
ファンレターというものを初めて出したのは、忘れもしない1971年。親愛なる天地真理様、というヘンテコな書き出しだったように憶えている。たぶんナベプロ宛に送ったのだろうけれど、当時は東京の芸能プロダクションなんて雲の上の存在だったから、震える指を抑えながら精一杯背伸びをして書いたような気がする。そんな必死の思いも、「ぜひファンクラブにご入会ください」と印刷されたチラシが1枚、入会金の振込み用紙と一緒に送られてきただけ。少年の淡い恋心は、あっけなく砕け散ったのである。それも当然、あの頃の天地真理の人気は凄かった。何が凄かったのか・・冷静に思い返してみれば、それは恋をさせたということだろう。憧れではなく、スターへの恋。全国の男子が隣りの真理ちゃんに恋をしてしまったのだ。それは、テレビという身近なメディアが、スターをアイドルという存在に変えた頃かも知れない。その最初の人。それが、天地真理だった。写真のレコジャケは、73年 8曲目のシングルで「空いっぱいの幸せ」。そう、真理ちゃんを見ていると、空いっぱいに幸せがあふれているように思えた。ブリヂストンの「ドレミまりちゃん」という自転車が流行り始めた春、私は中学を卒業して、天地真理を卒業した。そして二度と、誰にもファンレターを出したことはない。

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