2022年 6月21日、八千代市の『飯綱大権現道』を歩きました。京成大和田駅から成田街道を経て飯綱神社まで。神社参拝と”街道歩き”を存分に楽しんできました。
◆道標
『可やた山
いつ奈大権現道』
大和田駅を出発して北に向かいます。成田街道との交差点付近は、河野畳店の向かいにこの道標が建てられています。この交差点は、古道なので十字路仕様にしおりません。クランク状に交差させるのが慣わしでした。その面影を残しています。
ここから飯綱権現(=飯綱神社)まで2.2kmです。
◆道標 かやだ道
『右 むらかみ 左 かやだ』
路傍にいくつかの庚申塔や青面金剛などが並ぶポイントがあって、この道標も一緒に並びます。
『かやだ道」とは、『いつ奈大権現道』の別名です。
◆庚申塔群
八千代警察署を過ぎて、ほどなく左手に鬱蒼とした場所が出現。「市民の森」的に整備されているかも、と、地元の方にお尋ねしたところ、「ただの茂み」だそうです。
庚申塔、青面金剛像、二十三夜搭、などが並びます。眺めていると、江戸時代~明治期頃にタイムスリップしたような気分になります。
◆神仏混淆社1
鳥居の向こう、社殿は仏教的な施設のようです。正体は不明。
こういう素朴な信仰の形跡があちこちで見受けられる古道です。
◆長福寺
かつて、飯綱大権現の別当寺でした。
◆神仏習合社2
正体不明。鳥居の奥に仏教系の社殿。
◆田園風景
街道右手に現れます。
◆飯綱神社の丘を遠望
2回目の行脚なので、迷うことなく歩けましたが、萱田下の時平神社を見落としてしまいました。
【飯綱神社】
◆社号標
『かやだ大権現道』のゴールは、飯綱神社です。
◆石段
わずか58段なのですが、石段の奥行きが狭く、急勾配なので疲れます。
◆頂上付近から鼓楼を望む
府中・大國魂神社、高田馬場・穴八幡にも鼓楼がありますが、これらを超える大きさです。
◆手水舎
清めの水は豪快に流れ出ています。柄杓があります。嬉しい。
◆手水舎から下界を望む
この丘は、通称「権現山」
文明11年(1479)に太田道灌が米本城を攻めた際、陣を張りました。
◆手水舎から拝殿を望む
◆表参道の境内社
右から、三峯神社、阿夫利神社、古峯神社
◆拝殿
◆由緒
太田道灌が当地に持参した「十一面観音像」に戦勝祈願。戦に勝利し、帰路に就く際、観音像を地中に埋めました。それから約140年後の元和8年(1622)、白狐が連夜17日も泣き続けました。白狐は村人に「我は飯綱権現なり。道灌の観音像が地中に埋まっている。この世に再誕させれば、一切衆生を救済する。」と、神託しました。
村人は、早速に掘り出して、お堂を建てて像を安置しました。それが、本殿裏の観音堂です。(今はありません)
以来、「飯綱大権現」として、幕末まで神仏習合・修験道の神社として信仰されました。明治の神仏分離において、「飯綱神社」として再出発しました。
◆本殿
◆瑞垣
『二十四孝』の物語を彫りあげた木製瑞垣。緻密です。
【境内点描】
◆鼓楼
明治の「神仏分離」において、政府から仏教施設の移築命令が出ました。しかし、当社ではこの鐘撞き堂だけがそのまま残されました。
やや「頭でっかち」な建造物です。
◆仏教関連施設
『吉橋大師講 八十八か所』の三十番=萬善寺が廃寺となり、こちらに移築。ほかにも大きな地蔵などが見えます。
◆境内社
仙元宮
子育大神(=木花開耶媛命)
◆石像
左:足尾神、右:子安観音
◆裏参道(=女坂)
こちらは、ゆるやかなスロープになっています。自動車の通行も可能。
◆西参道
隣接する「飯綱近隣公園」からの入路もまた緩いスロープです。
◆西の鳥居
この季節、青モミジが美しい参道です。
◆八千代市 文化伝承館
境内の西側は、駐車スペースとこの伝承館があります。
【御朱印】
飯綱神社は御朱印の有無が不明です。
【大権現道を歩く】
2022年 6月21日
START=京成線・大和田駅~1km~道標「可やた山 いつ奈大権現道」~550m~道標「かやだ道」~200m~庚申塚~1.3km~飯綱神社~350m~東洋バス・ゆりのき台 第二バス停~950m~東葉高速線・八千代中央駅=GOAL
【編集後記】
◆八千代市
船橋市と佐倉市・成田市の狭間の小さな市です。しかし、史跡や古社、あるいは神楽が残っていてる素敵な地域です。
飯綱神社は、神仏習合の気配が濃厚な神社で、見晴らしが抜群に良くて長閑な風景を俯瞰できます。境内の居心地も良好でした。(了)