いよいよ新しい元号が発表されるまで、一週間を切りましたね
さて、中学、高校、20代と綴ってまいりましたが、こちら「私の平成。」もいよいよ終盤です。
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では、平成後半の10年を振り返ります。
24歳で初めてシナリオを書いたのを皮切りに、これまで手掛けてきた物語はすべて世へ出ていき、巣立っています。
思えば、私の30代はシナリオ一本、腕一本で勝負していたといっても過言ではありません。
とはいえ、好きなことで生きて行くというのは生半端なことでは出来ません。
常に競争、スピード、発想の中に身を置いていた日々でした。
友達はどんどん結婚していくし、子供を産んでいくし
w、「いつまで、そんなことしているの?」という、親や周囲からの圧力に押され、お金を稼がないと認めて貰えないという思い込みから、いつの間にか、書きたい物を書くのではなく、「雇われライター」になっていく自分がいました
。
そう。
私にとっての30代は、まさに夢と現実にぶちあたる波乱万丈な年だったのです。
しかも、30代といえば女性は厄年が2回もあって、前厄後厄をいれれば、10年のうち6年
も厄年が続く………
健康ばかりが取り柄と思っていた私も、しっかり厄年中に2回も入院したしww
いつまでも若いわけでないことを嫌でも実感するわけですよww
実はシナリオライターとして常務していたゲーム会社を辞めた後ぐらいから、鬱っぽくなってしまって……
それで執筆以外で何か始めてみようと、他に何か出来ることはないだろうかと、いろいろな資格を取りまくったのです。
カラーセラピー、心理カウンセリング、リラクゼーションセラピスト……。
これらは、心の勉強をしたいというのもあったし、いつかボランティアでも役に立つかなと思ってのことでした。
あとは滝修行にいったり、写経したり、禅にいったり、瞑想したり、般若心経を暗唱できるようになったりww。
つまり、自分と対話したかったんです。
一度、原点に戻りたいと思ったわけです。
リセットして、自分が何を表現したいのか。本当に書きたい物は何か。
何を残したいのか。
ゆっくり考えたかったのです。
で、愛知に帰った1年8ヵ月の間、ほんとになーんも書かなかったです。
17年、一度も筆を置いたことがなかったのにです。
それでも出戻る前、ケータイ小説なるものに挑戦してまして、累計50万部くらいを売上げておりました。
とにかく、色々あって、すっぱり書くのを止めて、芝居からも創造からも離れて、浮世に戻りましたww。
愛知では私が東京でシナリオライターやってたなんて誰も信じてくれませんwww。
そりゃそうだ。実際、自分も忘れてたし。
そんな時、東京からシナリオの依頼があったのです。
理想と現実に揺れるヒロイン。
過去の忘れられない初恋をきっかけに、自分らしさを取り戻していく物語です
一旦、戦線から離れてしまうと、長く築いてきたパイプは薄れていくものです。
そして、一からまた繋いでいくのは、到底、簡単なことではありません。
でも、こうして私を忘れず、お話を下さる方もいらっしゃいます。
ご縁は、故田中一成さんです。
私の創作人生に礎を残して下さった恩人や戦友がたくさんいます。
愛知での生活は、まるで竜宮城から戻った浦島太郎状態でしたが、新しい元号に変わるいま、新たな目標を立てたいと思います。
本を出す
声に出す。
文字にして書き留める。
このことは、物事が叶えやすくなる方法の一つです。
日本人一人一人が新たな門出を迎えられるより良い国になりますように。
ここまで「私の平成。」にお付き合い頂きまして、ありがとうございました