物書きはやっぱり孤独 | 沖田峯子 人生をクリエイトする。

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日々思うこと、創作のこと、大好きな映画鑑賞などなど好きなことだけを自由に書き綴っています。

コロナ自粛で自宅籠れている人とそうでない人がいるわけですが、私は後者ですえーん

 

今回のブログは物書きってこんなこと考えてるんだくらいに思って下さいドクロ

 

前にこんなブログを書きました。

 

物書きは孤独な方がいい

 

このブログにコメントで散々にくいついてきた方がいましたが、私が言いたいことを半分も理解いただけない方だったので、これだけ人間というのは受け止め方が違うんだというのを改めて感じた次第です。

 

あくまで、このブログに書いていることは私個人の意見です。違うなと思ったら戦わず、自分の考えを自分のブログにどうぞしたためて下さい。それが世界が平和であるための秘訣です。

 

まず、この方々のお話を聞いて欲しい。私は大共感でした。

 

一つの物語に対して、空想の人物に本気でディスる人がいるって話とか、相原コージさんの話とか、最後の久保さんの発言とか、

 

 

 

ものすごく分かる!!!

 

 

 

相原さんの逆切れしてサザエさんみたいな話を書いたら、読者に「やればできるじゃないですか」っていう上から目線の感想がきて、これだけ伝わらないんだって思ったって、

 

 

もう大共感!!

 

 

私の考えでいうと、読者さんは読者さんであって、やっぱり作家と同じところにはいないのですよ。

 

私が過去に頂いた感想も、けっこう頓珍漢な内容も多く、「で?」みたいなことが多かった。その頃は私も読者さんからの感想を真正面から受け止めてしまい、読者さんに喜んでもらうためラストを変更したり、求められるままに書きなおしたりしましたけど。

 

出来上がったものを読み返すと、え、これってどこにでもある王道じゃね?テンプレってやつじゃね?私の書きたかった話じゃなくね?

 

ってことを実際に経験したわけです。

 

 

久保さんがいった「想像力のない枝葉の通りに書いてない」

 

まさにそれグー

 

 

創作とは、読み手(または観る手)が書き手(作る側)に「寄せる」ことだと思ってる。でも、ディスる人って、書き手が読み手に寄せるもんだと思ってる。読んでやってるんだから、俺の好みに書き直せと思ってる。

 

本来、創作って自分の体験したことのない世界、または非現実的な世界に浸るまたは知るために見たり読んだりするもんじゃないの?自分の思い通りになる物語を読んで、または観て楽しいの?って思う。

 

だって、自分とは全く違う人間の、全く違う経験をしてきた人間の心の中に入れる世界なわけですよ。小説も、漫画も、ドラマも、映画も。それが楽しいんじゃないの?疑似体験が。

 

太宰治に人間失格なんてよく分かんないから、俺にも分かるように人間合格で書き直してっていうのおかしくないかな。

 

 

私は15年くらいシナリオライターをやってきて、ここ5年くらい小説を書いているわけですが、小説は本当にひよっこもひよっこで、今までポップソングを作ってた作曲家がクラシック音楽を作るくらい世界が違う。

 

今は文章でお金を稼ぐことよりも、書きたい気持ちを優先にして書いてる。

 

だから、とっても楽しいです。爆  笑

 

自分が書きたいと思うものを思う存分書けている今がとっても幸せです。生活は厳しいけどえーん

 

初心を思い出した感じでいます。

 

物書きって書いてる時は孤独だけど、そのしんどい時期を乗り越えた後にある景色を見たいがために遊びにも行かず、飲みにも行かず、一人部屋に籠って自分自身と戦ってます。それって海外旅行よりもタワマンから観る東京湾の景色よりも価値があるものだと思ってる。

 

書き終わった後の達成感と、

 

面白かったよ!グッ

 

この一言が欲しいがためだけに頑張れてます爆  笑