慈永さんのブログ

慈永さんのブログ

心が疲れたときに、お役に立てましたら。  (^^)/




 

人間は、 

万物の霊長と呼ばれます。


考える力を持ち、 

言葉を使い、 

道具を生み出し、 

自然の仕組みを解き明かす。


人間ならではの、

さまざまな力を身につけてきました。


 

それなのに、


 

なぜ、 これほど多くの人が、 

幸せを感じられずにいるのでしょう。


 

昨日の失敗を思い出し、 

まだ起きてもいない、

明日のことを心配する。


誰かの幸せを見て、 

自分には足りないものを

数え始める。


欲しかったものを

ようやく手に入れても、

今度は、 その先が欲しくなる。


 

考える力そのものが、 

わたくしたちを

苦しめているわけでは ありません。


 

同じ知恵を使って、


誰かの痛みに気づき、 

誰かの悲しみに寄り添い、 

誰かの幸せを、

自分の喜びにすることだってできる。


 

人間は、


多くのことを知るようになりました。

多くのことができるようになりました。


でもね、


知っていることと、 

幸せであることは、

決して同じではありません。


 

万物の霊長とは、 

万物の頂点を誇ることではなく、

万物の中に生かされる、

小さな命の一つなのだ、

と、気づけること。


 

生かしながら、

生かされている。

 

知恵というものは、

しあわせへと導くためにこそ、

使っていくのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永




 

例えば、

 

人に贈り物をするとき、


相手の喜ぶ顔を思い浮かべ、 

何を贈ろうかと、 

心を弾ませることがあります。


一方で、


手ぶらで行ったら、 

失礼な人だと思われる。


そんな心配から、 

贈り物を用意することも

あるでしょう。


 

どちらも、 

贈り物をする、

という同じ行いです。


 

でもね、


 

その行いが、 

どこから生まれたのか。

そこには、 

大きな違いがあります。


 

相手の喜びを願う心。


自分が悪く思われることを

避けたいと思う心。


 

どちらも、 

わたくしたちの心にある、 

自然な動きであり、

この二つの心は、 

いつもきれいに分かれている、

というわけでもありません。


 

仏教は、


行いそのものだけでなく、 

そこにある意志を、 

大切に考えます。


 

人の行いを見ただけで、 

その人の心まで、 

決めつけないこと。

 

自分の行いについては、 

ときどき、 自分自身で、

自分に尋ねてみること。


 

どうせ同じことをするのならば、


恐れからではなく、 願いから。

義務からではなく、 思いやりから。


 

そこに込めた心は、

目には見えなくても、

ちゃーんと相手にも伝わっていく、

 

そういうものなのかもしれません。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永




 

人のために、 

何か善いことをしたとき、


つい、 相手からの、 

ありがとうを、 

待ってしまうことがあります。


 

せっかくしてあげたのに。


そんな思いが、 

心をよぎることも あるでしょう。


 

でもね、


 

誰かの役に立てること、

そのものが当たり前のこと

なのでしょうか。


 

困っている人がいて、

その人と出会い、

自分にできることがあり、

それを受け取っていただける。


 

ありがとうを伝えるのは、

相手だけではなく、

このわたくしの方かもしれません。


 

ありがとうを、 待つ心から、

ありがとうを、 伝える心へ。


 

お役に立つ機会をいただけて、

本当に、ありがとうございます。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永




 

世の中の出来事は、


わたくしたちが思っているほど、 

白と黒に、 

きっぱり分かれるもの

ではありません。


正しいか、間違いか。

良いか、悪いか。

味方か、敵か。

 

 

はっきり分けられたら、 

そりゃ、わかりやすい。


 

でもね、

 

 

同じ出来事でも、


ある人には喜びとなり、 

ある人には悲しみとなる。

 

どちらかが、 

間違っているとは限りません。


  

ただ、 見ている場所が違う。

ただ、 大切にするものが違う。

ただ、 背負っている事情が違う。


 

とはいえ、


 

違いを認めることと、 

善悪の判断を手放すことは、 

同じではありません。


何でもかんでも、

すぐに白黒をつけず、 

その間にあるものにも、 

目を向けてみる。


 

わからないことを、 

無理にわかったことに

しなくてもいい。


 

白でもなく、 

黒でもない。


 

それが、 

わたくしたちの生きている、

この世界なのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永




 

人生では、

選択肢が増えることで、

喜びを感じるときがあります。


知らなかった世界を知り、

新しい人と出会い、

思いもしなかった道が

見えてくる。


 

一方で、


 

選択肢が減ることで、

苦しさを感じるときもあります。


あれもできない。

これも選べない。


選べる道が少なくなると、

自分の人生を、

自分で決める自由まで

失ったように感じるものです。


 

でもね、


 

選択肢が減ることは、

これからの可能性まで

失うことではありません。


執着を手放すとは、

あらゆる可能性を

握りしめようとせず、


今ある選択肢の中から、

自分にとって、

本当に大切なものを

見極めていくこと。


 

道が広がることも、

前進。


道が狭まることも、

また、前進。


 

大切なことは、


どれだけ多くの道を

持っているかではなく、


自分の足で歩む道を、

納得して選べるかどうか。


 

可能性とは、


道を広げることで

見えてくるものもあれば、


道を絞ることで、

はじめて見えてくることも

あるのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永




 

人生を振り返ると、


思い描いたほどには、

手に入らなかったものが

あるかもしれません。


 

叶わなかった願い。


届かなかった場所。


手にできなかった幸せ。


私たちは、

得られなかったものを、

よく覚えています。


 

でもね、


 

少しだけ、

見方を変えてみると、


望まなかった別れを、

迎えずに済んだこと。


大切なものを、

失わずに済んだこと。


当たり前のように、

今日も一日を迎えられること。


そんな幸せも、

あったのではないでしょうか。


 

何かを得ることだけが、

人生の豊かさでは

ありません。


失わずに済んだものにも、

目を向けてみる。


 

そこにもまた、

見過ごしてきた豊かさが

あるのかもしれません。


 

人生の達人とは、


何もかもを、

手に入れた人ではなく、


今あるものの尊さにも、

気づける人。


 

その気づきこそが、

人生を大切に生きる、

豊かな智慧なのかも

しれません。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永




 

物事を、 

はっきりと言い切らず、 

少し曖昧にしておく。


そこには、 

ひと、それぞれが、 

考える余地が生まれます。


 

同じ言葉を聞いても、 

受け取り方は、 

人によって違う。


同じ出来事を見ても、 

そこから見つける意味は、 

人によって異なる。


 

でもね、


 

解釈が自由であることと、 

どんな解釈でもよい、 

ということは、 

同じではありません。


 

自分は、 なぜそう解釈したのか。

その理由を、 

自分の言葉で語れること。


 

曖昧さは、 

考えることを省くためではなく、 

むしろ、

考えを深めるためにある。


 

自分にとって、 

都合のよい解釈だけを

選んではいないか。


相手と解釈が異なることを

恐れてはいないか。


 

余白があるから、 人は考えられる。

違いがあるから、 人は語り合える。

 

答えを、 ひとつに決めつけないこと。

解釈に責任を持つこと。


 

それが、

ひと、それぞれの余白。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永




 

人生には、


すぐに答えを出した方が

よいこともあります。


 

一方で、


答えを急がない方が

よいこともあります。


 

白か、黒か。


行くか、戻るか。


続けるか、やめるか。


 

少しでも早く決めれば、


モヤモヤした迷いからは

確かに

解放されるかもしれません。


 

でもね、


迷いを消すことと、


納得のゆく答えを見つけること

は、同じではありません。


 

まだ見えていない道ならば、


早すぎる答えで

閉じてしまうこともある。


 

「決められない」と、


「まだ決めない」は、


似ているようで、

少し違います。


 

「決められない」は、

答えを待つということ。


「まだ決めない」は、

可能性を残すということ。


 

答えを出せない時間ではなく、


答えを出さない時間も、


人生を前へと進めている、

そんな時間なのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永





人間関係とは、


分かり合えるか、

分かり合えないか、


そこが問題なのでは

ありません。


 

分かり合えても、

離れる人がいる。


分かり合えなくても、

付き合える人がいる。


 

大切なのは、


誰と、

どう付き合っていくのか。


近づくのか。

 

少し離れるのか。


違うままで、

一緒に歩くのか。


 

人間関係とは、


分かり合うことより、

折り合っていくこと。


 

違う者同士が、


お互いを粗末にしない。

 

 

そういう距離感を、

 

見つけていく、

ということなのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永




 

人間関係で、

ふと、

疲れてしまうとき。


 

もしかすると、


相手を、ほんの1cm

動かすために、


自分が1m近くも

動いているのかも

しれません。


 

嫌われないように、

先回りする。


関係を壊さないように、

自分ばかりが譲る。


 

でもね、


 

人と人との間は、


どちらか1人だけが動いて

埋めるものではありません。


 

自分が半歩、

相手も半歩。


自分が一歩、

相手も一歩。


 

そうやって、

お互いに間を埋めていく。


 

だからこそ、


人と人の「間」と書いて、


人間。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永