違和感を敏感に感じられる繊細さは、
子供の頃から足かせになって行った。
自分が感じたものを
うまく表現する術を知らなかったから。
多分、赤ちゃんの頃は夜泣きもすごかったと思う。
親からは「感受性が強いからねぇ。。」と、困ったように言われてた。
私には双子の片割れの妹がいて、夜中に急に泣き出したり、夢で見た出来事をすぐ目の前で起きたように話すのを、鏡のように見ていた。
2人で同じ夢を見たこともある。
それは誰にでもある
自然な事だと感じていた。
音や光や空気の臭い、犬との会話や雲のメッセージ。言葉を覚える前から伝えたいことがたくさんあった。
私たちは「双子語で話していた」と母は笑うけど。これは双子にはありがちなのかもしれない。
成長と共に、親には理解されない事が「当たり前」になった。
感じる事を表現する方法よりも、
「何も感じない」フリを覚えて行った。
それは、家族に理解されたかったからかもしれない。
いつか私を
分かってくれる人に出会いたかった。
でも、自分の感覚を否定し偽り続けることで、思春期から次々といじめや孤立という問題が起きてきて、青春期にはDVや共依存関係、事故や事件の末にウツになるまで感覚を閉じることになった。
その後は心理療法を受けながら「感じること」を少しずつ取り戻して行ったけど、あの頃は10年単位で時間が飛んで行ってしまった感じがしている。
最近では
繊細すぎて周りとうまくやれない人を
HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)と呼び、
世界的にも認知されて来ているらしい。
感受性が強すぎることがOKな世界があったら、その感覚を生かす方法を上手に身につけられたり、本来の自分らしく生きることが出来るかもしれない。
それって、どんなに素晴らしい世界だろうと夢想してしまう。
感じ方というものは人それぞれ違うのに、ちょっと前までは平均値を行かないとすぐに敬遠された気がする。
子供の頃から、親や社会に認めてもらえる事をするので一杯いっぱいになっていた。
得意でも好きでもない事も、人並みに出来るようにならなきゃって。
周りに理解されない感受性なんて
あっても邪魔なものでしかないようで。
本当は、テレパシーみたいのが得意だった。笑
私の場合は、英語の習得の仕方が独特だったかもしれない。反復的に勉強するより、感覚的にテキストや話者とシンクロするようにして身について行った。「え?勉強してないのに?」って、子供ながらに成績を見て驚いたり。参考書をやらずに枕元に置いて寝てしまったのに、満点を取ったり。
でも、空気が読めたり先回りし過ぎた
り、「冷めている」と先輩からは目を付けられる。
「一生懸命」「努力」「根性」「みんな一緒」みたいな美徳が分からないので、仲間意識の強い場所が苦手だった。
頭であれこれ思索している人と、雑念なく感じたことを行動する人の違いはすぐに見分けられたけど、
若い頃はいつも前者にハマって振り回された。「何を感じているのか」見ようとすればする程、見えなくなる人たちがいる。
でも、きっと見えるはず!とこだわり続けると、うまく行かずにこちらも傷ついてしまう。
「感じること」は結局、あまり役立たないのだと諦めかけた。
無防備に意気投合しても、後で傷つくのが目に見え始めた。
そして、諦めるためのさまざまな「屁理屈」が潜在意識に刻まれたのかもしれない。
感じてしまうと、良くない事が起きる。
素直な感情は出してはいけない。
周りに合わせて変わらなくてはと。
でも傷ついた感覚を癒せないまま、ただ用心深くなっただけで、気がつくと何もリアルに感動出来なくなっていた。
本当は感じることが得意だったのに。
必要以上に傷つくのが怖くなった。もっと守りに入って、無感動な毎日が繰り返されることで、トラウマになる出来事を避けるどころか、逆に呼び込んでしまっていたかもしれない。
何てもったいんだろう。汗
これってHSPあるあるだろうか?笑
ようやく他人さまと心が通って結婚できた40代の今は、寂しいという感情が蘇ってしまった。
周りに分かってもらえない寂しさ。
ついつい、近しい人に分かってもらいたいと望んでしまう。
親やきょうだいや親友でも、全てを分かってくれる人はいなかった。
スルリと、聞いたフリをしてすり抜けるのも見えていた。笑
繊細過ぎることは生きづらい時代だったかもしれない。でも、時代の変化はどんどん進んでいる。
私も少しは回復したし、年と共に知恵もついて来た。笑
繊細でいることを生かせる術を身につけたいと最近よく思う。
瞑想や呼吸法、レイキはまさにその手段。
人の気持ちを感じ取るのは得意なので、それをどうやったら周りに生かして行けるのか、その方法を学んでみたい。カウンセリングや自然療法、ヒーリングみたいな事だろうか。
ちょっと前まで後遺症やブロックが凄すぎて、本来の自分を活かすことなんて絶対に無理と思ってたから、それと比べると今は、少しずつ癒されて来ている実感はある。
自分から
分かってもらえる世界に行っても良いし、
この人生を活かせる道を歩いてもいい。
逆に、分かってくれない場所に身を置いて、分かってくれない人たちに分かってもらおうと執着して、心身に無理を強い続けるのって、今となっては一体どうやってこなしてたんだろう??って。
病気になってもおかしくなかった。
(今は体調もかなり安定しています)
インドの地方都市の下町に住んで、似たような人や分かり合える場を見つけるのは正直とても難しく、何年も試行錯誤しているけれど、
唯一、細かいことを気にせずに丸ごと受け止めてくれるのは、やっぱり今の夫の存在だと改めて思う。
出会った頃は「雰囲気」で会話していたほど言葉も通なかったのに、今ではお互い少しずつ言葉も覚え、昨日の夜は珍しくインドの政治の話で盛り上がったなんて、冗談抜きで奇跡みたいに思える。まぁ、4年も経ってしまったけど。笑
諦めなくて良かったと思う。
人生も半ばになって、ようやく自分の命を生きるスタートラインに向かうのかもしれない。
そう思えたら、何があってもワクワクしていられそうな気がする。