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慈永さんのブログ

心が疲れたときに、お役に立てましたら。  (^^)/



「選択」というものは、

 

すれば、するほど、

 

不自由になる。

 

 

「いやいや、逆じゃないですか?

選択の余地があるんだから自由

になるのでは?」

 

 

物事というものは、

 

「選択」を重ねることで、

 

どんどん絞り込まれていき、

 

やがて一つの答えに辿り着く、

 

というわけです。

 

 

それはそれで素晴らしいこと

 

なのですが、

 

一方で、

 

選択した、その一つ以外は、

 

可能性が失われて、その一つ

 

に執着しなければならない、

 

ということになるわけです。

 

 

今の時代、

 

世の中の流れは本当に早く、

 

状況はどんどん変わる。

 

 

「選択」した、その判断が、

 

既に最善ではなくなっている

 

かもしれない。

 

 

そうであるならば、

 

 

流れに判断を委ねつつ、

 

 

たとえ「選択」をしても、

 

その「選択」そのものに執着を

 

しない。

 

 

そういう心構えが必要になる、

 

ということなのです。

 

 

感謝、合掌

慈永



「ひとの評価」

 

の本質は、

 

次で決まる。

 

 

「発言」ではなく、

 

「存在」。

 

 

「教え」ではなく、

 

「振る舞い」。

 

 

「肩書き」ではなく、

 

「人間性」。

 

 

ひと様が、

 

評価したくなる、

 

それこそが、

 

本当の「評価」。

 

 

感謝、合掌

慈永



自分自身で、

 

「大丈夫かどうか不安になる」

 

 

そういう事柄は、

 

実は、

 

「大丈夫で間違いない」

 

と言うことなのです。

 

 

ここで大切なことは、

 

「大丈夫」という意味合い。

 

 

物事が思い通りにうまくいく、

 

そういうことを「大丈夫」、

 

と言っているのではなくて、

 

「うまくいかなくても大丈夫」

 

だということ。

 

 

「大丈夫かどうか不安になる」

 

ということの根っこは、

 

自分自身で何とかできそうだ、

 

ということの裏返し。

 

 

自分自身でどうにもできない、

 

 

そう思ったのならば、

 

ひとというものは、

 

そもそも「大丈夫かどうか」

 

なんて考えもしないものです。

 

 

「不安」とは、

 

まだ手の届く世界に、

 

それがある、

 

ということ。

 

 

だからね、

 

 

心配なんかしなくても

 

 

そう、そう、

 

「大丈夫」。

 

 

感謝、合掌

慈永



「取り越し苦労」とは、

 

実際に起きるのかどうか、

 

わかりもしない苦しみを、

 

わざわざ、今、

 

ここに連れてくることを言う

 

のです。

 

 

未来を案じることは、

 

本来、

 

しあわせに生きるための知恵。

 

 

知恵に振り回されて、

 

今をおろそかにしない。

 

 

未来の苦労は、

 

未来に任せて、

 

このわたくしは、

 

今を生きる。

 

 

感謝、合掌

慈永



「沈黙」というものは、

 

 

「言葉が存在していない」

 

 

という意味であると同時に、

 

 

「言葉以外が存在している」

 

 

という意味になるのです。

 

 

「言葉」を読もう、

 

「言葉」を読もう、

 

と探しまくるから、

 

どんどん不安になる。

 

 

表情、間、空気、たたずまい、

 

そんな、

 

「言葉以外」を読む。

 

 

そのように心得ておく、

 

ということ。

 

 

感謝、合掌

慈永



「夢」を掴むのか?、

 

「夢」を受け取るのか?、

 

 

若い頃は、どんどん、

 

更地から夢を「掴み」にいく。

 

 

歳を重ねたら、じっくり、

 

耕した夢を「受け取り」にいく。

 

 

「春」、「夏」、「秋」、「冬」、

 

 

大自然がそうであるように、

 

 

ひとというものも、

 

季節をわきまえて、

 

「夢」を叶えていくのだ、

 

 

ということなのです。

 

 

感謝、合掌

慈永



毎日、多くのひとが、

 

「しあわせになりたい」

 

と心の底から願っているのに、

 

なかなかそうはならない。

 

 

理由は、

 

ただ、ひとつしかないのかも

 

しれません。

 

 

実際のところ、

 

 

多くのひとは、

 

 

「ただ純粋に、

しあわせになりたい」

 

と願ってはおらず、

 

 

「他のひとよりも、

しあわせになりたい」

 

と願っている。

 

 

自らのしあわせを、

 

他人と比較しなければならない、

 

その、もどかしさ。

 

 

これが続く限り、

 

すべてのひとに、

 

しあわせが訪れるのは遠い、

 

ということなのです。

 

 

感謝、合掌

慈永



「今日も一日、何事もなかった、

あー、つまらない」

 

 

「今日も一日、何事もなかった、

あー、ありがたい」

 

  

何か足りないと嘆く人生か、

 

 

足りてると感謝する人生か、

 

 

選ぶのは常に、

 

自分の心次第だ、

 

 

ということなのです。

 

 

感謝、合掌

慈永



「無敵」とは、

 

 

何かに勝つということ、

 

何かに負けないということ、

 

 

そういった執着のレベルでは

 

なくて、

 

 

「どういう結果になろうとも、

わたくしは大丈夫」

 

 

そのように腹をくくれること

 

を言うのです。

 

 

ひとというものはね、

 

負けることを恐れる。

 

 

でもね、

 

 

勝ったから長生きするわけで

 

なし。

 

負けたから早死にするわけで

 

なし。

 

 

あれこれたくさん、経験した、

 

 

それこそが、ひとの生き様。

 

それこそが、ひとの死に様。

 

 

感謝、合掌

慈永



「ご縁」には、2つあり。

 

 

「生まれる」ご縁

 

 

「消える」ご縁。

 

 

「消える」ご縁

 

と聞くと、

 

もったいないと思ったり、

 

切なくなったりもするが、

 

 

それは、

 

「良い」ご縁だと思い込んで執着

 

しているだけのこと。

 

 

逆に、

 

「悪い」ご縁だと思ったならば、

 

一日も早く消えて欲しいはず。

 

 

「消える」から「生まれる」、

 

「生まれる」から「消える」。

 

 

何事にも、

 

ものの道理というものがある。

 

 

そういうことを、

 

よくよくわきまえて生きる。

 

 

感謝、合掌

慈永