連日報道されているように、九州を始め多くの地方で水害による大きな被害が起きています。
河川の氾濫、山崩れ、家屋浸水、強風による被害、等々見るからに悲惨な出来事に目を覆うばかりです。
以前の梅雨は「しとしと・じとじと」と言った印象でしたが、ここ数年は集中豪雨による被害に悩まされています。
以前の梅雨時が懐かしく感じるくらいです。
確か当時は鬱陶しい時期でした。
でも「しとしと」降る雨に何となく郷愁を感じ「せつなさや憂い」といった表現が合っていました。
俳句の季語でも梅雨時の印象は、このようは表現が似合っていました。
しかし、昨今は地球環境の変化とでもいうのでしょうか?
日本自体も熱帯化してきて、季節感にも大きな変化が生まれてきました。
昨年も同じような災害が発生していて、日本全体でどこに居ても同じような被害に遭う可能性があるのです。
泥だらけになった家屋、吹き飛ばされた屋根、濁流にのまされた車、ヘルに救出された人々、毎年同じ悪夢を見ているようで、私たち人間の力の無力さを見せつけられています。
歴史的に見て、同じことが繰り返されています。
武田信玄が築いた「信玄堤」があると聞きました。
信玄が甲斐の国を治める大きなきっかけになったのは「治水」だったようです。
水と争うのではなく、水と共存することで難を軽減する。
そんな災害も完全に食い止めることはできません。
今回のコロナに関しても同様です。
如何に共存できることを探し求めるか?
これがこれからも求められる課題だと思うのですが・・・・・?