山口百恵とともに、揺れながら大人になった頃。 | 宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

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70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-山口百恵

花の中3トリオの一人だった百恵ちゃんが、いつの頃か、すっかり山口百恵になっていた。私の中でそれは1976年。14曲目の「パールカラーにゆれて」を歌う視線だった。それまで同年代としてしか見ていなかった歌手が、見たこともない色の光線を放つ異星人の様に思えたからだ。♪パールカラーの街あかり この胸にうけとめて 甘い風に誘われて 泣きながら歩きましょう・・♪こんな大人っぽいセリフをさらりと言える同級生はいない。そんな歌が似合う10代もいない。そう、大人っぽかったのだ。当時の私には、それが少し怖かったけれど、私の周囲の女性たちには憧憬のようだった。女性の方が、男よりもずっと大人なんだと知ったのも丁度その頃だったような気がする。どんどん成長していく友達や成熟していく女性が怖かったのかもしれない。自分は、まだ少年のままでいたかったのかもしれない。無邪気さが売りのアイドルとは全く別の視線や光を、それからの山口百恵はずっと放ち続けた。そして、菩薩とまであがめられたけれど、私の中ではあの年で止まっている。♪街は恋する者たちの港 夜風は潮騒のしじま・・ 愛は帆の切れた舟♪ と歌っていた、大人になりかけの時。夢の終わりと、そして始まり。

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