失って、拝金主義を蔓延(まんえん)させた。そんな「大変動の中から生まれた時代の申し子」だという。

 ▼結局山崎は、物価統制令違反などの容疑で逮捕され、それがきっかけとなって事業が破綻(はたん)し、青酸カリを飲んで自殺する。経営するライブドアが、証券取引法違反容疑で東京地検特捜部の強制捜査を受けた堀江社長は、この危機を乗り越えることができるのか。

 ▼保阪正康さんの『真説光クラブ事件』(角川書店)によれば、山崎は新聞や立て看板を使った派手な広告で顧客を集めた。一方の堀江社長は、自らが広告塔となり、にぎやかな話題を振りまいてきた。きのうの東京株式市場でライブドアグループの株は軒並みストップ安となり、時価総額は約千五百億円減少した。これまで堀江社長をもてはやしてきた一部メディアの「風説」は罪に問われないのか。


◎堀江貴文氏の写真は以下より引用http://news.goo.ne.jp/news/specials/2004/review/detail/human/det_human_horie.html