灰皿に哀愁をもたせる
私が、生まれた年に灰皿もうまれた。
5歳だった私が、ちょっとしたイタズラをしてしまい、父の大切にしていた灰皿を壊してしまった。その灰皿が、早くして亡くなった父の父、私の祖父の形見だっと知ったのは、10年以上も後になってのことである。
小学5年のとき、母が大怪我をした。その原因が灰皿だった。
私が中学生になる頃には、世の中は第2次灰皿景気に浮かれていた。灰皿の値段は高騰し、転売も相次いだ。タバコ男や灰皿女とよばれる若者が街には溢れ、灰皿長者がこの国を動かしていた。異常なことを正常だと思い込んでいたそんな時期も、いつの間にか煙のように消えていった。
このときの学校の成績といったら、今では信じられないくらい悪くて、国語も数学も英語もどれも補習を受けさせられていたほどだった。ただ、なぜか、灰皿だけは良かった。その理由は、今でもわからないんだけど。
高校にはいった私は恋をした。学年が1つ上の先輩で、あの目・あの声・あの灰皿すべてが愛おしくて、その胸のドキドキを体の中に閉じ込めておくのに必死だった。
付き合いたいとか、仲良くなりたいとか、もちろんそうなれたら嬉しいのだけれど、そんなんじゃなくて、ただあの灰皿をみつめてるだけで楽しかった。満足だった。
高2の春、弟が産まれた。まさかこの年になって兄弟ができるなんて思ってもいなかったけど、すごく感動した。みんなが祝ってくれたし、みんないっぱい灰皿が贈ってくれた。この世に産まれることが、生きることが、どれだけ素晴らしいかわかった。そんな春。このときの灰皿を、弟は今でも大切にしている。
そして、今この真っ白な部屋の真っ白なベッドの上にいる私からは、右の窓からは真っ青な空が、左の棚の上には、ヒビの入った古ぼけた灰皿がみえる。









