『禅』に触発されて、円覚寺へ その②
円覚寺さんへ行って感動したこと
こんにちは。Aikoです。
禅と日本文化や
いくつかの著作を読み
すごく好きになった鈴木大拙が
参禅していた円覚寺へ
わくわく行ってまいりました
今日はその続きです。
円覚寺さんへ行って感動したこと
円覚寺さんへ行って
とても感動したことがひとつあります。
ご本尊のことです。
私は『創造主として生きる』というのを
とても大切にしています。
創造主の生き方
常に私が生きる上で
(たとえうまくできなくても)
フォーカスを「大宇宙そのもの」に合わせて
現生での出来事のドラマだけに溺れず
目に見えることから
頭ひとつ出して
全ては同源である
宇宙の意識からも
全てを見ることを忘れないこと。
簡単にできることではないけれど
そのような姿勢を大切にしてきました。
私のスピの源流に出会えたかも!?
そして今回
円覚寺のご本尊の説明を読んだ時に
『あれ?似ている?!』って
驚いたのでした。
パンフレットの言葉
パンフレットの中の
「仏様」という言葉を
「創造主」や「クリエイター」、「THE ONE」へ
置き換えても
意味が通じてくるように思いました。
「創造主を生きる」
私が今、目指していることの源流を
体現してくれている仏像が
宝冠釈迦如来(毘慮遮那仏)として
ここにお祀りされていたのかも…!と
とても感動したのでした。
(全然違うかもしれないけど、
私なりにそう思ったのです)
「光の仏」あるいは「太陽の仏」
ご本尊についての説明がありました。
円覚寺さんのHPから抜粋します。
「毘慮遮那仏というのは華厳経の本尊です。
これはヴァイローチャナ・プッダ、それを音訳して中国の言葉で毘盧遮那仏と言います。
…毘慮遮那仏は、「光の仏」あるいは「太陽の仏」という意味になります。」
「その毘慮遮那仏は、われわれが今生きている宇宙世界そのものです。
現に生きている世界だから、見渡してみるとわれわれは宇宙を見ているのですが、われわれの目に見えるものは建物とか皆さまの姿とか、広々とした東京とか、せいぜい大空とか、そういうものしか日に映らないのですね。
ところが毘慮遮那仏は宇宙そのものですから、目に入ってこないのです。
だからわれわれが今生きているということは、自分は意識しないけれども、実は毘盧遮那仏のまっただなかに生きているのです。」
※抜粋では毘慮遮那仏と書かれていますが
毘慮遮那仏と宝冠釈迦如来は同じです。
元々は華厳の毘慮遮那仏として
お祀りされていましたが
後に宝冠釈迦如来と呼ばれるようになりました。
現代スピリチュアルの源流
そう、目に見えなくても
私たちは宇宙の真っ只中に生きています。
私たちは目に見える現実の世界に
いつも気を取られているけれど
でも神の創造が結実、終了した世界に
ぽいと放りこまれて
闇雲に生きているのではなくて
本当は、瞬間瞬間、現実が結実する前の
「創造主のエネルギー」そのものを
その真っ只中を
生きているのだと思います
私の目指すスピリチュアルの源流に
少しだけ出会うことができたように思えて
円覚寺さんを訪れることができて
良かったなと思いました
鈴木大拙がたびたび引用してくる
キリスト教のドミニコ会の総長だった
マイスター・エックハルトの説く
「一つなるもの」という概念の教えにも
同じような思いを感じたことがあります。
北鎌倉周辺はまだまだ
禅宗のお寺がたくさんあるので
しばらく、色々なお寺を
ふらりさらりと
遠足に通おうかと思います
今後の楽しみが増えました。
本日もお読みくださりありがとうございました
愛するあなたへ
Aiko(愛子)
LINEアカウント開設
LINEお友達でセッションが
30%OFF
@570rpgdz
お申し込み・お問い合わせも便利なLINEから
お友達になってくださいね
ゼロポイントヒーリングは
このような方へおすすめです
●ありのままの自分を生きたい。
●もっと楽しく生きたい。
●傷つきやすさを脱却したい。
●愛されていないように感じる。
●自分を愛したい。
●大きな視点で人生を見てみたい。
●本当の自分・魂への理解を深めたい。
●自分軸で生きたい。
●自分を癒し平安を得たい。
●スターシードを純粋に生きたい。
そのような方に
↓↓↓
しっかりカウンセリング
オーダーメイドの高次元ヒーリング
あなたの願いにピッタリの宇宙語と
ゼロポイント(宇宙の源)からの
ゼロポイントヒーリングで
元氣に幸せに生きよう
🧚♀️ホームページ