Twitterで、

『子は成長とともに興味関心のジャンルが変わってしまって、忘れゆくものもあるけど、

親は子の好きだったものをずっと覚えてて、ふと探してしまうし、その頃の子のことをずっと大事に覚えてる。新幹線の名前とか。

子は新幹線の名前は忘れてしまっても、興味関心だった対象を「楽しいもの」と思う温かい感情は残ってる』

…みたいなエピソードを読んだ。(ウルっとした🥲)




産後、こういう親の愛情や、子の成長が嬉しくも寂しい…みたいな話に触れると、とっても泣きやすくなりました泣き笑い


私自身にも、「自分は覚えてないけれど、親にとっては子育ての思い出になっている事」があるんだろうなぁと思うし、自分も親になった今、時々そういうのに触れては、あぁ親は私やきょうだいをこうして大事に育ててくれたんだなぁと、身を持って感じたりします悲しい愛



そういえば、小学生か中学生くらいの頃に思っていた、母親の癖であんまり好きじゃないのがあって…

うちの母親、歩いてる時の信号待ちとかの「立ち姿勢でのちょっとした待ち時間」に、両足のかかとをトン、トン、って上げ下ろしする癖があって知らんぷり

貧乏ゆすりみたいだし、落ち着きが無いように見えるから恥ずかしいなって思ったりしてた。



で、大学生くらいの時、ふと、目の前で信号待ちしてた人を見ると、まさにその動きをしているのに気づいてあんぐり

両足のかかとをトン、トン…ってして身体を揺らしてたその女性は、手にスーパーの袋を持ち、身体の前には抱っこ紐で赤ちゃんを抱いてあやしてた看板持ち



それを見た時、あぁ…、母は私やきょうだいをこうやってあやして育てるうちに、この動きが身体に染み付いて癖になったのかもしれないなぁ、無意識に残った子育ての痕なのかもなぁ。って思って、胸がキュっとなったものですおやすみ


たまにこんな心の動きも書き残していきたいなと思います看板持ち看板持ち飛び出すハート



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