目覚めたいなぁ。 | 現役食口Unrestorableの不信仰告白

現役食口Unrestorableの不信仰告白

Unresorableは「救えねえ奴」という造語です。
これは自虐的な意味もありますが、自分を救うのは自分の責任を果たすしかないと反語的に捉えて作りました。
皆様の批判、意見等は返答できないかも知れませんが、ご自由に書き込んで下さいませ。
よろしくお願いします。

先日、仕事中に体力的限界を感じましてね。

会社に備え付けの自動販売機で栄養ドリンクを買ったのですよ。

栄養ドリンクと言ってもほとんどジュースみたいなレベルのものを買ったわけですが、自動販売機で飲料を購入するなんて1年振りくらいの事でしたわ。

気休め程度でも、プラシーボ効果みたいなものは得られるのではないかと期待して。

で、飲んで数分経った時の事。

電灯をともしたかのごとく、急に視界がパッと明るくなりまして、だるかった足が何となく軽くなったように感じたのです。

まさか本当に栄養ドリンクの効果が!?

偉大なり、プラシーボ効果!(←いや、そこはローヤルゼリーを称えてやろうぜ!)


そんな怪談から始まったわけですが、最近、なんだか眼球の中に蚊が飛ぶ現象が始まっているような感じで…。

長生きできるかなぁ。

関係無いけど、空腹時に甘いもの食べると口内炎が出来る人体的法則を忘れてやっちゃったので、今、唇が痛ぇ…。(←これって私だけかなぁ?)

まあ、人間、思い込みで良くも悪くもなるわさ。へけっしゅ!


ところで、人間は思い込まされる生き物でして、人をトリックにかける生業の人間は、この思い込みを利用して人を騙すのですね。

詐欺師は勿論ですが、手品師などもそうですね。

ビジネスで成功する人も、ある面、この「思い込ませ」の技術に長けた人達。

虚構の世界をリアリティを持たせて描く各界の作家達もそう。

スポーツ界なんかでも、自己暗示をいかに強くかけられるかが重要だったりするし、教育の現場では「あなたは出来る」みたいな暗示をかけて自信を持たせようとする。

ああ、この世は全て思い込みで成り立っているんだ。

逆に現実に近づけば近づく程、もしかしたら人は正気を保てなくなるかも知れない。


人は表面的なものばかりにとらわれ、裏に隠された真意を見ない…ように思われがちですが、実は、人が表面的なものによって動かされるという事はほとんど有りません。

人は目に見える言葉ではなく、目に見えない言葉によって思い込まされ、操られるのです。

え?言葉は最初から目に見えないって?

そりゃそうですな。アハハハ。


表面的な言葉で騙そうとするのは程度が低いですよね。

「消防署の方から来ました」みたいな。

言葉ってのは便利なもので、「消防署の(ある)方(角)から(歩いて)来ました」って内容が、あたかも「私は消防署の職員です」と聞こえるのだから面白い。

詐欺師は「嘘はついていません」と言うのですけど、それは数学的な解釈であって、国語的には騙そうとする意図が明白なわけだから、完全な詐欺行為ですわな。


私がこういう事をしているとしたら、「妻の任地は某国です」みたいなところ。

一応、妻の国籍や経歴を隠す目的で使っている表現ですけど、例えば私は日本人で日本国内で歩んでましたので、「私の任地は日本です」と言っても間違いではないですよね。

そう言う事で、あたかも私が日本人ではないかのような印象、または可能性を与える事が出来ます。

まあ、でも前述したように、この程度の誤魔化しの言葉ってのは最下級程度の言葉遊びです。

遊び心で「某国」や「私の年齢」ぐらいは、意図的に断片的な情報を各回に置いてきたので、それらを組み合わせて、某国がどこで、私が何歳なのか一桁台まで割り出している方もいるんではないでしょうか。


逆に言葉の難しさというのは、はっきりと説明しなければ、相手に正確に伝わらない事。

例えば単純な話、「右」と「左」。

聖書で右側の強盗と左側の強盗が登場しますけど、それってイエス様から見て右なのか、左なのか、イエス様に向かって右か左か分かりますか。

私がイエス様を正面にしてみれば、イエス様の右は私の左になるわけで、左は右となります。

つまり、ただ「右側」と言っても、それは実際の右なのか左なのかは分からない事になります。

自己を中心に見るか、相手を中心に見るかで内容が異なってきます。


あるいは酒の席で、上司が「君、○○について知ってるかね」なんて知識をひけらかしたい時に尋ねてきた場合、「はい、知ってます」なんて言ってペラペラ自分で説明しちゃったら具合悪いですねー。

「無学なもので教えていただけませんか」ぐらいの態度で出れば、上司も気をよくして「そんな事も知らんのかねー」なんて横に座らせている女の子に自分の学を自慢できます。

正解を答えても正解でない時、自分をアホに見せるのが正解な時が、もしかしたら有るかも知れません。

自分を敢えて落としてでも、相手の心理を操作し、自分の利を得る事が出来れば、それが一番、正解だったり。

勿論、上述は例えばの話ですよ。


言葉がいらない時も有りますね。

私なんかは、そんな経験が多いのですが、どうも黙っていると怒っていると思われるようで、高校の頃、私が発表の為に教壇に上がったのですが、教室はもう騒がしくて発表の声など届きそうにもない。

でも、しばらく私が黙っていると、級友は私が怒っていると思って一斉にシンと静まり返ったのです。

先生がいくら大声張り上げて話しても黙らないのにね(笑)。

また、ある時、ホームでビデオを見ている時、近くで姉妹がお喋りをしていたのですが、私がふとビデオを止めて部屋を出ようとすると、その姉妹達が突然、私に謝ったのです。

どうやら、うるさいからビデオの音が聞こえなくて私が怒って出て行くと感じたようなのです。

こっちはそんな事、一言も言ってないのに、勝手に思い込んで解釈するのですから、使い方によって便利な手法になりますね。

人を思い込ますのに言葉は必ずしも必要条件じゃないのですね。

むしろ人を騙したり、操作するには、既に最初からその人が思い込んでいる事を利用して話すのです。


私は真意を隠しながら書いていると言いましたが、今日、何故このような説明をするかという事について、「私のブログの真意の解き方を話している」というのは、程度の低い解釈になります。

当たり前の事に当たり前のツッコミをされるのはシラけるだけなので、あらかじめ言っておきますが、私のブログの真意など、99.99%の人が興味無いですからね!

私も別に解いて欲しいとは思っていません。

私がここに、こうして書くのはまた別の意図があるからです。


話は変わりますが、ある日、知人の小学校教師が私に教えてくれた事が有ったのですが、その人が言うには、サザンオールスターズの「マンPのGスポット」という曲が、従軍慰安婦について歌ったうたではないか、という事なのです。

そんなバカな。

拡大解釈も過ぎるだろ、と思って調べてみたら、従軍慰安婦の比喩として歌われていると推測されているのは「悲しみはメリーゴーランド」という曲でした。

桑田佳祐氏御自身が明言されていないので、あくまでも聞き手の独自的解釈ですが、まあ、彼の詞には社会風刺が含まれていると、ファンが勝手に解釈してくれてるわけですね。

その教師も多分、サザンのファンだったに違いないでしょうけど、どこかの伝言ゲームか、本人の意識の中で従軍慰安婦とマンPの性的イメージが結合・変換されて思い込みとなったのでしょうな。

それとも実際そうなのかな?どっちゃでもええ!

ところで、福島復興支援ライブで桑田氏がマンPを歌ったという事で批判された事が有りましたけど、頭固えなぁ~。

そんなガチガチの頭じゃ平和の世は来ないぜぇ~。


思えば10年以上、準模範的教会員として生きながら、大変な思い違いをしていると気付いたのが、やっとこさ「夜の神様と昼の神様」という言葉を聞いた約2年前。

意味も分からないままに漠然と、新たな理解を得なければならないと、み言を再読。

某有名原理講師O氏は神様を講義しながら「中和的主体と統一体では概念が全然ちがう!」なんて無邪気にはしゃいじゃって、そこそんなに重要じゃないし!と思いながら、過去には尊敬していた先生方が陳腐で滑稽に見え始め。

そして10年以上をかけて築き上げた自分の信仰観をぶち壊す為に毎日、ブログを書き続けた1年間。

表向きはわりかし模範的な事を書くので、それなりの評価を下さった方々もいらっしゃり、直接、連絡をとりたいと素性を明かして下さった方もいましたが、ここまでの予定が有ったので、その関係すら壊れるのを恐れ、失礼ながら、当時にあえて深い関係を築くのはお断り申し上げました。

ここにきても、いまだ同じ事を仰って下さるならば、喜んで私の素性を明かして非礼を詫びたいと思います。

今をもっても、ブログの目的を全て果たす事はできませんでしたが、外的事情により、あと数回でブログを終了します。


ブログを書いていた約2年間の中で最も大きな獲得はAwakeningの実在です。

私はまだそこに到達していませんが、その出会いによって、私はいくらか安心してブログを終えられます。

ブログの初志はAwakeningとの出会いで若干の修正が有りましたが、言いたい事の本質は変わりません。

でも、それは言ってしまったら意味が無いので言いません。

悪しからず。


普段、必ず起床しなければならない事情を抱いて床に着けば、時間通りに目覚めるのに、休みの日に気を抜けば8時間でも、それ以上でも眠ってしまう。

と言うか、疲れすぎて起きれないのかも知れませんが。

実際、妻が言うには起こしても起きないとか。

とは言え、普段は睡眠が2時間でも3時間でも目が覚めるわけですから、目覚めるには、「目覚めよう」という意識が必要なのでしょう。

そう言えば、昔、ホームの兄弟と実験しまして、目覚ましにしていた携帯の着メロ、着ボイスに合わせたジェスチャーで起床する、といのに挑戦しましたなぁ。

例えば「最高ですか!?」という着ボイスが有ったら「最高です!」と言って跳ね起きるとか、ロッキーのテーマが流れたらシャドーしながら起き上がるとか、ですね。

成功率は10割近かったですよ。

面白かったなぁ。

朝からテンション高かった。


一日の中で最も苦痛な起床の時間も最高に楽しいひと時にできるのに、今、辛いように見える現状も悲観的でいるだけじゃ勿体無いですね。

人がどうこう言うことよりも、自分が何をしているのか、よく見た方が良いかと。

あ、それは私の事か!



ああ、なんだかだんだで、今、もう26時間起きてる。

目覚めたいなぁ。


お読み下さり、有難うございました。



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