悲しい時は、悲しんでいい。
そう思ってた。
「素直」でいい、って。
でも違ったの。
今日、腑に落ちた。
日常の感情も、瞑想と同じで、
留めることなく迎えて送り出すもの。
自然な流れに乗せていくもの。
無理にしがみつく必要はないし
勝手に歪めて拡大しなくてもいい。
この地上の小さな社会の点の上。
足元だけを見て歩いていたら
すぐに行き詰まってしまうから。
心は鳥の様に高い空を飛んで、
悠々と地上の全てを明らかに眺める。
身体は大地に静かに根差して、
物事の引力を感じていく。
瞑想は誰でも、どこでもできる。
もちろん、ひとりでできる。
座っても、立ってても、歩いても、
掃除してても、料理してても。
そして、ちょっと休憩にはもってこい。
病院のベッドで寝てる時は最適。
悲しまなくてもいい。
私は今日、そうする事にした。
先ほど、けい留流産の手術を終えて
ようやく無事に帰宅できた。
多くの病院スタッフ、
主治医、執刀医、看護師等々、
見事な連携で手術にあたってくれた。
この広大な混沌の国インドにおいて、
それは当たり前の事ではない。
十分な医療を受けられない人が多数で、
すぐ目の前に路上で暮らす家族がいて、
裁かれない不慮の事件事故の混沌の国。
その中で、既存のやり方に甘んじず、
努力と信頼を怠らない医療現場。
そんなインドの側面を見られて、
懐疑心でいっぱいだった私の心は救われた。
長い一日を終え、
感謝と敬意で満たされた。
もちろん、指摘出来る点も多い。
そこは伝えて、変えてもらうしかない。
何も「当たり前」でない分、
こちらも受け身では通じない。
元気な時はボラれたりもするけれど、
辛い時には、
大きなハートで受け止めてくれる。
それってインドの至って健全な所だ。
子供を亡くして、悲しまない親はいない。
それは事実。
でも今日、私は、
悲しみを乗り越える知恵をもらった。
そこには多くの人の温かな手があった。
痛かった、
そして痛みをわかち合ってもらえた。
悲しかった、
でも、皆わかってくれた。
どうしたって明日に希望を持って
生きて行く以外の選択肢なんてない。
痛みが退いたら笑っていればいい。
いつも献身的な夫は、
いつも以上の気配りと優しさで、
一日中私の気持ちに寄り添い、
何事にも素早く的確に動いてくれた。
今まで私は、
どうしてそんなにしてくれるのか
分からないと言ってたけれど、
今日はもう分かってしまった。
私を本気で愛してくれている。
分からないフリはもうやめる。
素直に私の愛を受け止めてくれる。
どうして赤ちゃんが還って行ったのか、
私たちにはまだ分からない。
このセカイは分からないことがいっぱい。
勝手な思い通りには行かない。
条件の揃った奇跡しか起こらない。
目の前でヨチヨチ遊んでるように
すぐ手が届くように感じていたのは、
私の勝手な妄想だったのかな。
私が泣いていると、
彼も思わず、ほんの少しだけ、
ちょっとだけ涙を見せる事があった。
そんな時私はオロオロするばかり。
悲しまないで。
責めないで。
希望を失わないで。
笑顔をなくさないで、
お願いだから。
愛する人にかける優しい言葉を
自分にも言ってあげようと思う。
奇しくも今日は彼の誕生日。
何故だか分からないことだらけ。笑
でもきっと、今日はこれで良いんだよね。
寂しくないように行くんだよね。
気が緩んで悲しみに引っ張られたら、
イテテテテって、子宮が痛むのです。
一瞬緩んだだけなのに。
悲しまないでアミ(ママ)、約束ね。
そう言われてる気がした。
そう言えば先週、お腹から
あみ、アミ、amiって聞こえてきて、
「この子アミって名前だわ」って言ったら、
彼が笑い出して、
「アミは"お母さん"の意味だから
子供の名前にはできないよ」って。
アミ、アミって呼んでたのかな。
ママは気づかずに呑気なものでした。
でも、もう悲しまない。
何も責めない。
たったひとつの私の身体。
たったひとつの私たちの奇跡。
涙は止まらないけど、
ひとつひとつ許していくよ。
もう悲しみや後悔や自責の弱さで、
誰にも窮屈な思いはさせない。
あなたの魂も、私たちの魂も、
輝ける場所で永遠に輝いていて、
また巡り会うって信じてるから。