さえない少年が一気に変身する、「パーマン」の教訓。 | 宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

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70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

パーマン

泣き虫で甘えん坊で、勉強嫌い。確かに小学生の真ん中あたりまで、私は特別何のトリエもない、そんな子どもだった。だからなのか、マンガの中に自分の分身を見つけようとしていたらしい。分身の名は、須羽ミツ夫。それはさえない少年だけれど、藤子不二雄が描いたマンガの主人公でもあった。ただひとつ、私と違っていたのは、その少年が「パーマン」に変身できるというところなのだ。1967年の日曜夜7時半から「パーマン」はアニメでも放送された。私は週刊少年サンデーでそのマンガの読者だったけれど、アニメで知った人の方が多かっただろう。真っ赤なマントをひるがえし、飛べば時速は91キロ、青いマスクをかぶれば力は6600倍。もう、さえない少年Aではない。分身の活躍は、心の翼を広げてくれた。正義に目覚めていく須羽ミツ夫の成長は、私自身の成長でもあった。「パーマン」の人気がやがて絶頂に達した頃、私もちょっと元気な小学生へと変貌したのだけれど、クラスではなんとなく浮いた存在にもなっていた。成長すると、何かを失う。だけど、さえないままだと自分が哀しい。人はどっちを選ぶべきか。迷っていた私に、マンガの中で、ある時パーマン4号(パーやん)は言う。「このパーマンの力をバイトに役立てても、誰も文句は言わんやろ」と・・。成長も、正義も、いろんな使い途があっていい。あの頃「パーマン」に教わったことは大きくて、今でも深い。

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