沖田峯子 人生をクリエイトする。

沖田峯子 人生をクリエイトする。

日々思うこと、創作のこと、大好きな映画鑑賞などなど好きなことだけを自由に書き綴っています。

ドラマCD


幕末志士の恋愛事情 


あまつ乙女の争奪さわぎ~ほろ酔い祇園の夢一夜~









【舞台】


朗読活劇レチタ・カルタ「義経」


出演:大沢たかお





朗読活劇レチタ・カルタ「沖田総司」


出演:井上芳雄





【書籍本】


三国志 龍よ、蒼天に舞え (無双FanFieldノベルズ)





秋月達郎、塚本青史、狩野あざみ

森下翠、武林遙、沖田峯子、阿部敦子

A5判

定価 1,365円(税込)



【ボイスドラマ】


水俣初恋ポッドキャスト「ときの架け橋」前編後編


 出演:沢城みゆき/岸尾だいすけ/増山江威子 



水俣市の名所を舞台にした誰もが経験したことある甘酸っぱい初恋の物語。

 

 

 

ヤフーニュースで偶然目にした「なんで言わないの?」の記事、フラッシュバックで苦しくなるのを分かっていましたが、荒療法と思ってか、それとも同じ境遇の人を見つけて安心したいのか読みたい気持ちが抑えきれず目を通しました。

 

 

その記事に対し、60を超えるコメントがありました。コメント欄には沢山の同じ被害者たちが自身の体験を吐き出し合い、共感しあっていました。私はそれを一つ一つすべて読みました。読んでいて涙が出ました。本人が悪いわけでもないのに誰にも言えず、一人で抱えていた人達がこんなにもいることに……心が苦しくなりました。そこは墓まで持っていくつもりでいた人たちの心のクズ置き場になっていました。


加害者1人に対し、被害者は雪だるま式に増えていく。

 

 

わいせつ犯が地域に1人まぎれ込んでいるだけで1人の被害者が出ます。加害者が性的欲求を覚えるたびに犯罪を続けるとすれば被害者は増え続けていくということです。この手の犯人は依存性があり、必ず繰り返すといいます。47都道府県に1人の変態がいたとしたら毎年564人の被害者を生み続けるのです。そして、被害者の苦しみはその瞬間だけでは終わらず、一生トラウマを抱いて過ごすことになるのです。

 

いいですか。

 

たった一人の犯罪者がいることで、ですよ?

 

このニュースもそうです。こちらは痴漢ですけど。犯人は7月からほぼ毎日痴漢していたと。この犯人1人がたった4ヶ月で120人の被害者を生んだんです。しかも中学の教諭が生徒と同じ年頃の女子学生を狙っていました。



 

大半の被害者は誰にも相談できず、欲求を抑えるためだけに物のように扱われ、身体を触られ、心を傷つけられ、相手を憎み、自分を責めて、この恥ずかしさを墓まで持っていくと決めているんです。

 

子どもの頃に遭った被害。幼くても教わっていなくても分かります。嫌なことをされているこ。そこは触られたくない場所だということは。穢されたと感じるんです。


この記事のタイトルにもあるように、私もなぜ周りに「言えなかった」のか考えました。


とくに村社会の日本は他人に迷惑をかけること、騒ぎにすることを嫌います。

 

痴漢大国なのも同じ理由です。パリに住んでいる友達の話によるとフランスには触られて黙っているパリジェンヌはいないので痴漢は少ないそうです。とにかく日本は痴漢のしやすい国だそうです。外国語で「TUNAMI」の次に「CHIKAN」が検索されているほどです。世界で有名な日本語が「CHIKAN」って。恥ずかしくないですか?日本に行けば痴漢がやりたい放題だと海外でも思われているんですよ!


私自身、平和主義、争いごとが大嫌いな性格です。出来れば、毎日心健やかに心乱さず過ごしたいと思っている。そんな世界の中に突如現れるのです、彼らは。

 

誰にも言えなかったのは事を大きくしたくない、嫌な時間を忘れたいためでした。騒ぎになる、人の注目を浴びる、恥ずかしい思いをする、人に迷惑をかける、責められる、と考えて結局は誰にも言えませんでした。


変態たちは目利きが効きます。極力、騒がない子を狙います。

 

もともと誰を傷つけるでもなく、平和を愛している子ども達が傷つけられていくんです。


悲しすぎませんか?


コメントのなかには小学低学年で、おじいちゃんに初めてを奪われた女性がいました。その方は小学生4年になって体育保健の授業で性交をならった時、「あれは好きな人とする行為だったんだ」と初めて知ったんです。

 

本来、子供を作るための行為です。

愛で満たされる行為です。

 

女性は信頼できる人にしか触られたくありません。命に係わることだからです。

その大切な行為をくそじじいのエロ下心に奪われ、それをだれにも言えずに大人になっていくんです。

 

若い時は心に押し込めて忘れようとします。そうしないと毎日を平穏に過ごせないからです。しかし、ふとしたある時、大人になってからフラッシュバックすることが多くなるんです。

同じような事件を目にした時、人を物扱いに見る相手と接した時。

言えずに(癒えずに)貯め込んでいた感情は一生消えないんです。戻ってくるんです。


だから、こうやって人知れず苦しんでいる被害者がいることを知って欲しいです。犯罪の起こりにくい世の中になっていくことを心から祈ります。

 

私は自殺した魂がどうなるかを知っています。

 

この話はほとんど人にしたことがありません。


中学1年の時の話です。

その頃、学校でこっくりさんが流行っていました。「〇〇くんはどう思ってるか」などといった軽い占い感覚でした。

 

私の家の一つ挟んだすぐ近くに、同じクラスの幼馴染が住んでいました。

 

ある日、彼女の家に集まった仲間でこっくりさんをやろうという話になりました。校内以外では初めてのことです。

 

 

コインにみんなの指を乗せてすぐのことでした。コインが勝手に動き始めたのです。



「な、なに。まだ何の質問もしてないよ!」



幼馴染が叫びました。コインは物凄く早いスピードで動き、ひらがなが書かれた50音の上を這いました。

 


 


そして、私の方へまっすぐに向かってピタリと止まったのです。まるで私の体の中に何かが入っていくような感じでした。

 

私は母に連れられて除霊して貰えるところに行きました。姿は見えませんが、それが何故だか叔母ちゃんであることを確信したのです。


うちの父は長男で祖父母と出戻りの叔母ちゃんが同居していました。叔母ちゃんは私が3歳の時に若くして亡くなったので、あまり記憶になかったのですが。

 

覚えているのは物静かでとても綺麗な人だったというくらい。部屋に三面鏡の化粧台が置かれていて沢山のお化粧品が並べられ、私は興味津々でそれらを触るのが好きだった。



叔母ちゃんは私に「お母さん(私のおばあちゃん)と握手がしたい」と言って来ました。私はそれをおばあちゃんに伝え、叔母ちゃんの代弁をしました。

 


除霊を続け、ほどなくして手足がしびれたり、別の思考が頭の中に流れ込んで来ような感覚はなくなりましたが、どうして叔母ちゃんが私に取り憑いたのかずっと謎のままでした。


後年、私もいい大人になったころにお母さんから初めて叔母ちゃんが自殺だったことを聞かされました。私はその事実を全く知らなかったのです!

 

成仏できない叔母ちゃんの魂は家の近くを彷徨い続け、こっくりさんを通して私に交信してきたのです。

 


これも最近また母に聞いた話なのですが、私は叔母ちゃんのお葬式でワンワン泣いていたそうです。押さえることが出来ないほどだったとか。それを聞いて、私は叔母ちゃんのことが大好きだったんだなって思いました。叔母ちゃんも私のことを可愛がってくれてたんだなって。



叔母ちゃんは鬱病だったそうです。


 

私は高校卒業と同時に上京しましたが、その年のクリスマスイヴ。うちのおばあちゃんが自宅の階段から落ちて亡くなりました。叔母ちゃんの魂は私から離れた後も成仏できず、家の周りを彷徨っていたそうです。


あとから以前にお世話になった除霊師の方に聞いたところによると、おばあちゃんは叔母ちゃんを天国に連れていくと言っていたそうです。


 

人間の魂は死ぬ直前の気持ちをずっと引きずっていくといいます。本当は生きたかったのに無念の思いを抱いたまま亡くなると、その人の念はその場所に残り続ける。

 

本やテレビで聞いたことはあります。でも、体感してみてそれが事実だと良く分かりました。


うちの妹が死ぬことは負けだと言いました。


私は死ぬこと自体が負けだとは思っていません。死ぬことは還ることだと思ってる。大事なのはどんな思いで逝くかってことだと思います。たとえこの世から逃げられたとしても逃げた魂は生前の思いを引きずり続け、結局は幸せになれません。


死ぬとは停止状態のことです。そこから変わることも成長することも出来ません。でも、生きていれば何度でも上書きできる。

 

 

生きていれば、何とかなる。

 

 

 私の体験談でした。


 

 

この話を書くかどうか、ずっと悩んでました。

 

実は今年6月の終わり頃から「死にたい」という沢山の人達の思いが見えない空気中に漂っているのを感じていました。

 

コロナ禍は世界を正と負の二つに分断しました。

 

 

もう限界

 

頑張れない

 

 

そんな悲痛な言葉たちです。

 

そして、私もその気持ちに捕まりました。無性に心が落ち込み、ワーキングプアから抜け出せない毎日。緊急事態宣言でも休めず、働いて働いて、やりたいことや趣味に遣う時間もお金もない、来月を生き抜くだけでもやっと。ただただ生活するだめだけに時間を費やし、こんな毎日がいつまで続くのか。私に自由はないのか。私は何のために生まれたのか。自由とは死んでやっと手に入るものなのか。だったらいっそ死んで、常識や労働を強要されない世界へいきたい。

 

私は妹に弱音を吐きました。いつもは愚痴を聞く方。でも、この時ばかりは悲痛の思いをラインしました。しかし、返ってきた言葉は、

 

「可哀そう、大変だったね。そう言って欲しいみたいな内容だね。でも、私は死ぬことは負けだと思ってる」

 

たぶん私が行動的な人間だったら、ここで自殺してたかもしれない。死にたいという言葉は死にたいから言うんじゃなく、死ぬほどつらいという思いを表現した言葉。本当に死にたかったら相談する前に死んでる。それを理解できない受け手側は、これが最後の嘆きとも知らずに無意識のうちに相談者を追い詰めている。

 

相次ぐ芸能人の自殺。

 

きっと、三浦さんや竹内さんも誰かに助けを求めていたはず。でも、その声が届かなかった。何度と思い留まっては自分を騙し騙し、ついに何度目かにきた波に飲み込まれて衝動的に行動に移した。

 

私は初めて、「自殺」という言葉で検索をしました。この言葉を打ち込んだだけで体中が冷たく重くなっていくのを感じました。どうやら、この言葉は死神を呼ぶコトダマのようです。

 

一番上に厚生労働省の窓口の案内が出て来て、いったい何の気休めになるのかとクスリと笑いが出ました。

 

苦境に追い込まれたことがある人なら、一度は思ったことがあるはず。でも、本気かどうかは関係なくけして口にしてはいけない言葉。一度でもそのまじないを唱えてしまえば、死神の手帳に名前が刻まれます。そして、心が弱った時に一気に襲い掛かって来ます。

 

どんなに晴れやかな舞台に立っている人たちであろうと同じです。一線を越える人ほど逃げ場はないと感じています。期待され、人からのイメージを背負い、人間的なミスをすれば鬼の首を獲ったかのように罵倒される。凡人は彼らを強靭のメンタルだと思い込んでいる。

 

いま、沢山の人達が同じ思いを抱えています。想いは連動します。連鎖します。ウィルスのように人から人へ。

 

「みんなやってるんだから」

「それくらい我慢しようよ」

「もう少し頑張ってみようよ」

 

どうかどうか、大切な人が助けを求めている時に気付ける人でいて欲しい。こんな思いやりのない言葉で傷つけないで欲しい。肩を抱いて、ほんの少しだけでもいい。休憩させて欲しい。

 

 

私は辛うじて、まだ生きています。