緊急事態宣言中だった2月18日ですが 如周上人のご命日という事で、中興忌法要が営まれました。
戦国時代 京都の仏教界は 暗たんとした衰微の様相だったそうです。そのような中、雲龍院の諸堂や如法写経会を 後水尾天皇の保護を受けて復興させたのが、中興と讃えられている 如周上人です。 度々 御所にも上がり 天皇さまをはじめ 東福門院さま・皇子・皇女方に説経・受戒もされており 又、皇族方の病気平癒の修法や 東福門院さまの依頼で 実父 徳川秀忠の年忌追善法要も行なったという記録もあるようです。
例年の中興忌では お薬師様の前に如周上人の木像が安置されるのですが、今年は五十回忌( 元禄9年 1696年 ) に描かれたとされる肖像画のお軸が掛けられ… というのも この度 お軸を修理に出す事を住職が決意し、その報告の為の設えとのことでした。
お軸の上部には賛が書かれており その内容は
[ 祖師( 如周上人) のご尽力で復興を成し遂げた雲龍院は 今も変わらずに護持されております。 あなたの求められていた 律の教えを護り 清らかな調べを天に奏でております。それは雲を巻く龍が東山の霊峰で笛を吟ずるかのようです]
2月の冷んやりとした空気の中 静かな境内に読経が流れ、龍が奏でる笛の音とのハーモニーを聞いているような 清らかな気持ちで手を合わせた私なのでした。