ディワリの翌日、村へ行くことに。マヌーの結婚式に出る決心が着いたので。
ずーっと行くのを拒んで来たのは「村に行くと嫌な事が起こるから」という漠然とした大きな感覚。
でも良い事ばかりの世界なんてあるかい?と、私自身の心の内を穏やかにするため内省していた。
すべては自分次第。恐れてばかりでは前に進めない。
ディワリでは蠍座ヴィシャカ(私の出生のラフーと重)で新月を迎えた。火星も巡行し、重苦しくシリアスだった思い込みの肩の荷が降りた感覚。
祭事も無事にやり遂げて、一段落着いたから何とでもなるさという確信と共に、夫と2人ガラガラのローカルバスに乗り込んだ。
夫の幼馴染、マヌーは不思議君。英語が分かるくせにロクに話さない。シャイなのか自信がないのか。なので何を考えているのか良く分からない。だから以前彼が問題を起こした時、困ってるなら言ってくれればという後悔が残った。周囲からのプレッシャーが強く、発揮出来てない感じ。
たった1人の兄を思春期に亡くし、父親を亡くしたばかりのアシーシ君(夫)と学校をサボっては、湖や森で時間をつぶしたらしい。笑。夫の宿題は全部マヌーが写させてくれたそう。笑笑
繊細なんだよね。
傷を舐め合う様な友情。尾崎豊か?
バイク盗まなくても村では借り放題だし。笑
元々、私は曲がった事が大嫌いなのに、何故かヤンチャな男子ばかりと縁がある。シャイでピュアで不器用。そういうの、めっちゃ腹立つのに。
そう言えば、これまで付き合った人たちも、本当に色んな問題を起こしてくれた。アメリカではJail見学もさせてもらったし。
今思うと貴重な体験。笑
相手が悪くて自分は正しい。。。
。。そんな関係は、とても辛い。
何度も何度も、一度は通った心を断ち切る事を繰り返さなければならず、傷だらけでやっと大人になったのに、インドでも非行青年なんてもうウンザリ。このパターンは何なんだろう?
人をジャッジしたい心。
他人をコントロールしたい心。
そんなエセ正義感が、私の中に潜んでいると思った。もう、やめよう。相手の問題を盗んで、相手の人生を盗んで、自分の心の穴を埋めるのは窃盗罪だ。
私の問題じゃない。
潔く手放せないと、今度こそ村の深い深い闇の全てに絡め盗られてしまう。笑
相手の違いを尊重し、共存する。
初めて、そのやり方を学んでいる。
私だって私の来た道しか行けない。
「正義」だって、場所によりけりで。お箸や靴の向きを揃えるような「正しさ」は、ここの人たちにとって意味を成さない。
私が自分を愛する事を本当に学んだのなら
相手の望む愛を示すことも出来るだろう。
以前の私なら、泣きながらでも絶交して社会常識へ右ならえする事を選んだ。
乗り継ぎの町ウナに到着した途端、雷が鳴り響きターミナル全体が停電。隣接する店の看板からバチンと派手に火花が散って、旅の景気付けをしてくれた。
結婚式に履く靴がないのを思い出し、この店で見繕った。都会にもあるチェーン店だけど、田舎の店員さんは一生懸命接客してくれて素敵。私が冷静に見ることができれば、村にも良い所が沢山あるのに。
村で待っているお義母さんのこと
夏に嫁いで来た義弟のお嫁さんのこと
考えすぎないようにしていた。
コロナ禍で考える余裕もない今は、幸いなのかもと思う。
思いやりの気持ちは世界共通だけど、
自分のやり方を押し付けてはいけない。
その人の生き方はその人だけのもの。
どこの国でも、どんな人といても
どの瞬間も忘れたくないこと。