宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -49ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-イサム

梅雨空のモヤモヤを吹き飛ばすような、ガンさばき・・。「荒野の少年イサム」は、日本初の西部劇アニメだった。1973年にフジテレビ系で放送されたのを、固唾を飲んで観ていたファンも多かっただろう。少年ジャンプに連載されたのが、その2年前の71年。写真のジャンプコミックスがそれだ。以前のブログにも書いたけれど、この頃の少年ジャンプは、本当にジャンプしていた。ガキ大将親分に、ハレンチ、平面ガエルに、サーキット・・とマンガのテーマが奇抜だった上に、気鋭の若手がどんどん登場してきたのだから、格闘技にも似た熱いバトルが1冊の中に繰り広げられた。そんな中、当時すでに「巨人の星」でビッグネームだった川崎のぼるが満を持して描き上げたのが、このイサムだったのだ。山川惣治原作で、テーマは差別。ジャンプだけあって、さすがに濃いテーマだと子供ながらに微笑していた。さて、川崎のぼると言えば、名作も数々。「いなかっぺ大将」に爆笑した人も、「てんとう虫の歌」で家族の良さを感じた人もいるだろうけれど、私はアマレスを描いた「アニマル1」が好きだった。メキシコ五輪に期待した、あの遠い日から幾年。今年もまもなく、五輪の夏が来る。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-黒イせえるすまん

梅雨が明けるまでのしばらくの間、またまた懐かしのマンガシリーズといこう。今回は「ホーホッホ」でお馴染みの「笑ウせぇるすまん」と言いたいけれど、写真の一冊はタイトルがちょっと違う。1968年に掲載された頃は、「黒ィせぇるすまん」だったのだ。変わったのは、アニメ化された89年から。喪黒福造という名前と邪悪な内容から「黒ィせぇるすまん」はピッタリだったけれど、今思うと「笑ウ」と変えた作戦もよかった。どこか痛快に笑い飛ばした方が、深みも増してくるというものだ。藤子不二雄は、時々こんなブラックな作品を手がけた。「黒べえ」や「夢魔子」、さらには「ひっとらあ伯父さん」など、かなり恐ろしい内容のマンガもあった。「オバQ」や「パーマン」との違いに驚き、子供心になんというジキル&ハイドなマンガ家かとふるえたほど・・。作品によって藤子AとFが描き分けていたことを知って、どこかほっとしたけれど、それでもやっぱりマンガ家は多重人格的でないと描けないと思う。そうでないと、のび太とジャイアンの二面性は描けない。ましてや、スネ夫の複雑な性格なんて、描けるはずもないだろう。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-ペコちゃん
食品キャラクターの代表と言えば、やはりペコちゃん。1950年にミルキーのキャラクターとして誕生しているから、史実的には私より年上になるけれど、もちろん永遠の6歳。赤いオーバーオール姿が愛らしくて、ペコちゃんがオマケに付いていたりすると、ついつい不二家のお菓子を買ってしまう。写真のペコちゃん人形も、そのひとつ。指人形のようなサイズがなんともカワイイのだ。そう言えば、私が6歳の頃にTVで大人気だったオバケのQ太郎も、TBS系の「不二家の時間」という番組枠だった。オバQが好きで好きで、そのせいか不二家のお菓子も大好きで、ペンシルチョコにパラソルチョコ・・・まんまとCMの罠にはまってしまっていた。過去のブログでも紹介したように、不二家のハイカップ(飲み物)の王冠を送るともらえた「オバQ音頭」のソノシートが欲しくて、今はないハイカップばかりを飲んでいたあの頃・・実に素直な、少しオッチョコチョイな6歳だった。そのソノシートには、オバQと競演するペコちゃんの姿があった。6歳にしてはちょっと大人っぽい浴衣姿のペコちゃん、それもまたウフフだったのである。

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