慈永さんのブログ

慈永さんのブログ

心が疲れたときに、お役に立てましたら。  (^^)/



ひとを大切にするということ

は、


よく教えられています。


 

一方で、


その同じ心を、


自分自身へも、

 

向けているでしょうか。


 

自分を大切にするとは、


わがままに生きることでは


ありません。


 

自分の本当の気持ちを、


見て見ぬ振りをしたり、

 

なかったことにはしない。


 

悲しさも、


苦しさも、


違和感も、


そこにあるのだ、と、

 

きちんと見つめる。


 

ひとを尊重するのと


同じように、


自分の心も、


決して蔑ろにしない。


 

それこそが、


自分を大切にする、


ということなのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永



忙しくて、時間がない。


 

そう思う日は、


誰にでもございます。


 

けれどね、


本当に


わたくしたちを縛っているの

は、


時間なのでしょうか。


 

時計は、


ただ静かに、


同じ速さで進んでいるだけ。


 

「急がなければ。」


「間に合わない。」


「まだ終わっていない。」


 

わたくしたちの思考のほうが、


自らの心を締めつけているの

 

かもしれません。


 

同じ一時間でも、


穏やかに過ごす人もいれば、


心が休まらない人もいる。


 

その違いを生み出すのは、


時間そのものではなくて、


時間との向き合い方。


 

時間は、


誰にも等しく、

 

今日という一日を、


どう生きますか、と、


静かに問うているだけなのです。


 

心がほどけると、


流れる景色は、

 

少し変わって見える。


 

忙しい時こそ、

 

そのことを、

 

忘れずにいたいものです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永



「傷つきました。」


そう口にすることが


あります。


 

もちろん、


心が痛む出来事は


確かにあります。


けれどね、


少しだけ、


立ち止まってみる。


 

傷ついたのは、


心そのものではなく、


「こうであるはず」


と思っていた、


わたくしの解釈かも


しれません。


 

大切にされるはず。


努力は報われるはず。


誠実であれば誠実が返るはず。


 

その「はず」が、


現実と重ならない時、


わたくしたちは


苦しみます。


 

出来事だけではなく、


そこに与えていた意味が、


心を苦しめるのです。


 

解釈が変わると、


同じ出来事が、


少し違って


見えてくる。


 

過去は変えられなくても、


解釈は、


今から選び直せる。


 

そう心得ておくのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永

人生で起きることには、


すべて意味がある。


 

よく、そう言われます。


 

けれどね、


その「意味」は、


いつも同じ場所に


あるわけではありません。


 

起きたことを、


受け容れることに


意味がある時もある。


 

なぜ、こんなことが


起きたのだろう、と、


問い続けることに


意味がある時もある。


 

そして時には、


こんなことは、


受け容れてはいけない、と、


抗うことにこそ、


意味がある時もある。


 

つまり、


 

出来事の「意味」とは、


受け容れるのか、


問い直すのか、


立ち向かうのか、


その出来事と、


どう向き合うのかによって、


姿を変えるものなのです。


 

だから、


「何事にも意味がある」と、


急いで納得しなくてもいい。


 

大切なことは、


今のわたくしにとって、


この出来事から、

 

何を問われているのか。


そこを、


丁寧に見極める、

 

ということなのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永



自分の人生に、


もう少し余裕があれば、


そう思うことがございます。


 

時間の余裕。


お金の余裕。


心の余裕。


 

けれどね、


その余裕は、


誰かが授けてくれるものでは


ありません。


 

少し早めに動く。


ひとつ片づけておく。


無駄を控える。


身体をいたわる。


そんな、


過去の自分の小さな行いが、


未来の自分に、


余裕を残してくれるのです。


 

一方で、


先延ばしにしたこと。


見て見ぬふりをしたことは、


未来の自分から、


余裕を奪っていく。


 

人生の余裕とは、


過去のわたくしが、


今のわたくしへ贈ってくれた、


静かな贈りもの。


 

だから今日も、


未来のわたくしへ、


少しだけ、

 

贈り物を包んでおくのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永



人生には、


いろいろなことが


ございます。


 

納得できないこと。


理不尽なこと。


もう無理だ、と


思うことだってある。


 

そんな時、


わたくしたちは、


つい他人に向かって、


NOを言いたくなる。


 

もちろん、


NOを言うことが


必要な時もあります。


けれどね、


人生を変えていくのは、


他人へのNOよりも、


自分へのYESなのです。


 

わたくしは、


どう生きたいのか。


何を大切にし、


どこへ向かいたいのか。


誰かを拒むためではなく、


自分を選ぶために、


一歩を踏み出す。


 

人生いろいろあるけれど、


他人にNOを


突きつけ続けるより、


自分の人生に、


静かに、


力強く、


YESと言える。


 

いつだって、

 

そういうわたくしでありたい、

 

と思うのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永



まことの愛とは、


ずっと円満でいることでは


ありません。


 

近いからこそ、


腹が立つこともあるし、


わかってほしくて、


言い過ぎてしまうこともある。


 

諍いをしない関係ではなくて、


諍いをしても、


ごめんね、と言えたり


まあいいか、と笑えたり、

 

諍いしていたことさえ忘れて、

 

一緒の食卓についたり、

 

 

ぐるーーーっと回って、


少しだけ、相手を理解して、

 

戻ってこられる関係。


 

まことの愛とは、


決して壊れないことではなく、


ほどけても、


また結び直せること。


 

何度でも、


戻れる場所がある、

 

ということなのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永



ひとは赤ちゃんに生まれた時、


ミルクをもらい、食事をもらい、

 

誰かに与えてもらうことで、


生きていくことができました。


 

やがて大人になり、


今度は、


自分が誰かへ与える人になる。


支え、


助け、


守る側になる。


 

でもね、


人生はそこで、


終わらないのです。


 

時を重ねて、


してあげる側から、


してもらう側へ。


誰かの手を借りて、


誰かの優しさを受け取る。


 

与えることだけが、


尊いのではありません。


誰かから受け取ることで、


そのひとにも、

 

喜びを感じていただく。


 

与えられ、


与え、


また、与えられる。


 

ひとの一生とは、

 

その営みを、


素直に受け入れていく、

 

ということなのです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永



神さま、仏さまに、


お願いごとをするひとは、


たくさんおります。


 

どうか、


幸せにしてください。


どうか、


苦しみを消してください。


どうか、


世の中を平和にして


ください、と。


 

けれどね、ふと思うのです。


神さま、仏さまも、


わたくしたち人間に、


願っているのではないか、と。


 

わたくしに成り代わって、


目の前のひとを、


笑顔にしてください。


わたくしに成り代わって、


目の前で苦しむひとに、


手を差し伸べてください。


わたくしに成り代わって、


この世を少しでも、


やさしくしてください、と。


 

迷い、


間違え、


傷つき、


時に他人さえも傷つける。


そんな不完全な、


わたくしたちだから、


痛みを知って、


寄り添える。


弱さを知って、


手を差し伸べられる。


 

いつもいつも、

 

お願いするばかりではなくて、

 

神さま、仏さまの願いを、


今日は少しだけ、


わたくしが引き受けてみる。


 

そんな一日があってもいいの

 

です。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永



幸せになりたい、


そう願うことは、


とても自然なことです。


 

けれどね、


わたくしたちは時々、


幸せそのものではなく、


「幸せの形」に、


こだわってしまう。


 

例えば、


「ひとを笑顔にしたい」


と思った時。


別に、

 

お笑い芸人にならなくても、


美味しいご飯でも、


やさしい言葉でも、


ひとは笑顔になれる。


 

大切なことは、


何になるかではなく、


何を届けたいのか。


 

意図せず幸せから遠ざかって

 

しまうのは、


「この形でなければ」


と握りしめてしまうから。

 

よく、心得ておくことです。


 

乃至法界平等利益

感謝、合掌

慈永