闇とタブーを抱きしめる | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

トラウマを残さないために、何ができるのか考えていた。

 

痛いこととか、良かれ悪しかれショックの大きなことは、強烈な記憶となる。寝付く前とか白昼夢などのフラッシュバックの自動再生で、更に強調されて繰り返し脳に刻まれる。思い出したくない事に限って!もう、仕方がないわ。人間の自己防衛機能とか本能なんだろう。フラッシュバックに関しては、必要なことだと思って、諦める笑。

 

「気を紛らわす」っていうのが苦手な私。直視して落ちてみて、あぁ、まだそんなものかと安心する。瞑想に似ている。そのまんまを、観るしかない。落っこちた先に何もないのは分かってるので、もう怖くもない。思えば、昔はこれが怖かった。「怖い」っていう衝動だけで、どっかから飛び降りちゃうんじゃないかとか。「未知」の恐怖。でも人間何でも見てみないと分からないものだ。見たら満足して、気が晴れて別のことし出すから。

 

ネットで検索もしてみた。流産後の心境とか、その乗り越え方とか。医療系のページにはあまり当たり障りのない事しか書かれないし、相談サイトではまぁ、厳しすぎる返信者の多いこと笑。自分のストレスぶつけてる?みたいな。日本社会ぽいと言うか、自分の物差しで他人を測りすぎな感じがビシビシと。命のことも性のこともタブー視してばかりでは、困っている人の具体策にはほど遠い。それぞれ答えは自分の中にしかないのだけど。

 

流産の後で困っている人の多いのが、「次の妊娠」のことと「セックス」のことだろうか。痛みと喪失感、自分の身体についても相当自信を失ってしまっているので、自然な悩みのように思われた。あ、やっぱり他人の経験談を読むのって大切かも、冷静に客観視できるので笑。そうじゃないと主観で「できない、どうしよう」の思考にぐるぐるはまってしまう。

 

自信がなくなって当然だと思ってしまった。流産のプロセスって、現実の移り変わりのギャップが激しすぎるんだもん。1億円当選したと思って受け取りに行ったら、借金だったくらい。身に覚えがない借金なんだけど、ギャンブルに負けたようなもので、責任がある。コツコツ返済して行くしかない。精神的に余裕があったり、経験値の豊かな人の方が返済がスムースかもしれない。何事もそう。若い人はトラウマになるだろうなぁ。「一生背負って行く」って言う人もいる。私も昔のトラウマは、そうやって自分で背負ったようなトコがあった。その時は、必要な学びだったのかもしれない。

 

背負うには背負うのだけど、もう自分を罰したりはしない。未熟な時期はもっと精進するという意味で、ネガティブ感情が役に立つこともある。それだけ向上心があるってことだ。厳密には過去は書き換えられない。それでも個人の記憶の中で美化されるのは日常のことだ。ある事実を自分の中でどう位置づけて行くかは、意識の力で大きく変容して行けるフロンティアだと思っていいと思う。

 

社会常識だとか、固定概念とか、条件反射みたいなもの。国を飛び出して、世界を見てまわり、異国に定住してみると、事実それらはあまり役に立たなくなる。ある地域だけの特殊な常識にのっとって、良かれと思って人を批判することなども、コメディに見えてくる。そんな風になってしまったので、はて、「流産」=悲しい、辛い、喪失、借金、タブー、トラウマ、弱さ、不徳etcという、今までの自分の固定概念にも、???と。

 

今までのネガティブ偏見に自分でビックリ。ネガティブさだけでなく、悲壮感、どこかロマンチックでもあるよ?私という人間は、パブロフの犬の様に1つの事柄にただ条件反射を繰り返して来ただけでなく、しかもそれに陶酔していた。ってことだ。

 

私が今探している問いへの答えは、既存の社会通念の中には見つかりそうもない。問い続けること自体に意味があるのかもしれないし、自分の殻を破って、生まれ変わって行くために必要なことだと感じる。もともと人間は細胞レベルでだって、常に生まれ変わっていると言う。流産に限らず、苦い経験を潜在意識に定着させ続けることは避けたいし、だからと言って紛らわせたりうやむやにしたくない。

 

ちゃんとしよう。以前のように、できるようになろう。立ち直ろう。自信を持とう。。。そんな風に思えば思うほど、そうはならない。だってもう過去の私とは違うのだから。「ちゃんと」の意味づけにもよるけど、どうも無理が出てしまう。だったら、全く違うやり方を模索してみよう。そう思うと、大分気が楽になる。

 

確かに次の妊娠のことは気になるし、今は全く受け付けなくなってしまった夫との仲良しのことも心配になる。命のことと性のこと。タブーなだけあって、世の中ではああするべき、こうするべきの不毛なやりとりが絶えない。何するべきなんてなくても、そのままで手一杯だよと思ってしまう。本人が一番心配なんだけど、心配したところでどうなるものでもない。自然のままでいいんだろう。そうじゃない時が来たら、きっと何とかなるんだし。

 

無理に立ち直ろうとしないで、良しとすることにする。笑

 

 

心の闇を受け入れて、温かく抱きしめてみようと思う。人から受け取って本当に心に染みるのも、そんな優しさだったりするものだ。今はそんな機会が与えられたと思って、満喫したらいい。あとは、出来ることを出来る限り一歩ずつ。認知行動療法と同じ。安心し切って満足したら、子供だって一歩踏み出して行くように。

 

 

インドのニュースも度肝を抜かれるものばかりだけど、漏れ聞く日本のニュースにはハートが潰れそうになる。家族をみんな殺めてしまった引きこもり青年のこと。色々な要因があっての結果なのだけど、やっぱり辛すぎる。どこかで優しさ、温かさがすれ違い、はき違えてしまったのだろう。人間みんな弱さはある。でも自分の正義を押し付け合っても、同じ幸せは二度と味わえない。弱くたっていいのに。色んな意味でそう思ってしまう。

 

 

自分の弱さ、脆さ、闇を知ればこそ、怖れるものはなくなるような気がする。不安も心配も、その時になってみないと結局は分からない。何かが起こってトラウマが残ったところで、数十年間必要な教訓だったってこともある。建設的じゃなくてもポジティブじゃなくても、闇を知れば無限な見方ができるかもしれない。個人的には無理はもう、やめとこうと思った。