私、何でインドにいるんだろう?笑
4年目に入ってもまだ、疑問に思うことの方が多い。と言うのも、今の生活が物質的に、まだまだ理想とほど遠いから。これまで経験してきたどんな生活とも違ってる。
今日は11時から16時まで、およそ7時間の停電と断水〜。こんなに長いのは1年ぶりかな?水を貯める習慣も忘れてたから、ヤキモキしながらウロチョロする。
気がつけば現実世界は不便なことばかり。舗装もされずインフラも危ういこの町で、ゴミ収集車が来始めた!と喜んだのもつかの間、3日に一度しか来ない日には、なりふり構わず走って行って、異臭の中ゴミ箱抱えて行列することに。
私は一体どこに行こうとしてるんだ?笑
自分で自分を信じたくないかもー!という、あらがい難い強い抵抗感に襲われる。この先に行っても何があるんだろうって、くじけそうになるから。日本では仕事が生きがいだった私。手痛く失恋した時も、仕事に没頭すれば誰にも心配かけないと嘘ぶいてたっけ。なのに結局、
① 愛を探してる、と思う。笑
ぶっちゃけ、そういう理由だと思う。笑
愛がなければ、とっとと帰ってた。仕事も自分磨きも、家族との時間も、日本ではやることには事欠かない。でもどんなに頑張っても、(自分で自分を褒めましょう)って啓発本みたいにやってみても、何か物足りなくて。笑
夫婦って多分、一生完成なんてしないかもしれないけど。2人の未熟な男女が寄ると、問題も2倍に増えるし笑。本当に笑えない事も、言えない事も、ギリすり抜けただけの今だけど。
毎日毎日、一緒にいたいか、もうやめたいか、確かめながらの綱渡り。これでもいつかデーンと安心して居られる日が来るのかな?
② 生きがいを探してる。
小さな時から何故か私は、自分の思考や感情を処理することで手一杯な人だった。頭のチャクラがクルクル空回り。それで色々手が回らないのに、人の期待にまで応えられず、思春期には無視とかシカトとかにあった。
で、そのトラウマから回復せずして、それがまた更なるトラブルを呼んだようなところがあり、青春期に付き合う人は弱くてズルい人ばかり。それでようやく、1人になって自分を見つめようと思ったのは、30過ぎてから。
お一人さまでも全く何不自由ない日本の暮らし。自己完結出来るかなー?って思った。自分を愛して、人を愛して、ちゃんとやろうって笑。子宮の病気も抱えてたから、着々と1人で生きる準備をした。
インドへのヨガ・リトリートも自立へのステップのはずだった。だって、手に職!と思ってたし。でもそれは、私が頭のチャクラで空回りして考えていたことだったのかもしれない。
ヨガを続けて行くと、色んなチャクラのブロックが外れる。10年ぶりくらいに「寂しさ」という感情が蘇って、戸惑った。ハートのブロックが外れて、「感情」が戻って来て、アレレ?ってなった。当然分かってた筈のことも(いや待てよ)ってなった。本当にそれでいいの?って。
「人に頼る」しかない状況も出現した。自分だけではどうしようもないという場面。腎盂腎炎で病院に運ばれ、高熱うなされながら、あ、地獄ってコレね!っていう、おぞましい悪夢と闘った。
今思うと、もし病気になっていなかったら、頭で考えた思考で決めてたプランを覆してまで、インドに残ってなかった。流産もしてなかったら、夫とも一緒にいないだろう。
。。って、色々とこじつけの理由を思う。笑
でもやっぱり、これが幸せだ!と言う保証などどこにもない笑。4年目にしていまだに、インドに来て起こった事の意味をアレコレ探すし。ヨガの先生はチャクラが開いたとか、ブロックを外したとか言うけど、ソレ、私には見えないし笑。
③ 多分最後だから、信じてみてる。
結婚線が2本ある私。結婚線って、籍を入れてなくても発動してるんだって。1度目はアメリカで彼と同棲してた時。いや〜でもDV男で散々な目に遭って、アメリカ社会の怖さも思い知ったし、這々の態で帰国することになった。
他にも強烈に好きだった人はいたけど、その後一緒に暮らしたのは夫くらい。結婚線の2本目で、後はもうない。科学的な根拠があるからインド占星術をかじってみたので、自分がかなりのマンガリーク(火星の凶位置)で、結婚生活は破綻するか、色々と障害が訪れるのは予見済み。
半分は自分のせいじゃない(運命)って思えるところが、占星術のミソでもある。ズルいけど笑。
人生半ば、もうシリアスに生きてもしゃあないので、信じたいこと信じて、信じたい人を信じられるように仕立てつつ、ダメになったら運のせいにするかもしれないし笑、好きに生きようと思うのです。
④ やっぱりインドに呼ばれたのかも説。
一体何度これを言語化しようと試みたことだろう?どうしても自分の中で抵抗があって、はっきりとは言えなかったり、お茶を濁してみたり。社会的におかしな人だと思われたくないっていう、不思議なくらいの抵抗があったのだけど。
でも今となっては、その「社会」にさえいなかったわ。笑
目に見えないものの力
それが私をインドに惹き付けて離さないものなんだと思う。「インドに呼ばれる」とは良く言ったものだ。例えば、
愛って、何?
幸せって、ドコに?
生きがいって、どれ?
信じるって、保証されるの?
そう問い続けてきた事に、色も形もない。
お手本を見習うことも、人と比べることも、マニュアルに従うことも、誰かがくれる訳でもないし、真似て出来るものでも全くなかった!半世紀近く生きてても、本当ーに、どこにもなかった。
求めるものは、自分の中にある。自分の中にしかないし、それに多分私たちは、神さまの庭で、自分で作った人生を遊んでいるだけ。
必要な学びしか訪れないし、大切な失敗しかないし、失敗だって本当は失敗じゃない。永遠と次へと繋がる命の連鎖に受け継がれる自分だけの学び。活かすも殺すも、自分次第でもある。
で、なんでインドにいるの?
って再び思う。日本でだってどこでだって、目に見えないものを大切に生きることは可能だと思う。でも私には難しく感じた。だから最後の理由は、
⑤ だってインドは、分かりやすい。
これに尽きるかもしれない。何たって「キツイ、汚い、怖い」の3拍子!揃ってる笑。そう思うと変態には絶好の遊び場なのかもねー。物質の豊かさに惑わされたり、誘惑に負けたり、人に甘えたりし過ぎて、目に見えない心の豊かさを感じることがおろそかになり、すぐ不満でブーブー言い始めたり他に逃げたりする私には、これ位ストイックな場所が必要だった。
そういえば。ミニマリストって何ですかー?って位、インドの義実家にはモノがなぁーんにも無い。経済的に豊かじゃないからだけど、でもモノの管理はしっかり出来てて、お義母さんがキッチリ仕切る。ごちゃごちゃせずに清々しい!笑
だからって欲が無い訳ではなく、私が新しいバッグを持ってたら親戚は口々に「私にもちょうだい」と言い、ちょっと日本のことを知ったオジさんは「日本の酒が飲みたい」と言う。欲望の塊!!でも、非常に分かりやすい(こっちも遠慮なく、あげませんけど)。
「きつい、汚い、怖い」のなんて、結局は自分がどう受け止めるかにかかってる。「オバケなんてなーいさ♪」と思っていたら、本当にオバケなんていなくなるよ。
日本では考えられないような犯罪やら、事故やら、汚いものや、人間のゲンキンなサガに出会うけれども、その度に、どこまで私はこの世界を信頼してるんだろう?って問うことがある。
本気で
この世界をもう一度、信じてみたい。
神聖なる愛に委ねてみたい。
途絶えた繋がりを、取り戻したい。
絆をつなげたい。
知ってたはずなのに、いつしか忘れてしまった大切な魔法を、もう一度使えるようになりたいんだと思う。
それが少しか分かってきたら、物質面が追いついてくるのかな?
現実はまだ、停電をかいくぐって日々バケツで洗濯しながら、理想の生活を夢見てるだけだけど。笑