宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -62ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$BOSSのブログ-鶴田

写真のレコジャケは、名優鶴田浩二の「傷だらけの人生」。「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴ほど新しいものを欲しがるもんでございます・・」と、しびれる台詞で始まる、いなせな着ながしが似合う男の歌なのだ。リリースされたのは、1970年の12月。EXPO70、大阪万博が開催され“人類の進歩と調和"が叫ばれたその年の終わりにこんな歌が流行ったのだから、世の中はわからない。翌71年にかけて大ヒット、耳に手を当てマイクにハンカチを添えて歌う姿が渋かった。鶴田浩二と言うと、もちろん任侠映画ブームの立役者であり、東映のトップスターだったけれど、76年に始まったNHKドラマ「男たちの旅路」ではちょっと頼りない、ちょっと不器用な中年男を演じた。当時若者だった水谷豊や桃井かおりの上司役として、頑固なまでに筋を通す姿は画面を超えてサラリーマンに大きなエールを贈った作品だった。警備会社の、独身中年のしがない上司という設定が、これまでの鶴田浩二のイメージとは違い、それだけにそのギャップが面白かったと私は思っていた。けれど、今この歌詞を読むと、♪右を向いても左を見てもばかと阿呆のからみ合い、どこに男の夢がある♪ と続く。頑固な男の切なさは、ずっと鶴田浩二の世界だったのだ。秋の宵、そんなことを想いながらチビリ、チビリと盃を傾けるのも、またいいかなあ。

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$BOSSのブログ-石橋

ちあきなおみの「喝采」が、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」に逆転勝ちして、日本レコード大賞に輝いた1972年。実は、この人の年だったと勝手に決めている歌手がもう一人いる。いや、俳優なのかもしれない。それが石橋正次だ。もともと70年に、映画「あしたのジョー」の矢吹丈役で脚光を浴びているから、今で言えばやまぴーに当たる。72年1月に「夜明けの停車場」が大ブレーク、写真のレコジャケ「鉄橋をわたると涙がはじまる」も続いて大ヒット、この年の紅白歌合戦にも出場している。それだけではもちろんない。72年に始まった学園ドラマ「飛び出せ!青春」の高木勇作役は主役を食い、サッカー人気を不動のものにしたとも言えるし、別のTVドラマ「君たちは魚だ」で見せた水泳選手の肉体でも、女性を魅了した。そして、何よりも10月から始まった特撮ヒーロー「アイアンキング」の主人公としても暴れまくった。ある時は学園の不良少年、またある時は水泳選手で自慢の肉体を魅せ、そして子供たちのヒーローを演じた上に、大人のバラード(当時は歌謡曲と言った)をせつせつと歌う男。1年のうちに、これだけの表情と表現力を見せたタレントがいただろうか? この年に活躍した人は多かったけれど、石橋正次には適わない。なぜなら、73年以降の彼の活躍をあまり知らない。72年の人。そのグランプリを私は授けたい。

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$BOSSのブログ

子供の頃「ハリス」のガムはロッテより人気があった。いつの頃かカネボウに吸収されて、その名は消えてしまったけれど、今でも時々甘い記憶が口の中に広がってくる。写真の雑誌広告は、1971年頃、爆発的に売れていた「ハリスチューイングBON」。BONはフランス語でGood、それはキャンディでコーティングされた四角いガムだった。飴とガムで二度おいしい、そんな新食感を子供が見逃すはずはない。発売当初は赤いパッケージのペバーミント味と緑の青リンゴ味の2タイプ。ご覧の通り、広告には野口五郎が起用されていた。当時大人気のアイドルだからではあるけれど、ガムになぜ五郎なのか? 推測するに、71年の大ヒット曲が「青いリンゴ」だったからだと思うのは、あながち間違いでもないだろう。あの頃の野口五郎には、どこかクールな、それでいて多感な春を連想させる「青」のイメージがあった。「青いリンゴ」のあと、5曲目も「青い日曜日」という曲を歌っている。フレッシュな青リンゴの香りと、五郎のイメージは見事にマッチしていたのだ。BONは3つ目の味としてレモン味を発売し、さらにファンを広げていたと思ったけれど、間もなくスーパーの棚から商品は消えていった。丁度、青のイメージを卒業した野口五郎が、「オレンジの雨」を歌い始めた頃と時を重ねるように・・。青い思い出は、いつも甘酸っぱい。

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