昨日、NHKの新春討論番組を見ました。(激論2009 世界はどこへ そして日本は)
こうした討論番組を見て、毎回思うのは、
なぜ○か×かという二元論なのか?
なぜサマリーを行いつつの進行をしないのか?
なぜファシリテーションという概念なく進行するのか?
といった疑問です。
討論番組というと、二手に分かれて議論を戦わせるという方法がテレビ番組では古くから行われているけれど、あることについてはこの人と賛成、あることについてはこの人と反対ということが当然あると思われるのに、番組の最初から最後までが二手に分かれたきりで、結局、議論が終わった時点で、双方の溝が深まっただけという印象をぬぐえないのは、おそらく多くの視聴者の感想なのではないかと・・・ この点について、かつてNHKのあるディレクターさんとお話する機会があったのですが、どちらかの主張を組み入れたサマリーを出してしまうと公平性に欠くといったようなことをおっしゃってました。まぁ その立場はわからないでもないですが・・・
こういった討論番組で何が足りないかと言えば、
1.双方が同意を取れている部分はどこか、共通点はどこかを進行役が見極め指摘し、参加者に確認すると言うこと
2.結果として、こういう方向性は一致している、あるいは、こういう条件がそろえば、こういう同意が双方から得られるという部分を指摘すること
3.各段階でのサマリーを(多少まちがっていようが)していくこと
そして最も決定的に必要だと思ったのは、ファシリテーションの重要性ですね。
論点が拡散していってしまったら戻すとか、互いの主張から見えるより高い次元での解決点を見出す能力とか、互いの主張のどこがどう違っているのかを参加者自身にわからせてあげながら、一致点を見出すこと、限られた時間内で、参加者の正しい知見を最大限引き出す能力といったものです。
こうしたことができなければ、議論が結局空中戦で終わり、見ているほうも、「結局、解決策などないのだな」という落胆を迎えることになるわけです。
もちろん、双方の主張にはそれなりの論拠があってのことでしょう。しかし、起こっている事実はストーリーとして一つでその原因も複雑であれ存在しますし、未来の政策決定も何らかの選択を行っていかざるを得ません。だからこそ、進行役は一歩高い視点から、双方がどういう立ち位置や背景からものを言っているのかを正確に読み取る能力が必要となります。
出演者も「自分の主張はあくまで正しく、わからないあなたが悪い。わからせてあげます。」的なスタンスであれば互いの成長もないことでしょう。 「あなたのこの点は同意できるが、この点はどうしてこう考えるのか? なぜそう考えるのか?」といった深いやりとりから、互いの主張を超えた何かが生み出されるのに・・・・と大変もったいないなという感想を持ちますね。 討論するうちに意見や主張が変化することだって当然あるはずだと思うわけです。あるいは、妥協点なり、全く新たな提案を発見して提案してみたりってことでもよいでしょう。
討論番組には優れたファシリテーション技術を備えた司会者が必要だと思います。
おそらく企業コーチングなどのプロの専門家の中には、日本狭しといえども、優れたファシリテーターがいるはずで、NHKもそうした人材の発掘に尽力していただければと感じざるを得ませんでした。いつも「では、このへんでそろそろ時間切れなので」ということで、何の結論も出さない討論番組構成では先にすすめないなと思いました。