村へ | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

ディワリの翌日、村へ行くことに。マヌーの結婚式に出る決心が着いたので。

 


ずーっと行くのを拒んで来たのは「村に行くと嫌な事が起こるから」という漠然とした大きな感覚。


でも良い事ばかりの世界なんてあるかい?と、私自身の心の内を穏やかにするため内省していた。


すべては自分次第。恐れてばかりでは前に進めない。


今年のランゴーリ。今の大変な地球に光が灯るよう、願いを込めてみた。

 


ディワリでは蠍座ヴィシャカ(私の出生のラフーと重)で新月を迎えた。火星も巡行し、重苦しくシリアスだった思い込みの肩の荷が降りた感覚。


祭事も無事にやり遂げて、一段落着いたから何とでもなるさという確信と共に、夫と2人ガラガラのローカルバスに乗り込んだ。




前日のディワリ祭での花火使用自粛を促す看板が。今年はインドも大変革の年。


夫の村、バルサーの中心街。寂し位小さな村。

夜、到着した私たちを、お義母さんと義弟のお嫁さんがディワリの郷土料理で迎えてくれた。

 


夫の幼馴染、マヌーは不思議君。英語が分かるくせにロクに話さない。シャイなのか自信がないのか。なので何を考えているのか良く分からない。だから以前彼が問題を起こした時、困ってるなら言ってくれればという後悔が残った。周囲からのプレッシャーが強く、発揮出来てない感じ。

 

たった1人の兄を思春期に亡くし、父親を亡くしたばかりのアシーシ君(夫)と学校をサボっては、湖や森で時間をつぶしたらしい。笑。夫の宿題は全部マヌーが写させてくれたそう。笑笑

 

繊細なんだよね。

 

傷を舐め合う様な友情。尾崎豊か?

 

バイク盗まなくても村では借り放題だし。笑

 

 

元々、私は曲がった事が大嫌いなのに、何故かヤンチャな男子ばかりと縁がある。シャイでピュアで不器用。そういうの、めっちゃ腹立つのに。


そう言えば、これまで付き合った人たちも、本当に色んな問題を起こしてくれた。アメリカではJail見学もさせてもらったし。


今思うと貴重な体験。笑

 


相手が悪くて自分は正しい。。。

 

。。そんな関係は、とても辛い。



何度も何度も、一度は通った心を断ち切る事を繰り返さなければならず、傷だらけでやっと大人になったのに、インドでも非行青年なんてもうウンザリ。このパターンは何なんだろう?

 

人をジャッジしたい心。


他人をコントロールしたい心。

 


そんなエセ正義感が、私の中に潜んでいると思った。もう、やめよう。相手の問題を盗んで、相手の人生を盗んで、自分の心の穴を埋めるのは窃盗罪だ。

 

 

私の問題じゃない。

 

 

潔く手放せないと、今度こそ村の深い深い闇の全てに絡め盗られてしまう。笑


相手の違いを尊重し、共存する。


初めて、そのやり方を学んでいる。


私だって私の来た道しか行けない。

 

 

「正義」だって、場所によりけりで。お箸や靴の向きを揃えるような「正しさ」は、ここの人たちにとって意味を成さない。

 


私が自分を愛する事を本当に学んだのなら

相手の望む愛を示すことも出来るだろう。

 

以前の私なら、泣きながらでも絶交して社会常識へ右ならえする事を選んだ。

 

 


乗り継ぎの町ウナに到着した途端、雷が鳴り響きターミナル全体が停電。隣接する店の看板からバチンと派手に火花が散って、旅の景気付けをしてくれた。

 

結婚式に履く靴がないのを思い出し、この店で見繕った。都会にもあるチェーン店だけど、田舎の店員さんは一生懸命接客してくれて素敵。私が冷静に見ることができれば、村にも良い所が沢山あるのに。

 

村で待っているお義母さんのこと


夏に嫁いで来た義弟のお嫁さんのこと

 

考えすぎないようにしていた。

 


コロナ禍で考える余裕もない今は、幸いなのかもと思う。

 

思いやりの気持ちは世界共通だけど、

自分のやり方を押し付けてはいけない。


その人の生き方はその人だけのもの。

 

どこの国でも、どんな人といても

どの瞬間も忘れたくないこと。