起死回生の朝、退院。 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

「命の誕生と再々手術」からの続きです。

 

3月27日(火)

誰かに身体を起こされて、目を覚ますとまだオペ台の上。私の腕を掴んでいるのは見慣れない若い看護師さん。ドクターも来て、病室に移る様にと言った。時計は0時を廻っていた。
 

病室は、廊下の向かい側の目と鼻の先なのに、何故か車椅子に乗せられた。着いて立ち上がると、すかさず夫が支えてくれた。今回は昼間のベッドからは向かい側のベッドで、やはりもう一人の患者さんとシェアすることに。病室にベッドは8台あって、全員がシェアして使っていた。
 

ひと通り、夫とこれまでの経過を話し合った。私がオペ室にいた間、夫はまた薬剤の買い出しで何度も一階の薬局を往復したらしい。夫がサブウェイの袋を差し出したけれど、食欲が湧かずに眺めていた。深夜を廻り夫の帰路が心配だった。バイクは置いてタクシーで帰るよう、しきりに夫に言っていた。
 

すると同じベッドの患者さんの付添いの女性が、優しい笑顔でダルとチャパティーを勧めてくれた。夫は断ったけど、私は無性に食べたくなって、下さいと言った。手作りの温かい食事。無言で夢中で頬張った。とっても優しい味だった。
 

帰り際に夫が、周りの皆さんに私のことをお願いしてくれて、そのまま私は眠りに着いた。もう一人の患者さんは大柄だったけど、明るい笑顔で快く半分場所を開けてくれ、何の問題もなく仲良く互い違いに眠った。そのまま朝まで熟睡だった。
 

インドの病院の朝は早い。何しろお祖母ちゃんたちも看病に来ているので、早朝5時にはサワサワと人の動く気配が。何とか眠ろうとねばってみたが、ギブアップ。5時半に起きてみると、ほぼ全員が起床していて、患者さんのお世話を始めるところ。目が合うとニコニコと朝の挨拶をしてくれて、とっても気持ちの良い朝。
 

点滴は一旦外れていたので、起き上がってトイレへ。水分が足りないせいかあまり出ず、まだ少し熱っぽく脱水ぽかった。部屋に帰ると、同じベッドの患者さんのお義姉さんが私にピッタリ付き添ってくれ、点滴針の残る手では難しいバナナの皮をむいて手渡してくれる。多分パンジャービ語で「心配しないで何でも言ってね」と言い聞かせてくれていた。
 

同じベッドの大柄な患者さんもトイレから戻って来て一緒に座った。義理のご姉妹だとかで、見かけは全然似ていない二人だけど、二人共、穏やかで優しい雰囲気。ウチの大家さんみたいに、少し押し付け気味?の優しさじゃなくて、自然で控え目な優しさ。
 

夫が来るまで、勧められるままにチャイとビスケットをいただき、片言のコトバで談笑した。小柄で天使の様な優しい笑顔のお姉さんは、しきりに私に話しかけてくる。
 

「私たちと一緒に村に来なさい。マッキーロティ(とうもろこしのチャパティ)とサーグカレーをご馳走するわ。旦那さんにことわって、一緒に来なさいな。」
 

半分本気で言ってくれているらしかった。気の良い妹さんも、ニコニコ笑って見ている。二人を見ていると、映画で見たような古き良きパンジャーブの村の、平和でのどかな様子が思い描かれて、何だか本当に行きたくなってしまった。。
 

きっとそう言って下さるのが、彼らのホスピタリティーなんだろう。
 

それから少し横になった。7時頃に看護師が来て、点滴を付けてくれる。8時頃、友達の家に泊まっている夫を電話で起こす。9時頃には着替えや洗面道具など、一式持って来てくれた。普段から特に何も言ってないのに、必要な物がよく分かっていて、探して全部揃えてくれていた。いつの間に見ていてくれたんだろ。。フレッシュジュースの差し入れも。
 

夫が状況を聞きに詰め所に行った。その間、私はお喋りが楽しくなっていた。みんな近隣のベッドの人とも屈託なく話している。お祖母ちゃんたちは恒例?井戸端会議。隣のベッドに英語の話せる女子がいて、看護師の指示を完璧に通訳してくれた。昨日はまだ辛そうだったけど、今日は大丈夫そう。
 

ふと見ると、昨夜の超難産?から無事出産した若いお母さんも、2つ隣のベッドにいた。断末魔の雄叫びを上げていた同じ女性とは思えない程、穏やかで慈愛に満ちた眼差しで小さな我が子を見つめている。この子、生まれた直後から「キャッキャキャ〜」と可愛い笑い声?のような声を出すので、一緒だったオペ室でも癒やされること何の。「ムンニ(女の子)?」と聞くと、すかさずお祖母ちゃん「ムンナ(男の子)よ!」と、誇らしげなこと。(やっぱり男児が好まれるのか。)
 

そういえば、日本の様に流産とか中絶の患者と、産後の患者&ベビーを分けることもここではしていない。こうして一緒にいると、それがごく自然なのだと肌で感じた。女性が人生で味わう喜びも悲しみも、これからの苦労も、ここでは共有されて繋がっている。集団主義社会なのだろう。エゴは目立たないけど、安定した自尊心もあるように見受けられる。人との繋がりと信頼があればこそだ。

 

同じベッドの大柄のマンジートは、この朝の退院が決まったらしい。まだ本調子ではなくとも、笑顔が晴れ晴れとしている。そのお義姉さんのチャランジートは、帰る支度をしながらも私に「私はまだいるからね。」と朝食のパンとホットミルクを持って来てくれた。
 

食べながら、窓際の英語の堪能なニーシャとお喋り。彼女は博士課程で癌の薬の研究をしていると言う。退院の許可が降りたのでホッとした様子だ。旦那さんの到着を待つ間、スマホのアプリで自撮り写真を撮ってくれる。緊張も解け、と今どきのインド女子の素顔だった。長く辛い夜を越えて、一人ずつ、本来の笑顔を取り戻した朝だった。
 

夫がようやく戻って来て「診察後に退院だって!」と言った。ああ、夜が明けたんだと思った。一昨晩、昨晩と、辛く悲しく痛く惨めで、怖ろしさに心が砕けそうだった時、こんなにも皆が笑顔になる明るい朝が来るとは思ってもみなかった。人目もはばからず喜んでいた。アンティもディーディーも、皆が良かったねと笑っていた。
 

昨日1人ぼっちで寝ていた時に「あなたはbeautifulね!」と親切に話しかけてくれたラマンディープは、別れ際「次に会うときは、お互い5人の子持ちよ!」と言って、満面の笑顔でぎゅーっと抱きしめてくれた。彼女の白髪のマミジも一緒に笑。約束ね!と返したけど、5人ってーーっ?笑
 

最初は入って行くのも躊躇した病室を、名残惜しい気持ちで後にした。振り返って手を振ると、昨日明け渡した向かえのベッドの家族も、その隣の家族も、最初のベッドの家族も、新しく入ったネパール系の家族も、みーんながこっちを見てニコニコ笑って見送ってくれていた。(;_;)

 

すべてが、奇跡だった。そう感じた。インドに来て2年目で、初めてこんなに沢山の笑顔を見たのが、救急病棟の病室だったなんて全く不思議な感覚だった。ということは、病気だって痛みだって、奇跡に違いないのだ。ただただ、涙が溢れた。確信があふれていた。怖れることは何もないのだ。全ては、恵みなのだ。
 

この朝、私に注がれた無限の恵みと優しさ、はにかむような女性たちの笑顔を、私は一生忘れない。

 

で、ヒンディー語、もっと話そう!笑



忘れずに頑張ります。ありがとう💖