自分ってことをあまり意識せずに考えたとき
やっぱり
私は
闇に焦点を当てて
飲み込まれていくのではなく
闇に
光を当てていきたい。
― と、いう強い想いがある。
それが出来るか出来ないか、なんてことはわからないけれど
今出来る範囲で、自分にも、周囲にも
おごることなく
光を当てていきたい。
自分ってことをあまり意識せずに考えたとき
やっぱり
私は
闇に焦点を当てて
飲み込まれていくのではなく
闇に
光を当てていきたい。
― と、いう強い想いがある。
それが出来るか出来ないか、なんてことはわからないけれど
今出来る範囲で、自分にも、周囲にも
おごることなく
光を当てていきたい。
木の花ファミリーの1ヶ月滞在、おわりました。
まず、自分で気づく変化として
日々のそうじが楽しい
以前より動く
お酒やスナックを欲しない
いろんなことが、どうでもよくなった
― という感じです。
Pちゃんが感じた変化
お肌がツルツル。
以上
自分が大切にしてきたこと。
こころのこと。
オーラソーマ。
・・・それらは好きです。
ですが、どうしても私がやらなくてはということではなくなりました。
ご希望の方がいらしたら・・・という感じで。
「自分がしたいこと」 ― を、どんどん手放したい。そう思っています。
出逢った、クライエントさん・お客さんの
感情を開放したり、感情と向き合ったり
一歩前にすすむ姿をみせていただいて
私も、いつも勇気をいただき
光をもらっていました。
お逢いできたこと
本当に、うれしい。
― そう思っています。
この世界が、真に癒され調和をとるためには
まずは、私自身が、もっともっと自分の欲求を手放すことが大切なんだと・・・思いました。
~したい。
人に好かれたい。いい人と思われたい。元気でいたい。
安全でいたい。安心していたい。ゆっくりしたい。思い通りにしたい。
・・・
・・・
・・・
きりがないですね
しっかりと目を開いて
現象や、人の言動・行動に惑わされることなく
自分の心を見ていくこと。
現象や、人の言葉・態度は
すべて発端は自分の意識から引き起こされたもの。
私は、理想が高すぎて
そのことに実際はついていけてない ― 小さい自分をみせてもらいました。
よかった。
気づけて。
臆病な私は
まだまだ、たくさんの執着があって
とくに強いのは、Pちゃんとの人間関係だと感じました。
一人ひとりは、「個」であると同時に「ひとつ」なのに。
なのに、執着している・・・ということは、本当にはわかっていないのですね。。。
今は、いただいたことを淡々といただいて
そして、これからの道を吟味していく力を養いたいと思います。
今日、特徴的な夢をみた。
何度寝かして、3パターンに別れている夢。ステージがちがった。
一つは、治安の悪い時代なのか?戦争なのか?あるグループが責めてくる夢。
窓をのぞくと、外では女性が襲われている。
私は慌てて、家のタンスの中に隠れようと試してドキドキして慌てている夢。
「バン!」とドアを開けられる瞬間に目が覚めました・・・。
次は、喜びあり人のいがみ合いや競争あり、笑いあり。
たぶん、今自分が生きている世界そのものだった。
次は、この高低がない世界。
柔らかな光の世界。
いがみ合い、競争、悪口なし。
そのかわり、誰もいなくって、喜びも、笑いもない。
なのに・・・
なのに・・・
とっても 幸せ だったんです
とっても、意味深な夢で。。。
オモテのブログに書いてある「木の花ファミリー」の世界を思い出しました。
昨年12月、1泊見学させてもらったあと
友人と会ったりして、札幌に帰ってきました。
その後から、私は「陰陽のあるこの世界を選んでいるんだ」ということに気づきました。
それまでは、「選んでこの世界にいる」なんて考えもしなかったのですが・・・ある意味ショック
私の選択しだいでは、この陰陽の世界ではなくて統合された世界に生きることが「即」可能なんだと思いました
幸せ 幸せ 幸せ ・・・と追い求めていたが、私はそれを「選んで」なかったんだと気づいたんです。
さきの夢の、お話。
上下、左右、高低のない、なんともいえない幸せな気持ちになれる世界。
まさに、木の花ファミリーで感じた感覚でした
この世界に生まれ落ち
陰陽の世界が「ふつう」の世界 ― だと長いこと思ってきました。
でも多くの人は、この陰陽の世界で苦しみ、もがき、自分自身を見失っていきます。
人のココロに触れ自分のココロを知っていく過程で、「陰陽の世界」だけではない世界が内側にあると感じていました。(たぶん、ハートチャクラの領域ですね)
でも、状況や環境でその安定した世界は、こわれたり、また創り直したり・・・となる。
そして、リアルに「統合された世界」のように感じる場所、木の花ファミリーと出逢う。
来月、1ヶ月
どっぷりと木の花ファミリーに行ってみることにしました
とっても怖い選択でした。
何ヶ月も葛藤があって、いったい何と闘っているのか?という感じでしたが・・・
行きたい気持ちを押さえ込む恐怖感がありました。
たぶん、変化への抵抗ですね
かの岡本太郎氏は
「怖いほうへススメ」と言いました。
私の気持ちも少し整理がつき、まずはチャレンジです
富士の麓で、畑とたわむれたいと思います
海の水が、サーッと2つに別れて道が出来るように・・・
私とPちゃん、それぞれに「こっちだよ」という道が現われた
これを、想念が現実化する。。。ということなんだなぁ・・・と感じた。
あまりにも、現象がはやく現われたもんだから、2人して興奮していました
私とPちゃんは、「結婚」というカタチを12年。
「夫」であり、「妻」として社会でやってきました。
それでも、やりたいことをやりたい私たちは
別居してでも「やりたいこと」をお互いに応援し合いながらやってきました。
とても幸せなことです
一度もPちゃんは、「やれ」とか「やっちゃだめ」とか、そういうことを全く言ったことがない人。
それは、私には真似できない素晴らしい部分だと思います。
尊敬します。
「結婚」のカタチが、もう随分前から苦しくなっていました。
なぜ、自由を愛する私とPちゃんが社会の法にあてはめたのか?が不思議です。
たぶん若く、自分で考えなかったもんだから
「結婚するもの」と無意識に思っていたのでしょうね。
もしくは
「本当の自由」を得るためには必要な経験だったのかもしれません。
それを得たかったのかも
先日、向き合い
半ば泣いたりしながら
とうとう
とうとう
リコンすることに決めました
あー怖かった~
見たくなかった~
でもでも
スッキリー
でした。
先送りにしたり
見ないフリしたり
・・・
でもこれも、きっとこの震災のおかげでもあります。
多くの人に
「あなたはどう生きるの?
それでいいの?満足なの?」
と問いかけてくれていたように思います。
いろんな説がありますが
今、この状況は「使命・本質」を生きやすいエネルギーが降り注がれているようです。
だから、この変化の時に個人個人も変化を感じているのではないでしょうか・・・?
ときに、感情のデトックスがあると思います。
ちょっと痛いですけど、これも新たな道へのステップです。
もし、一人で痛すぎたら
タイミングが合えばサポートさせていただきますから、ご連絡ください。
お話を聴かせてくださいね。
リコン話をしてから
私が先送りにしていた方向性に
「資金免除」的な、物質的な負荷が取り除かれて・・・道が開かれました。
そしてPちゃんも、全く同じように
物質的な負荷が免除され「こっちだよ」と呼ばれるように道が開かれました。
いろんな意味で、色んな体験を出来るパートナーです。
ケッコンもリコンも出来るなんて
彼でなかったら、ありえなかったな。。。と。
そしてそれらを一緒にみて、笑える仲間。
今までは、何でもかんでも取り込むことの多かった時代ですが
これからは、どんどん手放して本当に必要なものだけを握っていればいいのかもしれません。
だから私は、Pちゃんという人は今でも大切で仲良しではあるけれど「制度」を手放すのです。
一緒の屋根の下に暮らしながら、他人。
ちっちゃな、エコビレッジみたいになります
特別な人ではあるけれど、それを超えてみなが特別になりみなを大切に感じる。
届けの提出は、まだ未定ですが
向き合ったことですでにいろんな変化があって、そして気分も軽くって、さらにお互いに正直な関係性が持てているのは、本当に幸せです。
軽くなっていく、まず一歩。
これから、もっともっと軽~くなっちゃうかも・・・ですね~
久っしぶりの、裏ブログ
裏ブログファンの方、お待たせいたしました~
なんつって・・・
誰もいないか。。。
ま、こちらは自由に気ままに
見えないことは、もっとアリに書きます
書かない間に
日本は大変なことになりました。
何かの幕が開けたような・・・そんな感覚さえあります。
福島、岩手、宮城・・・その周辺の県のみなさまのことを思います。
それと同時に、心からの感謝もします。
みなさまの(この世からみたならば)“犠牲”の上に私たちはあって、たくさんの気づきと変化の準備をさせていただいている。。。
みなさまの、あたたかい、大きな魂に感謝します。
みなで衝撃を受け、痛みを感じて「変化」の兆しを感じていたけれど
また、保守的な感じになりつつあるムード。
これを許したら、アカン
― と個人的に思います。
と、同時にみなそれぞれ抱えていた葛藤も個人レベルで意識変化していくのも大切ですね。
私も、なんども「いくぞー」となっては“尻込み”を繰り返しています。
でも、アカン
「今が、そのとき」なのだから。
これを逃したら・・・
せっかく、このときをみなさん選んで生まれてきたのだから。
自分と思っているものを、乗り越えて行こうではありませんか~。
「自分」はある、けど「ない」。
周囲に変化を望むのならば、まずは自分が変化しないと。
ガンジーさんから、いただいた言葉をいつも思っています。
「変化」とは、思い込みを手放すことなのかな。
いろんなものを手放していくのかな。
重い重い、いろんな考えや信念や、抱いていたもの。
どんどんと降ろして、軽くなっていくのかな。
引き裂かれるように痛くかんじるかもな。
でもそれさえも、思い込みなのかもな。
本当に、したかったこと。
それは、とってもシンプルなのかもしれないな。
死ぬまで、生きよう。
死ぬとき、死のう。
そして、死はないことを実感するかなぁ。
独り言を、ばばばっと書きました。
あしからず。
みなさんを愛しています