本気の夢って、大体叶ってるって気づいた。
10年くらい前から新月には願いを書き出すようになったんだけど。後で(半年後の同星座の満月とか)書いた願いを見返してみると、必ずいくつか叶ってる。
でも、それも最近やってなくて。でもいつの間にかブログが願掛け記録?的な役割もしていて。
読み返すと、その時は「万事休す」とか「万策尽きた」とか悲観的になってる事ほど、割とその後にうまく叶ってる。自力だけじゃなく、どちらかと言うと他力で!笑
八方塞がり、絶望ー的に思える時ほど、一時的なもの。これからは荒い鼻息を腹式呼吸にでも変えて、ドラマもアップダウンも楽しむ余裕を持とう。そんな風に思う。
だって叶うんだもん、かなりの確率で!
(叶いそうもない事はそう強く願わないとか、そういう心理はあるかもだけど?)
叶えたい夢があるって、めっちゃ素敵な事だ。
それって「生きる力」そのもの。
でもウツになると夢もなくなる。期待も失望もなくなって、毎日がただグレーに過ぎる。病気だと気の巡りが悪くなりがちだけど、ウツにはならないように、心を殺さないようにしようと思う。昔、ウツが治ったキッカケは、自分を表現し始めた時だった。
生きていれば、怖いし痛いし悲しいし悔しいとか、色々あるけど、
そういうのを大騒ぎしながら、封印しないで表現しながら、多かれ少なかれ周りに迷惑かけて、泣いた後にはまた笑いながら、立ち上がって何とか生きて行くんだよね。
病気になってもゲームオーバーじゃない。
そんなの当たり前!と言われそうだけど、でも本当に。だって私は、怖かったの。その先の想像がつかなかった。もう終わってるんじゃない?って。笑
だって病気になったら、やっぱり自力では治せない。勝手で意固地なバカヤロウだった私は、人さまに助けてもらって生かされていることすら、全く想像出来てなかった。だから自分で出来なくなったらヤバいって。でも。
病気になったら、助けてもらえばいい!
恥ずかしいけど、情けないけど、でもそんなことよりも、こんな私でも助けてもらえるってかなり幸せなこと。
だから病はむしろ、「恵み」かもしれない。
誰の痛みも知らずに生きていて、人のありがたさも忘れかけてしまったら、もう生きていたって人間ではないかもしれない。
頑張っても頑張っても誰も分かってくれないーとか、、
そんな風に思いかけてた頃に、こうやって恵みがやって来てくれたから、ここから学んで心を豊かに構えなくちゃと思う。
先週末は父の七回忌の法要だった。
母が私が日本に居る間にしたいと言ってくれて、これまた私の願いを叶えてもらった形。
このお盆に親戚みんなが実家に集まって、法要も滞りなく済み、来れるかどうか心配していた84歳の叔母さんも5歳の甥っ子姪っ子も来れて、本当にホッとした。
ちょっと前のブログで私「甥っ子姪っ子には全然会えないし」とか「姉の夫婦仲が心配。。」とか、家族の事を色々心配し過ぎてヘンになってたんだけど、結局この日、全てが解消されて。
姉と旦那さんが仲睦まじそうな姿も見れたし、なぜか私の願い(取り越し苦労?)は全部、私の目の前で叶ってしまったのだ。
あんなに心配してたのに、不思議すぎ。笑
でも準備はタイヘンだった笑。普段あまり家に人を呼ばない母。居間にも仏間にも私物を置きっ放しにしているので、片付けにガッツリ労力を使った。
しかし、おかげで数年の懸案事項だった家の片付けも進んだし、年老いてきている母の暮らしぶりも親戚のみんなに見てもらって、これからも見守ってもらって年を重ねて行けそうな雰囲気に、一安心。
元々母は、父の馴染みの料亭でするつもりでいたんだけど。でも私は、かしこまった席で上辺の話で終わるのはちょっとなーと、思っていて。
すると妹が、小さい子は料亭は無理と言い出して、叔母さんも足が悪いから遠出はちょっと、となり。やっぱり何となーく私の希望の方向へ。
台風一過、北海道ではあり得ない蒸し暑さの中、扇風機だけの仏間に親戚一同ぎゅうぎゅうに座り、めっちゃ良い声のお坊さんのお経を聞いて、汗をかきかき、正座に足を痺れさせ。
終わった後は近所の昔馴染みのお寿司を突きながら、思い思いに近況報告やら、子供たちの折り紙の相手やら。
こんな光景、何年ぶり?
何だかインドの夫の親戚のギュウギュウぶりを思い出した。笑
父が亡くなった後、ウチはバラバラだった。
母はその後乳がんになり、何とか完治。妹は離婚して実家に戻った後、子供を連れて出て行って。姉は仕事に忙しく、旦那さんのお父さんも亡くなり。
私は私で、インドに嫁に行っちゃったし。
そんなバラバラ家族が、ようやく1つ屋根の下に集まった日。
夢は必ず、ジワジワ叶うね!
(父の仕業か?笑)
だからもう、心配しないことにする。
なるべく笑。