慈永さんのブログ

慈永さんのブログ

心が疲れたときに、お役に立てましたら。  (^^)/




 

人生の変わり目では、


何か新しいものを、


手に入れようとします。


 

新しい仕事。


新しい役割。


新しい生き方。


 

でもね、


新しいものを、


迎えるためには、


何かを、


手放さなければ


ならないことも


ございます。


 

これまでの肩書き。


人からの評価。


こうあるべきという


思い込み。


 

長く生きるほど、


わたくしたちは、


知らず知らずのうちに、


たくさんのものを


背負っています。


 

今は不要になったものを、


ただ捨てることではなく、


これまで、


自分を支えてくれたものに、


ありがとうと伝えて、


そっと手放していく。

 

 

それも、また、

 

祓う、

 

ということなのです。



乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永




 

どなたかを


思い出そうとすると、


ふと、

 

思うことがございます。


 

顔も、


声も、


一緒に過ごした時間も、


確かに覚えている。


 

でもね、


わたくしたちが、


心の中に残している、


その人は、


その人では


ないのかもしれません。


 

やさしかった人。


怖かった人。


助けてくれた人。


傷つけられた人。


 

いつの間にか、


その人の姿よりも、


その人から受け取った


「印象」を、


覚えている。


 

だから、


同じ人なのに、


人によって、


記憶は違うわけです。


 

人は、


人を記憶するのではなく、


その人との間に生まれた


印象や関係性を、


記憶しているのかも


しれません。


 

そうであるならば、


誰かの記憶の中に、


どんな印象の自分を残すのか。


 

ご縁を育てるとは、

 

案外、

 

そういうことなのかも

 

しれません。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永



誰しも、


しあわせになりたいと


願っています。


 

お金がある人も、


ない人も。


若い人も、


歳を重ねた人も。


 

人生のゴールは、


案外、


同じなのかもしれません。


 

ややこしいのは、


ただ、


しあわせになりたい、


ではなく、


あの人よりも、


しあわせになりたいと


思ってしまうこと。


 

そうなると、

しあわせには、

終わりがなくなります。

 

上を見れば、

いつまでも上がいる。


時には、


人の不幸を見て、


安心してしまうことさえ


ございます。


 

でもね、


人と比べて、


しあわせを測るとは、


自分のしあわせを、


他人に決めてもらうことと


同じなのです。


 

誰かより上だから、


しあわせなのでは


ありません。


 

誰かより下だから、


不幸なのでも


ありません。


 

わたくしが、


これで、しあわせだと


思えるのなら、


それでよい。


 

しあわせを決める人は、


いつも、


わたくし自身なのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永




 

わたくしたちは、


目の前の世界を、


そのまま見ていると


思っています。


 

でもね、


同じ出来事でも、


人によって、


見え方は違います。


 

同じ雨でも、


恵みの雨と


思う人もいれば、


残念な雨と


思う人もいる。


 

同じ言葉でも、


励まされたと


思う人もいれば、


傷ついたと


思う人もいる。


 

わたくしたちは、


目の前にあるものを、


そのまま、


見ているのではありません。


 

これまでの経験、


思い込み、


喜びや悲しみ、


そして執着。


 

それらを通して、


わたくしたちは、


ある意味、

 

自らの世界というものを

 

創り出しているわけです。


 

そうであるならば、


世界が苦しく


見えるとき、


変えるべきなのは、


目の前の世界だけでは


ないのです。


 

その世界を見ている、


わたくしの心にも、


そっと、


目を向けてみる。


 

世界は

 

簡単には変わらない。

 

 

でも、

 

わたくしたちの

 

世界の見え方が


変わるとき、


見えていた世界も、


少し違って


見えてくるのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永




可能性という言葉には、

まだ見ぬ道を、


開いていける、

 

という意味がございます。


 

でもね、


道は、


思っているだけでは、


開きません。


 

やってみたい。


変わりたい。


こう生きたい。


 

そう思ったなら、


小さくても、


一歩を踏み出してみる。


 

道があるから、


歩くのではなく、


歩くから、


そこに道ができる。


 

可能性とは、


握りしめるものではなくて、


自らの一歩で、


開いていくものなのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永



歳月は、

顔を変えていきます。


皺が増え、


髪の色が変わり、


若いころとは、


違う顔になっていく。


 

それは、


誰にも止めることは


できません。


 

でもね、


同じ歳月を


生きていても、


人の表情は、


同じようには


変わりません。


 

人を恨みながら


生きることもできる。


人を慈しみながら


生きることもできる。


 

苦労したから、


険しい表情になるとは


限らないのです。


 

たくさん苦労して、


それでも、


人にやさしく生きてきた人には、


そのやさしさが、


表情に宿ることが


ございます。


 

歳月は、


顔を変える。


生き方は、


表情を変える。


 

どんな表情で、


人生を終えたいのか。


その思いこそが、

 

わたくしの人生を

 

形作っていくのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永



人との約束は、

守ろうとするのに、


自分との約束は、


なかなか守れないことが


ございます。


 

明日から、


早起きをしよう。


運動をしよう。


勉強をしよう。


 

そう決めても、


まあ、いいかと、


なかったことにしてしまう。


 

でもね、


自分が、


どれだけ頑張ったのか。


どこで、


手を抜いたのか。


一番知っているのは、


自分です。


 

人には、


言い訳ができます。


ごまかすこともできます。


でも、


自分だけは、


ごまかせないのです。


 

自分との約束を守るとは、


自分に厳しくすることではなく、


自分に、


嘘をつかないこと。


 

今日も、


自分という人間と、


一緒に生きていくのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永



わたくしたちは、

 

杓子定規な対応を、


嫌うことがございます。


 

事情も聞かず、


決まりだからと、


同じ答えを繰り返される。


 

もう少し、


人の気持ちを


思いやっても


よいのではないか。


そう思うことも


ございます。


 

最近のAIは、


目的を与えられると、


その達成のために、


時には、


人間なら、


ためらうような手段を

 

選んでまでも、

 

驚くほど懸命に


動きます。


 


人間には、

 

良心や情が


ありますが、

 

AIには、


人間と同じように


良心や情が


あるわけではありません。


 

一方で、


人間は、


人を思うあまり、


決まりを曲げ、


越えてはいけない一線まで、


越えてしまうことが


ございます。


 

決まりだけでは、


人の心に届かない。


情だけでは、


道を誤る。


 

守るべき一線は、


杓子定規に守る。


その一線の内側で、


人の心を思いやる温もりを持つ。


 

それが、


人間の持つ、


「情」

 

なのかもしれません。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永



人生、

その時、その時には、


意味のわからないことが


ございます。


 

なぜ、


この人と出会ったのか。


なぜ、


この道が閉ざされたのか。


なぜ、


思い通りに


ならなかったのか。


 

つらかったり、


悔しかったり、


苦しかったりもするものです。


 

でもね、

 

 

何年か経って、


振り返ってみる。


 

あの人と出会ったから、


今のわたくしがいる。


あの道が閉ざされたから、


別の道を歩んでこられた。


 

年月を経ることで、


「点」だった出来事が、


一本の「線」、


「道」に見えてくることが


ございます。

 

 

お導きというものは、


その瞬間には、


わからないことも


たくさんあるのです。


 

ご縁は、


瞬間、瞬間にいただくもの。


お導きは、


あとから、ふと、気づくもの。

 

 

いつの日か、


振り返った時に、


ああ、


ここへと続いていたのだな。


そう思える日が、


やって来るのかもしれません。

 


だから、


一日一日に、

 

急いで答えを出さなくたって、


よいのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永



SNSを眺めていると、

他人さまの暮らしが、


よく見えることが


ございます。


 

楽しそうな食事。


素敵な旅行。


仕事での活躍。


家族との時間。


 

あー、いいなあ、と


思いながら、


「いいね」を押す。


 

時には、


少し複雑な気持ちで、


「いいね」を押すことも


あるかもしれません。


 

でもね、

 

 

画面を閉じれば、


いつもの、


わたくしの日常。


いつもの朝。


いつもの仕事。


いつもの食事。


いつもの帰り道。


 

そこには、一切、


「いいね」を


押すこともなく、


目を向けることさえも、


あまりございません。


 

誰かが投稿した


素晴らしい一日のように、


わたくしの今日だって、


二度とはかえってこない、


大切な一日なのです。


 

今日も、

 

よく起きたね。


よく働いたね。


よく生きたね。


 

誰にも見せていない


自分の日常にも、


自分で、


「いいね」を押す。


 

まことの、

 

しあわせとは、


自分の人生に、


自分で「いいね」を


押せることなのかも


しれません。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永