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慈永さんのブログ

心が疲れたときに、お役に立てましたら。  (^^)/



「手に入れたこと」

 

よりも、

 

「できたこと」、

 

 

そこに、

 

「しあわせの源」を置く、

 

 

ということなのです。

 

 

「手に入れたこと」は、

 

もちろん大切。

 

でも、

 

それを他人と比べてしまえば、

 

多いとか少ないとか、

 

結局、満足から遠ざかる、

 

そういうことも少なくない。

 

 

「できたこと」

 

それは、

 

自分の肯定であり、

 

成長の土台へと変わっていく。

 

 

起きられた。

 

歩けた。

 

笑えた。

 

泣けた。

 

やさしくできた。

 

手放せた。

 


年齢を重ねれば重ねるほど、

 

「できたこと」

 

が、

 

「できづらくなる」

 

それもまた、自然なこと。

 

 

だからこそ、

 

 

「できたこと」

 

を数える、

 

 

そこに、しあわせを見出す、

 

ということなのです。

 

 

感謝、合掌

慈永



人びとが見上げる立派な大木

は、

 

その高さに負けないぐらいの

 

深い根に支えられていて、

 

その根は目には映らない。

 

 

一段「高い」生き方を目指す

 

ひとは多い。

 

 

一段「深い」生き方を目指す

 

ひとは少ない。

 

 

「深い」生き方とは、

 

執着を手放し、

 

誠実を積み重ねて、

 

日々を習慣として整える、

 

ということ。


 

「人生」という大木が、

 

その高さで倒れないように、

 

見えないところで、

 

ただ、静かに根を張る。

 

 

感謝、合掌

慈永



このわたくしが、

 

望ましくないと思う事柄、

 

できれば避けたいと思う事柄、

 

 

これらは、

 

わたくしが、

 

そのように思い続ける限り、

 

形を変えて、

 

何度でも現れる。

 

 

なぜならば、


 

目の前に現れる出来事が、

 

わたくしたちを苦しめている

 

わけではなく、

 

 

目の前に現れた出来事を、

 

どう解釈するのか、

 

それこそが、

 

わたくしたちの苦しみを深める

 

原因になっているからです。

 

 

「避けたい」と思ったならば、

 

 

つい、反射で

 

「苦しみ」を握り込まずに、

 

 

すぅーーーっと深呼吸して

 

「手放す」。

 

 

「苦しみ」も、

 

「執着」で育つ。

 

 

そう、心得ておくことです。

 

 

感謝、合掌

慈永



「当たり前」のレベルは、

 

「見直す」程度じゃなくて、

 

「入れ替える」。

 

 

朝、起きられる、

 

歩ける、

 

ごはんが食べられる、

 

 

どれも、

 

決して、「当たり前」じゃない。

 

 

「ウソはつかない」、

 

「悪口は言わない」、

 

「他人を思い遣る」、

 

 

これ、

 

ひとがひとたる、慈しみの道。

 

 

だからこそ、

 

このレベルまで、入れ替える。

 

 

「時に、ひとはウソをつく」、

 

「時に、ひとは悪口を言う」、

 

「時に、ひとは他人を顧みない」、

 

 

自分がまともに生きていても、

 

 

広い世の中、

 

ウソをつくひとはいるし、

 

悪口を言うひとはいるし、

 

他人を顧みないひともいる。

 

 

わたくしが、

 

良しとしないものに、

 

安易に染まらない心を育てる。

 

 

「当たり前」のレベル

 

が低ければ、

 

それは、すなわち、愚痴になる。

 

 

「当たり前」のレベル

 

が高ければ、

 

それは、すなわち、修行になる。

 

 

感謝、合掌

慈永



人生は、

 

「行ったり来たり」。

 

 

でもね、

 

 

毎回、

 

逃げずに向き合ったなら、

 

同じ場所じゃないんだよ。

 

 

同じように見えるけど、

 

 

螺旋階段だから、

 

ちょっとだけでも、

 

上の方へ行ってるからね。

 

 

そう、

 

景色だって、

 

ほんの少しだけ、変わるんだ。

 

 

感謝、合掌

慈永



わたくしは、

 

本当はわたくしを裁きたい。

 

 

でも、

 

それができやしないから、

 

その代わりに他人を裁く。

 

 

他人さまに向けてる感情は、

 

実は、すべて、

 

自分に向けているもの。

 

 

自分の外側に向かっても、

 

何も解決しないのだと心得る。

 

 

内側の問題は外側の問題へと

 

形を変える。

 

 

やがて、

 

 

外側の問題は内側の問題だと

 

気付かされる時が来る。

 

 

バチが当たるとか、

 

そういうことではない。

 

 

ただ、望んでいないことが、

 

それに気がつくまで、

 

何度でも繰り返される。

 

 

それが、

 

因果応報というもの。

 

 

感謝、合掌

慈永



「未来」がどうなるのか?、

 

なんて誰にもわからない。

 

 

そうであるならば、

 

「未来への責任」

 

なんて、

 

軽々に語らない、

 

ということ。

 

 

「いま」を良きものにして、

 

「未来」へと託す。

 

 

「未来への責任」とは、

 

「いまへの責任」。

 

 

「未来」を背負わない。

 

 

誠実に自分と向き合って、

 

「いま、ここ」を積み重ねる。

 

 

感謝、合掌

慈永



「幸せ」とは、

 

なるものではなくて、

 

至るもの。


 

例えば、

 

 

いくらあればお金持ちなのか?、

 

 

ということと同じで、

 

 

どう在れば「幸せ」へと至るのか?

 

 

「幸せ」というものは、しっかり

 

定義されていることで、

 

はじめて「幸せ」だと認識できる

 

というもの。

 

 

比べない、

 

貪らない、

 

怒らない、

 

 

まずは、

 

「幸せ」という在り方を、

 

自身でしっかり整えておく、

 

 

ということなのです。

 

 

感謝、合掌

慈永



ひとというものは、

 

 

「事実」

 

 

「思い込み」

 

 

「感情」

 

 

の3つを混ぜ込んで、

 

物事を伝えることが多い。

 

 

例えば、

 

 

「事実」とは、

 

ペットボトルが置いてある、

 

 

「思い込み」とは、

 

誰かが捨てるのを面倒がって、

ここに捨てたに違いない、

 

 

「感情」とは、

 

みんなが綺麗に使ってる場所

なのに、けしからん、

 

 

と言ったようなことです。

 

 

実際のところ、

 

場所取りをしたくて、ペット

ボトルを置いた、

 

ちょっとトイレに行くので、

ペットボトルを置いたままに

した、

 

 

そんなことは、よくあること。

 

 

「伝え方」が適切でないことが

 

むしろ多いならば、

 

「受け取り方」を意識し変える

 

しかない。

 

 

誰が良い、誰が悪い、

 

そういうレベルじゃなくて、

 

自分が気持ちよく生きていく

ために、

 

「そういうもんだ」、

 

と、さらっと対処する。


 

 

こういうことを、

 

「生きる智慧」

 

と言っているのです。

 

 

感謝、合掌

慈永