
この二人をライバルと見た人も見なかった人も、どちらも正しい。明るくて太陽の様な存在だった天地真理と、どこか寂し気で小雨の似合いそうな小柳ルミ子。全く違った二人をライバルとして注目させたのは、当時のメディアだった。1971年のデビュー曲、「水色の恋」と「わたしの城下町」はどちらも売れたけれど、そのタイトルからして洋と和、都会を攻める天地真理に対して地方攻略の小柳ルミ子はセールスひとつをとっても正反対だったに違いない。ところがいつの頃か、二人のイメージは変わった。暗くなりがちな天地真理に対して、華麗に踊って魅せる小柳ルミ子の姿に目を疑ったのは、私だけではなかったはずだ。本当の性格は、真逆だったのかも知れない。昭和には「ライバル物語」が多かった。大鵬VS柏戸、巨人に阪神、田中角栄には福田赳夫、ジュリーと来ればショーケン、矢吹丈なら力石徹・・。高度成長期のあの時代には、切磋琢磨こそが美学だった。共に磨き競い合う姿が賞賛され、そして数々のライバルが作られていったのだろう。成長の昭和史を振り返ると、そんな中で疲弊していった人たちに、つい声をかけたくなる。「もう頑張らなくてもいいですよ」と・・・。
