慈永さんのブログ -2ページ目
「得る」ことよりも、
「失わない」こと。
「増やす」ことよりも、
「減らさない」こと。
いくつになっても、
チャレンジは大切。
でもね、
若い頃のチャレンジと
人生後半のチャレンジでは、
失ったら取り返せないものが
ある。
人生の後半からは、
「得る」ということよりも、
「失わない」。
それを心得ておくことです。
感謝、合掌
慈永
ひとは、
真実を語っているのではなく、
事実というものを、
自分なりに解釈しているだけ
なのかもしれません。
なせならば、
「真実」とは、
「事実」を、
どのように「解釈」したか?、
であって、
人それぞれで決まるからです。
そうであるならば、
そのひとその人の「解釈」で
決まるものを議論することに
意味はなく、
「事実」そのものの正確性、
と、
「解釈」の仕方の妥当性、
そここそを、
もっと議論すべきなのです。
ひとは、
真実を語っているのではなく、
事実というものを、
自分なりに解釈しているだけ
なのかもしれません。
感謝、合掌
慈永
遠回りした日々にも、
ちゃんと意味がある。
人生の寄り道は、
一見、
無駄なようにも見える。
でもね、
そのおかげで、
わたくしたちは無二の経験を
積んで、
人生という道幅を拡げていく。
寄り道、大いに結構。
過去の無駄を回収する。
それもまた、人生。
感謝、合掌
慈永
あなたは、良いひとですか?
あなたは、悪いひとですか?
良いひとだと言い切れるひと
は少ないし、
悪いひとだと言い切れるひと
も少ない。
この世の中に存在するものは、
あまねく、両面があるのです。
悪の中に、善を、
善の中に、悪を、
バランスを取って観よう、
と心がける。
そうこうしていくうちに、
悪の認識が変わり、
善の認識も変わる。
そう、
それが、
悟りへと、
一歩、近づく道。
感謝、合掌
慈永
人生で学ぶことは無限にある
のです。
わたくしたちが、
「ここまで学べて良かった」、
と満足しているのは、
自分が意識できていた範囲を
満たしたからであって、
その外側には、
まだまだ知らない世界がある。
多少、何かが分かったところ
で、
それは、
本質というもののほんの一部
なのかもしれない。
いつも、そのように心得て、
謙虚に学び続けるということ
です。
感謝、合掌
慈永
まず最初に、
「守る」ということ。
次に、
「破る」ということ。
そして、
「離れる」ということ。
「守る」ということは、
習ったとおりにやり抜く、
ということ。
「破る」ということは、
やり抜いた経験から、
創意工夫をする、
ということ。
「離れる」ということは、
新たな道を切り拓く、
ということ。
この世の中は、諸行無常。
「常」では無い。
だからこそ、
自らで、
その「常」を打ち破る、
と心得ておくのです。
感謝、合掌
慈永
ひとさまのこととか、
後回しでいいので、
まずは自分をご機嫌にする。
わたくしがご機嫌でないと、
自分でも知らないうちに
周りの人たちに迷惑をかけて
しまうことがあるのです。
ひとさまに何を言われようが、
いつも自分をご機嫌にする。
それこそが、
他人に左右されない生き方。
感謝、合掌
慈永
もとより、
ひとに嫌われたい、
そう思う方はいない、
と思います。
しかしながら、
自分と気が合うか、とか、
自分と意見が合うか、とか、
そういったことで好き嫌いが
決まったりすることにこそ、
好き嫌いの難しさがある、
というわけです。
ひとは、みな、違う。
そうであるならば、
自分と気が合わない、とか、
自分と意見が合わない、とか、
仮に、
そういったことで嫌われても
やむを得ない、
そう腹落ちさせることも大切
だ、と心得ておくことです。
感謝、合掌
慈永
「いい人生だった」
そう言って旅立ちたいならば、
今日を疎かにしないことです。
ひとは、いつ召されるのかは、
誰にも分からない。
今日を疎かにしているひとが、
今日、召されたとするならば、
必ずや後悔が残るのです。
人生とは、毎日の積み重ね。
今日という日を疎かにしない、
ということなのです。
感謝、合掌
慈永
生きるほどに分かること。
生きるほどに分からなくなる
こと。
そう簡単に
人生の答えは出なくとも、
今日を乗り越える力があれば
それだけで救われる日もある。
何とかなりますよ。
必ず、
何とかなります。
感謝、合掌
慈永

