認知の歪みと時空の歪み | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

気が付いたらもう7月!

 

今週は毎日チベット仏教瞑想のオンラインクラスに参加したおかげ?か、泥の様に眠り朝は起きられない。入眠前にフラッシュバックの様に過去の人や出来事が浮かぶ。

 

前とは違う角度から見ているようで、わだかまりが消えていって「そうか!」「本当はそうだったんだー」と、アハ・モーメント(古い?)が起こる。

 

素敵なんだけど、私の脳はちょっと疲れるみたい。。

 

スピティ渓谷へ向かう道に建てられたチベット仏教のゴンパ(仏塔)

 

 

昨晩は、リアルな悪夢に手の汗握る様だった。東欧系?の顔立ちの子供たちの集団に自分も混ざっていた。何か、「宗教的な信仰心にいつわりがある」ことを全員で自問している場面。背後の建物の石柱の感じがローマ帝国ぽかった。

 

1人の子が「ボクは多分、信仰に従えていません。だから向こうに行きます」と言うと、ボクも私もと、100名位の子供たちが次々と半地下に掘られた広い 壕(ごう?)の中へ。


私は、そこで何が起こるか知ってか知らずか、他の「私には信仰があります」と声をあげた数名の子たちと一緒に地上に留まった。

 

壕の中の少年少女たちはお教のようなものを唱え始めると、地上に残った数名の大人と子供たちが、壕の中に火を放ち始めた。火は次々と燃え移り。。。っていう夢。何なのこれ?泣

 

 

先週も変なビジョンを見た。有名なヴェーディック占星術の先生の動画を見てたら(寝落ちしそうになりながら)、いきなりそのお顔の上に血塗られた?ホラー映像が重なって、ビックリして飛び起きた。

 

ホラーとか大嫌いなのに。泣

 

アウシュビッツとか、広島の原爆とか、人類の殺戮の歴史が怖くて怖くてまともにドキュメンタリーも見れない人なのに、今さら怖い夢とかやめてほしい。

 

ロックダウンのストレスか?

 

 

瞑想クラスは情報量が多く、まだ消化し切れない感がありありだけど、やっぱりチベット仏教ってスゴいと思うのは、仏教の教えに対して常に理論的、実験的、科学的な根拠を追求する姿勢。

 

盲目的に言われた事をしてるだけ?のように見えるご近所の○ンドゥー教徒の皆さんとの決定的な違い。笑

 

ダライ・ラマ14世も「仏教は宗教ではなく、哲学である」「盲目的な信仰心には基づかない」「自らの検証と実践に基づく」と言われている。

 

瞑想の先生たちの講義を聞いていて、自分についてよく分かったことがある。人は目の前のものを自動的に「感情」「好き嫌い」「嫌な思い出」等の偏った情報で即座に判断(ジャッジメント)しているということ。

 

そして瞬時に反応する衝動的な心の動きを、自分でも見えていない。なので後で後悔するような言動をしてしまう、と。

 

 

例えば私が5月にやらかした、義弟を罵倒するという行為(こだわってるなぁ笑)。

 

そこには、

 

恐怖

(放置したら取り返しがつかない!)

(絶対後で私の責任になるじゃん!)

(どこの世界でこんなの許されるの!)

。。。という過去からの概念と、

 

怒り

(アンタ、人様の前でどんな態度なん!)

(お前ワテの事ナメとっちゃろう!)

(今一発食らわせとかんと絶対腐るな)

。。。という経験上の擦り込みと、

 

恥 

(こんなインドのど田舎まで来たのに、情けない)

(こんな経験のためにここまで来たの)

(今までどんだけ苦労したと思ってんの)

。。。という自分勝手な我慢の八つ当たりと、

 

悲しみ

(どんなに避けても周りは半端者だらけ)

(まだ克服できてないなんて!)

(どうして命を粗末にするのアホンダラ)

。。。という過去に粘着しすぎの思考が、

 

一瞬にしてほぼ同時に沸き起こり、反応してしまった結果だった。

 

 

強烈に嫌な事が起きる時って、多かれ少なかれこんな心の動きがあると思う。

 

でもこれじゃあ感情も過去も嫌悪もマイルールも、一緒くたになって垂れ流し状態。笑

 

 

オンラインクラス楽しかったー。素敵な先生ばかり!
 

 

だからと言って目の前で起きている事に対して、いつもクールを装い反応しないのも不自然。それは「感情を抑圧する」という事で、カバーアップしてるだけ。そうするとまた1つ執着を作ってしまうらしい。

 

だから、現実起こる事に反応しちゃうのはOK。

 

それでも毎日根気良く、5分でもいいから瞑想を続けていると、自分の思考や反応のクセが客観的に見えるようになるんだそうだ。

 

見えちゃうと白々しいもんで、アホらしいからやーめよってなるのかもしれない。

 

先生は色々と専門用語を解説していたけど、ま、私が納得したのはそんな所。

 

 

感受性が強いとか、妄想の世界に入りやすいとか、これまでの私の傾向の対極にあるようなチベット仏教の瞑想法。正直、理論的に冷静に客観的に事実に基づいて「思考すること」がまともに出来ていなかった。

 

思考の力をナメてたね。笑(ブルース・リーの「Don't think. Feeeeel.」って言うの見過ぎたかな)

 

 

 

やはり何事もバランス。ヨガでも仏教でも瞑想でも、偏りと執着は苦しみを生むと言う。

 

頭のチャクラも、空回りじゃなく全体のエネルギーとカチッとギアが合わないと、方向がブレるよね。

 

心理療法に「認知行動療法」というのがあるけど、自分の思考を一度客観的に見て再評価するという作業って、学校の必須科目にして欲しいくらい大事と思う。

 

 

 

さて。急遽、例の義弟の結婚式がロックダウンをかいくぐって今月末に決まったので、また顔を合わせても気まずくないように、再度往復ビンタを飛ばさないように(手加減したのよ笑)、まだまだ修行が必要じゃっ。

 

インドではお祝い事の度に鬼のように服や靴を新調しなくてはならず、夫がどうしても1着買ってくれると言うのでオンラインで注文しようと思うんだけど、こんなのはどうかなー?

 

夫のオススメはこっち。。。(やっぱこういうのが好みですか?笑)

 

 

ちなみに、「写真と全然違うやんけー!」っていうレビューが多いインドの通販。

 

そういうのも、ひょっとして認知の歪みかもしれない。。。と、色々考えさせられるこの頃です。笑