ありのままを見なさい。 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

さっき久っしぶりに夫とビデオコールしたら、このところの全身疼痛が少し軽くなった!凝り固まって停滞したエネルギーが解放されたのかも。

 

 

もう2年くらい探し続けてるアパートは、ここ2週間のラストスパートでも全然見つからない。忙しい合間を縫って夫が物件を見に行ってくれる度、その現状に2人してガッカリーの連続。(ホントに怖い物件多数w)

 

 

私の理想とインドの現実が全然刷り合わなくて、毎日イライラ、ほとほと疲れた。頑張れば頑張るほどに、果てしなく遠のく理想の生活。

 

近づくほどに遠のいて見えると言われる、イリュージョン建築のタージマハルを思い出す。どうも私、まだトンネルを抜けないらしい。


サウスゲートから見たタージ・マハル。近くて遠い。

 

分かってる。単に条件が合わないこと。でも今はどうしても譲れない気持ちだった。今諦めたら、移住も、結婚も、未来の希望も、ぜんぶ諦めなくちゃいけないような危機感に駆られてる。そんなの怖くて、ついつい戦ってしまう。

 

 

 

忙しく動いてる時は忘れてても、家で作業をしてる時などはずっと全身が痛かった。少し動くだけで体がパキバキと鳴る。筋肉が硬直しているのが分かるし、痛みのせいで息苦しい。

 

 

今回の帰国でまた「子宮腺筋症」の治療薬を処方してもらったけど、体に合わないのが分かった。脳に作用する擬似ホルモン剤のため、ウツっぽく拘りの強い気分になる。更年期障害のようなもの。

 

 

この夏の仕事は楽しめたけど、でももっともっと自分の限界を超えて行かなければ先は見えなかった。努力も誠意も工夫も、もっとうまく出来たらと。

 

自分の仕事の価値をようやく認めたい気持ちになった4年目の夏。

 

 

「認める」って、今のキーワードかもしれない。

 

 

仕事で滞在する事の多かった上野・アメ横。




出張の日々から実家に戻ってリラックス出来るかと思えば、この1年の間に色々となことが現実に起きていて、急に帰って来た私は気持ちが追いつけず、苦しくなって行った。

 

 


妹や妹の子供たちとは、自由に会えない感じ。

 

姉は旦那さんとほとんど会ってないみたい。

 

そして母は相変わらず自分の事に没頭していて

そんな娘たちの事情に介入する気はないよう。

(彼女なりに健全に対処しようとしてるのか?)

 

 


聞くに聞けない事情が透明な幕になって、晩ごはんの時にしか顔を合わせない家族の 気持ちを隔てている。バラバラなまま一緒にいるなんて。私が一番無理なヤツ。

 

 

苦しんでいてもいいし、

思い通りに行かない時もあるし、

今は仕方がないこともある。

 

でも、

 

それを取り繕って周りに隠したり、

言うべき相手に言わずに済ませたり、

周りを信じることを諦めちゃったら、

 

それで

本当ーに終わってしまうよ。。

 

 

なーんて、どうにか伝えられないかと迷った夏。でも妹にも姉にも母にも、伝えるのは辞めた。反対に、やっぱり自分の心に問うことにした。

 

 

どうして私、今、こんなに

家族全員を認められないんだろう??

 

 

信じることや諦めないことや幸せになることや、そんな綺麗事を振り回しながら、他人の事情に首を突っ込みそうになって、苦しくて息も出来なくなってる。

 

全身疼痛も出るわ。

 

病気とは言え、痛みも病もメッセージを伝えて来る。

 

 

 

「ありのままを見なさい。」

 

 

それがどんなに見たくなくても、期待通りじゃなくても、期待に反する結果だとしても。

 

がっかりとか、残念とか、悔しいとか、恥ずかしいとかは全部、ただの私のワガママ。表現してもいいけど、押し付けたり決めつけたりは出来ない。

 

 

完璧じゃなくても、ハッピーエンドじゃなくても、

皆、ありのままでいて良い。

それで精一杯でも、いい。

 

余計な罪悪感もいらない。

私がいても何も出来てない。

「もしも」なんて存在しない。

 

 

 

妹には幸せになってほしくて、とか

姉にはお手本でいてほしかった、とか

 

私の勝手な思い込み。甘い幻想だった。

 

 

その人の現実は、私には分からない。努力や苦しみや達成や幸せや、その人だけの人生があって、それはこれからもその人自身の力で続いて行く。だから勝手にジャッジしない。

 

私に出来る事があれば、きっとその時に教えてくれるよね。

 

 

それよりも、

 

自分自身の「認められなさ」を

身近な他人に投影する前に

もっと自分を認めていいよ。

 

 

ありのままでいいから。

 

誰にも証明しなくていい。

 

人はそんなの期待していない。

 

無理なこと頑張らなくていい。

 

好きなことだけして笑って

 

体を大事にして健康になって

 

近くの人に助けてもらいながら

 

感謝できて幸せならそれでいい。

 

 

 

↑って、姉や妹に思う気持ちと、自分に言えてなかった言葉が絡まり合って出てきた。

 

 

毎年の一時帰国だけど、もはや事情の分からなくなってる実家にポッと戻ることや、3ヶ月間インドの夫と離れていることで、結構疲れてたのかもと思う。

 

 

まずは自分を労って、好きな事して笑えるように回復したい。



カメラは普段見えてないものを見せてくれるツール。