「医は医無きを期する」 | 流れるまんま

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整体ナビゲーターゆにちゃんの日記

今回のテーマは、体癖についてと思い野口先生の「体癖 第一巻」を


読み直そうとしていたら、またもや、序文からひっかかりテーマを変えることにしました。


およそ50年くらい前の文章ですが、まず読んでみてください。


以下、本文 「体の自然とはなにか」より引用


動物のすべては、環境に適応してその機能、形態を変えることによってその生存を全うしている


のであるが、独り人間だけは環境を自分に都合が良いように変え改めて、環境を人間に適応させ


る事によって生きているのである。 ストーブあり、エアーコンディショナーあり、自動車あり、船あり、


冷蔵庫あり、殺菌灯あり消毒薬あり、その為他動物ならとうの昔に消滅してしまうようなヘナヘナの


体をもって生存している者も少なくない。そのヘナヘナが繁殖するのだから、人間にヘナヘナな体が


多いとて不思議とすべきではない。人間の生活技術はそれほど進んでいるのだ。


しかし人間も又動物である以上、環境に適応してその機能形態を変化する自然の能力を有している


ことに変わりはない。その為改善した環境に住めばその改善された環境に適応し、その機能形態を


変える事は当然である。それ故消化しやすいように煮焼きした物を食べておればそうしないと食えなく


なり、丁寧に噛めば消化に良いことを知ってこれを実行しておれば、丁寧に噛まないと消化不良をお


こすようになる。栄養物を選りどって食べておれば、栄養食品からでないと栄養が吸収できなくなる。


それで栄養のエッセンスを注入することを繰り返していると、更に精選されたエッセンスでないと吸収


しなくなる。その為消化薬を服せば又消化薬を服さねば働かない消化器になってしまう。改善は次の


改善の必要を産み、それを果たせば又次の改善が必要になる。忙しいこと涯(かぎ)りない。しかも何


を食べても旨く、栄養をどしどし吸収する消化器を丈夫だというのだから、環境改善によって生ずる変


化は萎縮である。かくて人間は改善に追われて、体の実質の萎縮に向かって進まざるを得ない。体の


実質が萎縮すればそれ迄何でもなかった物が有害物と化する。粥を常食しておれば祝いの赤飯も下


痢のもとになる。輝かしい日光も、新鮮な冷たい空気も、爽やかな風も人間の敵となる。いよいよ守り


庇い補う技術が必要になり、守り庇うことによっていよいよ萎縮する。こうなったとしても人間の応化適


応のはたらきが衰えたのではない。その自ら有する自然の妙機によって、萎縮に向かっているのであ


る。この点人間も又自然の動物であったことを痛感せざるを得ない。


以上、引用終わり


これを読まれて、どう思われたでしょうか?


それまで何でもなかった物が有害化している現在に必要な情報が整体にはたくさんあります。



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