宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -61ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

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写真のレコジャケは1975年のヒット曲、中村雅俊の「俺たちの旅」。同名のドラマの主題歌である。大学生カースケ(中村雅俊)とオメダ(田中健)のほんわかした友情と、なんだかのんびりした、それでいて悩みの多い青春ドラマ。脚本家、鎌田敏夫の出世作でもあるが、日曜8時枠はこのあと「俺たちの朝」「俺たちの祭」とシリーズは続く。話を戻すと、こんな大学生活を送りたいと憧れた女性ファンは、かなり多かったようだけれど、個人的にはオメダの妹役(真弓)だった岡田奈々がいちばん好きだった。第22話『少女はせつなく恋を知るのです』でカースケに恋をする真弓が劇中で歌う「青春の坂道」は、可憐な少女にピッタリの曲だった。♪心がシュンとした日は昔ならキミがいて おどけては冗談で笑わせてくれた 青春は長い坂を登るようです♪と、失恋後に岡田奈々が歌うシーンは、当時、乙女心が書ける作詞家と言われた松本隆の詞とともに心がぐっと引き寄せられた。このドラマは、桃井かおりや檀ふみ、竹下景子、山口いづみ等、あの頃の人気女優がゲストとして肩を並べたのも凄かったけれど、主題歌とカップリングされたエンディング曲「ただお前がいい」の人気も凄かった。もしかすると、このドラマでいちばん売れたのは、作詞・作曲の小椋佳なのかもしれない。

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$BOSSのブログ-秀樹

1972年、ワイルドな17歳のキャッチフレーズでデビュー。写真のレコジャケは、セカンドシングル「恋の約束」だけど、あまり売れなかった。秀樹が爆発したのは、73年の「情熱の嵐」の頃からだろうか? 74年の「薔薇の鎖」でスタンドマイクを回すアクションが話題になり、「傷だらけのローラ」でその地位は不動に。これまでのアイドルにはない、華麗でセクシーなパフォーマンスはアイドルというより、「ワイドル」とでも呼びたかった。もう一つ、秀樹の残した大きな足跡が不良のヒーロー像だ。74年に松竹系で公開された「愛と誠」は、ワイルドを超えたもはや悪の世界だったけれど、西城秀樹が演じる太賀 誠は、どこかナイーヴで華麗な世界観を創りだしていた。高校生不良ヒーローという世界は、その後75年に星正人の「男組」、76年舘ひろしの「男組2」と「暴力教室」、85年仲村トオルの「ビーバップハイスクール」、87年江口洋介の「湘南爆走族」、そして今小栗旬の「クローズZERO」へと歴史を継承していく。ただのワルではなく、矛盾した正義感にも似たナイーヴさは、西城秀樹の魅せた「愛と誠」からではないかと、私は睨んでいる。「愛は平和ではない 愛は戦いである 武器の代わりが誠実(まこと)であるだけで、それは地上における最も激しい厳しい 自らを捨ててかからねばならない戦いである」。このナレーションに触発され、秀樹演じる「太賀 誠」になりきったのは、きっと私だけではないだろう。

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$BOSSのブログ-美代ちゃん

大人気TVドラマ「時間ですよ(シリーズ3)」に浅田美代子が登場したのが、1973年。劇中歌の「赤い風船」は飛ぶように売れて、その年の新人賞に選ばれた。当時のレコード大賞には必ず応援者が駆けつけるのが慣例で、浅田美代子の応援にはドラマで共演していた堺正章と悠木千帆(樹木希林)が壇上に上がり、泣き続けた美代ちゃんは一気にスーパーアイドルへと昇りつめた。写真の広告、花王フェザークリームリンスのタレントに起用されたのも、丁度その時期だろう。「しなやかどすなあ」という京都弁を受けて通り過ぎるリンスのCMは、大ヒット。あの頃から男子もリンスを使うようになったのかもしれない。まだ、お湯に溶いて洗面器に髪をひたすリンスの方法はちょっと面倒くさかったけれど、美代ちゃんを想う一心で頑張ったように私は思う。「時間ですよ」から生まれた天地真理に続くスターとしてヒット曲も続いたけれど、74年「じゃあまたね」の作曲を手掛けた吉田拓郎に、その後我らの美代ちゃんはもって行かれた・・・。「さんまのからくりTV」等、現在もちょくちょくその姿にお目にかかることはあるけれど、リンスを頭に乗せて「♪花王フェザー」とささやいていた隣りの美代ちゃんは、たぶんきっと、もう何処にもいない。
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