その1、西側諸国の一員になり、民主化を進めて、
経済発展を遂げること・・・
その2、西側資本でシベリアを開発して、
中国と接する長い国境の脅威を無くすこと・・・
長い年月、国境紛争が続いていました。
中ロは、東シベリアの国境を巡って、
1969年から、断続的に紛争状態が続き、
1991年、国境協定が成立しても、紆余曲折があり、
2004年、ようやく双方は、国境問題の解決を宣言
国境のアムール川に、道路橋が計画されましたが、
それでも、ロシアの中国への不信感は、根強く・・・
ロシアは、西側資本でのシベリア開発を試みましたが、
ヨーロッパは、ウラル山脈以遠に関心を示しません。
日本にも、第2シベリア鉄道やその他を打診
日本が協力したのは、エネルギー確保が見込める、
サハリンの天然ガス開発だけです。
一方、中国は国境問題の解決を機に、
友好を掲げて、多くの中国人がシベリアへ進出
借地権を得て農業や、その他の事業を始めました。
ロシアは、一定数の中国人を受け入れましたが、
それ以上の受け入れには、難色を示していました。
その理由は、圧倒的な人口の違いです。
東シベリアのロシア人、600万人
国境のアムール川対岸の中国人、1憶1000万人
人口比で20倍近い開きがあり、
しかも、長い国境線の背後は、世界最大の兵力を誇る、
人民解放軍が控えています。
ロシアが中国の一路一帯構想に、距離を置いているのは、
国境紛争が終わっても、中国を脅威と感じるから・・・
ロシアは、シベリアの長い国境線を守るために、
多くの兵力が必要です。
そのため、ヨーロッパの軍事的な圧力を減らそうと、
NATOの不拡大を求めました。
でも、全く受け入れてもらえませんでした。
(つづく)
今日が良き日であります様に・・・