ディワリ感。 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

インドの新年、ディバリ(ディワリとも言う?)が近づいている。今年は11月7日。先月のドゥシャラ、カルバチョート、そしてディバリと、新年に向けたこの時期は本当に忙しない。皆がお土産を抱えて里帰りするので道路も混むし、プレゼントを贈り合うのでディバリ商戦も今が佳境。おかげでパソコンショップで働く我が夫はここ3週間お休みナシ泣(売り上げトップな本人は嬉々としてますが)。

 

ドゥシャラでは爆音爆風ススまみれになりながら広場で祭りを見物し、カルバチョートでは断食はやめたけどメヘンディしてお供物準備してのプージャ、ディバリでは家の物や服を新調し、ランゴーリという床絵を描いてラクシュミー女神をお迎えし、大晦日のカウントダウンにはアパートの屋上から、360度ノンストップ数時間!の打ち上げ花火合戦に参戦する。っていうのが去年からの我が家の流れ。

 

 

楽しみ。。。っていうのが半分

大丈夫なのか。。。?がもう半分

 

 

でも正直、めっちゃ疲れる!。。。笑

 

 

(きっと来年には慣れるのさ!)

 

 

 

先月からスラム支援のNGOで働き始めたけど、この職場も今ちょうど忙しく、事務所を引越したり、怠慢な責任者を解雇したり、アメリカから創設者の老夫婦が事務所に1ヶ月滞在しに来たり、新たに支援する地域を設けたり。

 

おかげで引き継ぐ仕事が増えた同僚たちもテンテコ舞い。私は「急ぎ」で準備するレポートやプレゼン、告知の作成にアップアップしていた。引越し作業中にデスクに向かっても、パソコンが工事の埃まみれで仕事にならなかったり。笑

 

 

そんな中でも、入ったばかりの外国人の私に信頼して仕事を任せてくれたり、同僚は明るく元気な若者たちで、テンパる度にいつも助けられてる。

 

「ノー・テンション!(ストレスはだめよ!)」

「インスタント・リスポンス!(悩まず即決よ!)」

 

と、スピード感はあるけど、ほとんど吟味されないまま仕事が世に出て行く感じがスリリング!でもミスがあった時は、特に咎めなしに代表責任で静かに削除されてたり。。。なかなか面白い。

 

ヒンディー語がほとんど分からないので、混み合った事情にはノータッチでいられるというお得な部分と、刻々と変わる状況について行けずに一人遅れを取るダメな状況も多いけど、周りがカバーしてくれたり、事務局員は全員英語が堪能で大分助けられてる。

 

え?インドは英語話すでしょ?って思う方もいらっしゃるかもしれませんが、南インドの大都市ならともかく、ここは北インド。英語が流暢な人は少数派なので、とても有り難いです。

 

 

 

最初は自分の物差しだけで「ゆるい?」「いい加減?」と感じてたこちらの仕事のやり方にも、絶妙なバランスの元に成り立っている事も、少しだけ認識できるように。

 

まず、インドならでは、そしてNGOならではと感心するのが、スラムの住人である女性たちを医療や教育の専門分野でトレーニングして、スタッフとして起用して来たこと。人道支援で大切な原理の1つは、単なる外からの資金や物資による支援ではなく、地域住民「自ら」の自立とエンパワメントを促すこと。今ではスラムの「民生員」の様に活躍する15名程のスタッフたち。現場で働く彼女たちは皆、いつも活き活きとしていて、謙虚で一生懸命、そして一致団結している。

 

事務局のスタッフにも、スラム出身の女性、そしてろうあ者の男性がいる。仕事の成果次第で、出身や学歴、障害者の差別をしない所がとても自然で、爽快である。日本だったらわざわざ障害者枠を設けて審査したり、職場でも気を使いそうなイメージ(私の)だけど、全く大変な事もなく、逆に全員が器用に手話を使いこなして冗談を言い合うスマートさ。

 

心に仕切りが少ないと言うか、みんな素直で自然なのだ。その中にも人としての大切な摂理はきちんと守られている。荒んだ所がない。外国人の私にも、極めて対等に接してくる。日に日に、発見が驚きに変わって行くよう。

 

 

インドはカーストがあって、「差別」が。。。という私の中の勝手な思い込み。見事に年々崩れ落ちて来ている。そういえば国立病院のシステムも日本とは違って、今年の春に入院した時は、出産も流産も同じ手術室、入院も同じ部屋、赤ちゃんも産婦も流産婦もみんな一緒に語り合いながら幾晩かを乗り越えた。誰とでも自然と団結して助け合える人たちだと思う。

 

カーストや地域差などの「区別」は物理的に存在してるけど、心に「差別」の闇を抱えて生きられる程、多くのインド人は暗くない。明るくて切り替えが早くて、もう次の事に意識が向いてるのが私の出会ったインド人。学ぶことが多いし、そんな風になりたいとさえ思ったり。

 

 

一方で、うちのアパートの大家さんなどは、世話好きが高じて介入過多だったりして、一定の「距離」を置かないと付き合えなかった事を思うと、人との関わりの中で「区別」や「距離」は絶対に必要なもの。インドの「距離感」に慣れるまで、私たちは揺さぶられるのだろう。メイドや使用人を使う層も、男女の役割の明確さも、貧富の莫大な差も、スラムの貧民街も、決して「差別」が色濃いということもなく、それぞれの役割をこなしているだけ、というのがインド社会なのかなぁと。

 

 

まだまだ、分からないことだらけ。

 

 

そう思っておいた方が、逆に救われることが多いという、不思議な国だとつくづく思う。最悪の事件も最善の奇跡も、同時に起きているような両極を内包する、でっかい国なんだなぁと。

 

 

 

混沌の中にも、秩序がある。

喧騒の中に、良心がある。

冷たさの中に、優しさがある。

 

 

全てを許し受け入れながら、やるべき事を果たして、前へ進むしかないことを知っているかの様な、スピード感のあるインドの年末。ディバリが終わるまでは私も泳ぎ切るしかないけど、書きたい事が多すぎて追いつかない!笑

 

 

こんなに長くなったのに、また隙を見て書きたい。。。!という。

 

 

ディバリ当日には木星が蠍座から射手座へ。深い葛藤がクリアになって、前進していく空気を象徴してます。色々をスッキリさせて、新年を楽しみたいものです。

 

ディワリに向けて募金キャンペーンのデザインを担当しました。スラム発の草の根活動、その思いが広がりますように。。。!