宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -35ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-伊東ゆかり

昭和の3人娘と言えば・・・。淳子、百恵、昌子の高3トリオではなくて、天地真理、小柳ルミ子、南沙織でもなくて、そのもひとつ前に遡る。正確には「スパーク3人娘」と呼ばれていた。そういう私もそれ程詳しくはないけれど、中尾ミエ、園まり、伊東ゆかりの3人だということは知っている。一時期、バラエティ番組の毒舌で人気だった中尾ミエは別として、他の二人はTVにあまり登場することがないので、忘れられているかも知れない。そんな、忘れられつつある中に、実は名曲も多い。写真のレコジャケは伊東ゆかりの「陽はまた昇る」である。伊東ゆかりと言えば、1967年の「小指の想い出」の方が有名ではあるけれど、私はこっちの方が好きだった。72年の第1回東京音楽祭歌唱賞受賞曲。この頃の伊東ゆかりは、もはや3人娘ではなかったけれど、実にのびやかな声で音楽を楽しむように歌っていた。♪わずか三月の愛だけど、すべて燃やした私の 哀しみさえ知らないで、明日も陽はまた昇る♪ というサビのリズムと歌詞が大人っぽくて、なんともイケていた。71年の「誰も知らない」もいい曲で、まだ中学生だった私が伊東ゆかりを聴いていたなんて、友達も家族も、それは、誰も知らない。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-三善英史

この季節になると、つい口ずさんでしまう歌がある。♪雨に濡れながら たたずむ人がいる・・♪という三善英史のデビュー曲、「雨」。と言われても、もはや記憶には薄い。それなのに、なぜそんなに憶えているのかと言うと、この曲が流行った1972年は歌謡界の激動期。新人賞は三善英史の他、のちに中3トリオを結成する森昌子、モデル出身の麻丘めぐみ、そして郷ひろみ。さらに、大衆賞という新ジャンルまで誕生させたほどのトップアイドル、天地真理の「ひとりじゃないの」は空前の大ヒット。レコード大賞も、ゲバ票では当時まだアイドルの香りを残していた小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」だった。時期が早かったのか、逆転負けはしたものの、歌謡界が少しずつアイドル化し始めたのが、72年という年。つまり、この年がアイドル時代の幕開けだったのだ。翌年の73年には、ついに歌が超ヘタでもレコード大賞にノミネートという現実が現れる。ビッグアイドル、浅田美代子の登場だった。この73年には中3トリオの二人目、桜田淳子もデビュー。アイドル化の波は、TVを通してグングン迫ってきたのだ。ちなみに、写真のレコジャケは73年の三善英史のヒット曲で、「円山・花町・母の町」。アイドルになりそこねたのか、三善英史はおそらくこの曲を最後にTVからも影をひそめた。雨に濡れながら、その時代にたたずみつづけたのかも、しれない・・。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-西川きよし

最近のTVは、どのチャンネルに合わせても似た顔ぶれのお笑いタレントが出演している。ちょっと食傷気味ではあるけれど、お笑いがお笑いとして登場しているから、まだいいのかもしれない。かつて昭和のある時期には、お笑いタレントの歌がブームになった。1972年にぴんからトリオの「女のみち」が大ヒット、73年には殿さまキングスの「なみだの操」がまたまた大ヒット。そうなると、柳の下の3匹目、4匹目を狙うのが芸能界だから、仕方がない。次々と、歌う漫才師が登場した。75年に西川きよしが歌った、写真のレコジャケ「愛妻ものがたり」もその一曲。妻との苦難の道を歌詞に託してはいるものの、正直聴けた歌ではない。当時の西川きよしと言えば、フジテレビ系(関西テレビ)の「パンチDEデート」やテレ朝系(ABC放送)の「プロポーズ大作戦」をはじめ、数々の人気番組を持った超人気漫才師。柳の下のどじょうどころか、うなぎくらいの迫力はあっただろうけれど、全く惨敗に終わってしまった。79年には、明石家さんまも「Mrアンダースロー」を発表し、これまた迷曲の仲間入り。80年代の「恋のぼんちシート」もひどかったけれど、餅は餅屋、お笑いはお笑いと心得て、昭和の教訓は肝に銘じておいて欲しい、ね。

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