2人だけの家族会議が昨夜、臨時招集となりました。笑
術後2週間が経過し、身体はようやく山場を抜けて上向きの回復を始めた頃。春分が過ぎ、お祈りとお肉絶ちのナヴラトリ祭も後半戦。昨日からは水星も逆行を開始。「反省も含め、作戦を練り直して再出発の準備を進めよ。」そう聞こえてくるようでならない。
議題は「これからの生活について」。そのまんま。
夫が帰ってきて何となく話し始めた時には、私にも会議の行方は見えていなかった。経済的なことを中心に何とかしたかったのだけど、結果としてはもっと大きな課題が浮き彫りに。ヘビだと思ったらドラゴンだった感じ。笑
実は昨年後半から夫の勤めるパソコン店の経営不振により、販売商品の在庫を十分確保できない状態が続いている。よく聞くと日本の戦後みたい?に相当の「自転車操業」。
「ローンが降りるまで」「不動産の売却が確定するまで」「訴訟に勝訴するまで」という、よく分からない展開を信じて待たされ続けること半年以上。またか、インドよ。。
販売員はそれぞれメーカーに雇用され、店には「派遣」されていたのだけど、商品も仕入れられないので、ついに皆、解雇されちゃった。それで全員をお店側で雇用し続けてはいるものの、以前と比べてお給料が半減。
夫はいくつか他の会社や販売店から声がかかったものの、最終的には雇用には到らず、同じ店でねばってる。売り上げゼロの日もざらだ。それでもオーナーの「○○が売れたら在庫を仕入れる」を、私にも繰り返し説明していた彼。
もう正直、聞き飽きた。笑
この1年間、新婚にして結構辛い1年だった。愛とか思いやりとか、どんなに溢れていようと、先立つものがなければ本当に崩れちゃうんだって、身に積まされた。
婚姻証明を取得することを目標に、その延長で配偶者ビザも取れたし妊娠もして、なるべく家族一緒に過ごしたいという路線だった。でもここに来て、路線変更は明らか。
私は次のステップに進みたいと彼に伝えた。2人でいる時間はかけがえがない。これまでも力を合わせてやって来たけれど、私は今の状態はもう卒業したい。もっと健康を取り戻して、新たな目標を見出して、そこに向かって努力できる日々を送りたいと。
この時点で彼はもう泣きそう。笑。何しろ一緒にいたい、離れたくないが持論の人だから。一生一緒にいてくれや~♪の大昔のラップがお似合い。
私が仕事をすると言っても、労働権もないインドじゃないのは分かってる。外国など一度も行ったことのない夫にとって、日本はまだ遠く異質な国らしい。去年も私は帰国して働いたけど、2ヶ月離れるのもしんどそうだった。
彼生まれた農村では特に、夫婦はどんな時も苦労を共にして、妻は家庭を守るもの。夫は一生、家族を食べさせて行く責任を負う。一度結婚したら添いとげると決まっていて、リコンなんて言葉、口に出すのもタブーみたい。×
そのまんまの価値観で育った人だから、涙も出るよね。でもね、誰だって嫌でも変わらなきゃならない時がある。時代もある。そもそも妻が日本人の時点で、価値観の激変はお互い覚悟してないと。。そう思う私は、先進国から来たドライな宇宙人なのだろう。
「私はあなたを尊重したい。あなたの家の考え方も。インドという国も。」だから、もしも私のやり方がどうしても受け入れられなくて、どちらか選ばなくちゃならないのなら、その時は遠慮なく言ってほしい。あなたが幸せになるのなら、私も大丈夫だから。
そう言うと彼は少し憤ったようだった。そんなこと、簡単に言わないでと。
でもこのことは、出会った直後から折を見ては言っていること。夫婦と言えども、お互いが自分の人生を謳歌することができなければ、何のための共同生活だろう。私はやっぱり誰かの「犠牲」になるって意味が分からない。その折り合いが見出せるまでは、結婚は後回しになってきた。
簡単に言っているわけではないのだ。姉さん女房、言わなきゃならない覚悟もある。
結果的に我慢強く、辛抱せざるを得ない時はあるとしても、ようやく試練を越えても自分たちが変われなければ、何のために一緒にいるのか。それに伝統的に何も変わらず、昔と同じやり方なんて、今まで見て分かったけど、私にはできない。病気になっちゃう。笑
これまで私は、夫が日本に来ることを全く期待していなかった。彼自身もインドに住みたいと言うし、未知の国を怖がってるような所があるから。お義母さんからも何度も「息子を日本に連れて行かないでね」と念を押されているし。私が無理にどうこうするのはご免だし。
でもここに来て、誰が何を禁止しようとも、自然な流れは私にだって止められない、そう思い始めた。それに、誰かに~された、という被害者意識ばかりでは、人生は楽しくないなーと思う。来たければ来ればいい、それだけだった。
まぁ私だったら、パートナーの生まれた国へは自然と興味が沸くし、止められたって行ってしまう。遊びに行くのか、2,3年暮らしてみるのか、永住を目指すのかは、色んな流れを見て、自分で決めればいい。
見ていると夫も明らかに、日本に興味はある。でも今まで私が日本のことを話したりYouTubeの映像を見せても「恐れ・不安・未知・自信ない・禁止されてる・行けない=嫉妬」みたいな、受身の条件付けによる複雑な顔しかしなかった。笑
でもそれは、違うなと。彼にも、彼自身の乗り越えるべき壁が、もう目の前に提示されている。課題から逃げるばかりでは人としての成長もない。国と国とを隔てるあらゆるものを超えて、私たち2人は結婚したはずなのに。私だったら超えてみせるわ、と、フツフツと何かが湧き上がる。パートナーがつまづいてるのなら、私はその手を引いて歩むべきなのか。
国際結婚って、本当に壁だらけだ。2人の間に目には見えないインド洋、ヒマラヤ山脈とゴビ砂漠が永遠と広がっているみたい。急にそんな風に思えてきた。超えられないと、本当には1つになれないような。超えた先に、何かが待っているような。。
それで夫に言ってみた。「怖いのはすごく良く分かる。私も、あなたが日本に来たとして、どんな風になるのか今は想像もできないよ。でも、全部を今決め付けてしまわずに、状況を良くして行くために、離れたとしても、心を1つに頑張ることってできないと思う?」
夫は少し「怖れ」薄れたようで、目に輝きを取り戻し始めていた。「そうだよね、今の状態が続いたら、君にもこれ以上大変な思いをさせるかもしれないし、それは絶対にしたくない。君がそうしたいのなら、日本に帰っても僕は大丈夫。僕がもっと良い仕事が見つかるまで、君は日本にいていいよ。そしてもし、それより早く君の生活の基盤が整ったら、その時は僕が一度日本に行くよ」と。
個としての私にとっても彼にとっても、今まさに大きな変化が訪れようとしている。生まれ育った価値観、疑いすらしなかった概念が、レゴで作ったお城のように、ガラガラと崩れ落ちている。これから2人で、新しくて誰も見たことのない、自分たちのお城に作り変える途中なのだ。2人とも、生まれ変わるのだと思う。
同じ常識も、分かりきった価値観もない。皆と同じくしなければならないことも、ほとんどない。しきたりに縛られることも、無条件には私は、できない。笑。だからこそ、自分にしか見えない道を見失ったら、そこで終わってしまうだろう。好きなことをして、生きれば良いのだ。×2になっただけ。
誰に何を言われても、やりたい事は尽きないし、言いたいことは溢れて来るだろう。本気であれば伝わるだろう。そうでなければ、本気になろう。そんな流れが交じり合い高め合い、新たな流れになって行き着く場所を見てみたい。世界中のどこでもいいな。私たちの小さな楽園をイチから作れるのだったら。
実務会議はまた後日。。