アルビントフラー氏 ”富の未来”を読んで その2 楽観論 | 続・教育のとびら

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主宰 福島 毅(どんぐり)

再び、アルビントフラー氏 ”富の未来”下巻 p330からの引用を踏まえて、コメントしていきたいと思います。

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 悲観論をとなえるのは、賢明さを装いたい人にとってとくに便利な方法のひとつだ。そして悲観的になる材料は山ほどある。だが、いつも悲観論をとなえていては、考えることを放棄する結果になる。「悲観論者が天体の神秘を解明したことはないし、地図にない土地を発見したことはないし、人間の精神に新しい地平を切り開いたこともない」とヘレンケラーは書いている。
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コメント:今の世界情勢で不安な材料は確かに山積みですね。しかし確かにヘレンケラーが述べたように、悲観論にはまると思考を停止するように思います。ではどうするかという次の一歩を提案していく。問題解決を死ぬまで試みていくこと・・・それが生きる意味なのかもしれません。

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 本書で強調してきたように、通常の経済学の枠組みでは新興の富の体制は理解できず、この制度の将来をかいま見るだけのためですら、先史の昔からいままで、そして将来まで、あらゆる富の創出の土台にある基礎的条件の深部に注目する必要がある。・・・基礎的条件の深部には仕事の種類、分業、交換、エネルギー供給、家族制度、特徴的な自然環境などがある。だが、基礎的条件の深部にある要因のうち、ほとんど検討されていないが、将来にとってとくに重要なものに、時間、空間、知識があり、いずれも専用の図書館が必要になるほどのテーマである。
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コメント:トフラー氏は著書のなかで一貫して時間・空間・知識について語っています。時間とは同時性の亀裂によりロスが生じていること(例えば顧客分析、生産サイドと営業サイドの非同期)、空間とは交通手段や情報通信手段の進化により、空間が狭まったり、富を生み出す企業と技術的空間が劇的に変化していることなど(かつての日本の工業が中国・インドなどに移っていることなどや、テロとの戦いが国家間の争いではないことのように、空間的なダイナミズムが変わっていること。
 そして知識システムにおいても革命的な変化がおきているとの指摘においては、仕事に必要な知識やスキルが要求され、変更され、また要求される世の中。ある技術がすぐに新進気鋭の技術にとって変わられる世の中、そのような中で構造的な転換にわれわれがどう対処したらよいのかということを考えさせられました。

 教育に立ち戻れば、産業革命以降のマス教育がいまだ展開されていることは事実で、もちろん、そういった従来の知識習得型学習が必要な場面があることも認められましょう。例えば読み書き計算といった基礎学習はいつの世も必要になってくるでしょう。言語習得についてもそうです。
 一方で時間的にも空間的にもダイナミックに速く変化する世の中に適応していくための教育手段と内容は再検討されなくてはなりません。今回、私がこの”富の未来”に注目したのは、時代はどう変化し、何が求められていくのか、そのために教育はどういう舵を切っていったらいいのかということを考えるためのものでした。