2022年 7月11日、千葉県流山市の神社を巡りました。

 

 赤城神社 

 流山市内の赤城山は、海抜15メートルのお椀を伏せたような小山で、山頂に赤城神社が祀られています。

by境内の由緒版

◇鎮座地:千葉県流山市流山649

◇最寄駅:流鉄 流山線・平和台駅~650m

◇バス停:京成バス・南流山八丁目~210m

(JR武蔵野線・南流山駅北口[松71]流山駅行)

◇御祭神:大己貴命

◇御朱印:期間限定授与→正月&例大祭

 

 

 

【参道】

 ◆参道入口

 入口は「天晴(あっぱれ)通り」という名の小径に面しています。

流山は調味料=味醂(みりん)の町。この通りの名は、商品名「天晴」に由来します。

 

 

◆一之鳥居

 叉木と呼ばれる、木組み&屋根付きの鳥居?です。

本来、こちらに巨大注連縄があるのですが、修繕のため撤去されていました。

 

 

《参考》巨大注連縄

 長さ6.5m、重さ500kg。

例年10月に「大注連縄行事」を斎行。氏子や地元住民が協力して1日で造ります。

※写真は、千葉県公式観光物産サイト『まるごとe!ちば』より拝借

 

 

◆二之鳥居

 注連縄が緩めに張られていて、かなり下がっています。

 

 

◆紙垂

 常夜燈や小さな石碑に至るまで、ていねいに紙垂がつけられています。

 

 

◆石段

 ステンレス製の手摺りが設置されています。参拝者にとって、ありがたいことです。

 

 

◆狛犬

 

 

 

◆手水舎

 

 

◆水面の波紋

 細々とではありますが、流れ続ける水。この姿勢に敬意を表します。

気分よくみそぎができます。

 

 

◆手水舎から拝殿を遠望

 

 

◎上野国・赤城神社のこと

 群馬県の赤城山を神体山として祀る神社です。そもそもが、赤城山に対する山岳信仰に由来する神社です。関東地方を中心に、300社ほど存在する、と言われています。

 延喜式「神名帳」に掲載され、名神大社と格付けされる古社です。

ただし、論社が3社あり、まだ比定されておりません。

 

 とくに、2社が有力です。

◇三夜沢 赤城神社(赤城山 中腹)

◇大洞 赤城神社(赤城山 山頂)

 

【祭神】

 前者=大己貴神、豊城入彦命

 後者=磐筒男神、磐筒女神、大国主神、経津主神

 

 

 

【社殿】

◆拝殿

 当社の御祭神は大己貴神。よって、「三夜沢」からの勧請と推測できます。

 

 

◆流山という地名のこと

・ 説1=鎌倉時代は、建長年間(1249~56)に上州・赤城山の一部が崩れて当地に流れ着いたことから、「流山」。 

 

・説2=洪水のとき上州赤城神社のお札がこの山に流れて来た。よって「流山」

by当社碑文

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◎赤城神社総本宮(三夜沢)の祭神

 豊城入彦命(とよきいりひこ)とは、第10代・崇神天皇の皇子。記紀に登場します。

 

 日本書紀によれば、崇神天皇は二人の息子(=豊城命と活目尊)のどちらを後継者にするか悩み、それぞれの見た夢で占いました。

 豊城命は、御諸山(=三輪山)に登り、東に向かって槍や刀を振り回す夢。活目尊は御諸山に登り、四方に縄を張って雀を追い払う夢を見ました。

 その結果、弟の活目尊は領土確保と農耕の振興を考えているとして位を継がせました。一方、豊城命は東に向かって武器を振るったので、東国を治めさせました。

by玄松子『祭神記』

 

 豊城入彦命は上毛野、下毛野氏の祖先となります。この神を祀るのは、赤城神社のほか、栃木県の二荒山神社や茨城県の佐志能神社など。

 

 

 

◆本殿

 

一風、変わった意匠の木造覆い殿。

 

 

 

【境内社】

鳥居付きの境内社が2社あります。

 

◆松尾神社

本殿に向って左サイドのスペースに鎮座

 

祭神は、おそらく大山咋神かと思われます。

 

 

◆水神宮

 本殿の裏手に鎮座

 

祭神は、おそらく罔象女神(みつはのめのかみ)かと思われます。

 

 

◆筑波神社

 本殿に向って右サイドに鎮座

祭神は、おそらく筑波男ノ神(=伊弉諾尊)、筑波女ノ神(=伊弉冊尊)

 

 

◆寄せ宮

 左から、①羽黒神社、②弁財天、③足尾神社、④船玉神社、⑤三峯神社、⑥天神社、⑦稲森神社、⑧大黒天、以上です。②と⑧は「七福神」ですね。

 

 

◆寄せ宮の手前・石碑

《天照皇太神宮、八幡大菩薩、春日大明神》と彫られています。いわゆる、三社明神です。その両サイドは、左に秋葉大権現、右に愛宕大権現

 

 

◆大杉大明神

 参道石段の脇、赤城山の中腹に鎮座。いわゆる「あんば様」です。

 

 

◆2社

 古木の根元に石碑「弁財天」、左奥の小祠は「針供養之神」

 

 

◆太子信仰

 聖徳太子と刻まれた石碑

 

 

◆脇参道

 表参道石段の左手にいわゆる「女坂」ゆるやかな坂道仕様です。

写真は頂上から振り返りました。一部に石段あり。

 

 

◆神仏習合

 庚申塔、馬頭観音や青面金剛が並びます。

筆者が神社巡りを始めた頃は、「神道 原理主義」的な傾向がありました。しかし、地方の小さな町の小さな神社をいくつもお参りしてきた結果、このあたり少し「丸く」なりました。神社境内に仏教施設があることへの違和感はかなり薄らぎました。

 

 側高神社(香取神宮第1摂社)の宮司がおっしゃられていた言葉が思い出されます。

→神さま・仏さまを分け隔てなく感謝・敬愛していくのが本来の姿なのです。と。

 

 

◆波切不動尊像

 

 

◆慰霊碑

 こちらは、国民のために尽くした結果、命を落とされた方々。筆者は、参拝当初よりどこの神社に置いても忠魂碑や慰霊碑などに敬意を持ち続けています。

慰霊碑の周辺は、たいてい涼しい風が吹いています。

 

 

◆社務所

 赤いトタン屋根の木造建屋。山荘風です。

 

 

 

【御朱印】

正月・例大祭(10/19・20)なら、いただけます。

 

 

【参拝ルート】

2022年 7月11日

START=JR武蔵野線・新松戸駅~100m~流鉄・幸谷駅→流山線→ 平和台駅~650m~①赤城神社 ~平和台駅→流山線→鰭ヶ崎(ひれがさき)駅~1km~②熊野神社~鰭ヶ崎駅→流山線→幸谷駅~JR武蔵野線・新松戸駅=GOAL

 

 

 

【編集後記】

◆流鉄(りゅうてつ)

 流山線は、馬橋駅から流山駅までの5.7kmを6駅・単線で結びます。

馬橋駅は常磐線、幸谷駅は、常磐線&武蔵野線と接続します。

この日、筆者が乗車した車両は「あかぎ号」でした。列車は2両編成です。

※筆者記事『流山浅間神社』(2018年)にて使用した写真を流用しました。

 

 

◆野田の醤油・流山の味醂

 江戸中期の文化11年、酒造りを営んでいた流山の相模屋当主=堀切紋次郎は、きれいに澄んだ白みりんの醸造に成功しました。これが江戸市中で大人気となり、東名物(あずま名物)として、日本全土に広まりました。これが、今のマンジョウ本みりんです。

byキッコーマンHP

 

◆赤城神社の雰囲気

 無人社でしたが、境内は氏子さんらの努力でしょうか。ていねいに清掃されていました。また、手水舎の水も細々ではありましたが、流れ続けていました。こうしたことが、境内の清浄感を生み出していると感じました。良い神社です。(了)