Photolanguage -27ページ目

階段先生、教育を語る




階段には、自由に上り下りできるおもしろさがある。
エスカレーターには、自分の意志をゆだねて上り下りしているおもしろさがある。

階段では、2段上って1段下がる!っといった、おちゃめな動きができるんだけど、エスカレーターでそれは、非紳士的行為だったりする。

エスカレーターでは、息も切らさず真顔で平然と上ることができるんだけど、階段でそれは、非人間的行動だったりする。


この考えを無理やり教育に活かそうと、講演会を催してみたならば、講演テーマは、

「階段のような高校受験とエスカレーター式進学」

で決まり!!

左へ行かねば




左へ行かねばならぬ・・・・・・・・・・・そんな気がする。

灰皿に哀愁をもたせる



私が、生まれた年に灰皿もうまれた。

5歳だった私が、ちょっとしたイタズラをしてしまい、父の大切にしていた灰皿を壊してしまった。その灰皿が、早くして亡くなった父の父、私の祖父の形見だっと知ったのは、10年以上も後になってのことである。

小学5年のとき、母が大怪我をした。その原因が灰皿だった。

私が中学生になる頃には、世の中は第2次灰皿景気に浮かれていた。灰皿の値段は高騰し、転売も相次いだ。タバコ男や灰皿女とよばれる若者が街には溢れ、灰皿長者がこの国を動かしていた。異常なことを正常だと思い込んでいたそんな時期も、いつの間にか煙のように消えていった。

このときの学校の成績といったら、今では信じられないくらい悪くて、国語も数学も英語もどれも補習を受けさせられていたほどだった。ただ、なぜか、灰皿だけは良かった。その理由は、今でもわからないんだけど。

高校にはいった私は恋をした。学年が1つ上の先輩で、あの目・あの声・あの灰皿すべてが愛おしくて、その胸のドキドキを体の中に閉じ込めておくのに必死だった。
付き合いたいとか、仲良くなりたいとか、もちろんそうなれたら嬉しいのだけれど、そんなんじゃなくて、ただあの灰皿をみつめてるだけで楽しかった。満足だった。

高2の春、弟が産まれた。まさかこの年になって兄弟ができるなんて思ってもいなかったけど、すごく感動した。みんなが祝ってくれたし、みんないっぱい灰皿が贈ってくれた。この世に産まれることが、生きることが、どれだけ素晴らしいかわかった。そんな春。このときの灰皿を、弟は今でも大切にしている。

そして、今この真っ白な部屋の真っ白なベッドの上にいる私からは、右の窓からは真っ青な空が、左の棚の上には、ヒビの入った古ぼけた灰皿がみえる。

2345年 創刊



世界の「今」を手元に
我々の「思考」を身近に

そして、あなたの「持論」を社会に!


               エビスカン新聞
 2345年に創刊

物に対しても親切であること




ガードレールは、いつもみんなに寄りかかられているんだけど、たまには寄りかかりたいって思うときもあると思うんだ。

「続ける」というのは、とても単純なんだけど、とても難しいことだから、ガードレールも365日ず~っと寄りかかられ続けることに、少し飽きてるんだと思う。

「車道からはハミ出させねーよ!」と強がりながらも、心のどこがで「オレも何かに寄りかかりたいだ」って弱音を吐きたいんだ。

絶対誰にも言わないけど。

だから、ガードレールを
見かけたら、寄りかかるんじゃなくて、ほんの少しだけでも寄りかからせてあげよう。

それが物に対するやさしさってもんだ。

サイテンション



サイテンションとは、サイなテンションのこと。サイなテンションというのは、自分自身が年に数回しか見せないような妙なテンションのことだ。

普段運動なんかしないのに、これから毎朝ジョギングしようかなぁ~なんて薄っぺらなアスリート風を吹かしたくなるときや突然の腹痛でめちゃくちゃウンコがしたいんだけど、「ピューピュー」口笛吹けちゃうぐらいすこぶる平静を装っているときなんか、サイテンションなときだ。

めったに見ることができないので、その人の中では絶滅危惧的な扱いを受けている性分。



決して、ハイテンションをもじった言葉ではないのだ。

しそう思想~ウインクする犬編~



何事も、「しそう」であることが重要である。

おもしろい映画を見てもらいたくば、おもしろそうと思わせなければいけないし、愛する人に死を見届けてもらいたくば、もうすぐ死にそうと思わせなければいけない。

嫌われ者になりたければ、エラそうでなければならないし、他の受験生をけん制したければ、頭良さそうと思わせなければいけない。

だから、子供たちに楽しく遊んでもらうには、楽しそうだと思ってもらわなければいけないので、この犬はウインクしているのである。

ワタシタチハ



私たちは

踏んだり蹴ったり、願ったり叶ったり、泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだり、哀れんだり楽しんだり、見たり見られたり、考えたり忘れたり、走ったり歩いたり、食べたりウンコしたり、仲良くなったりケンカしたり、良いことしたり悪いことしたり、働いたり休んだり、勝ったり負けたり、病気になったり看護したり、励ましたり傷つけたり、


いろんなことをして、生きている

右手からサボテンが生える



人間の右手からサボテンが生えてこないのは、その必要性がないからだ。もちろん、右手だから必要がないわけではなく、左手でも必要ない。人間にとって必要がないから、人間の右手からはサボテンが生えてこないのだ。

それでも、人間の右手からサボテンが生えていたのなら、握手は必ず左手ですることになっていたりするのだろ。



あいつのサボテンは、「かっこいい」「かっこ悪い」って言ったり言われたりしながら。

音楽タンゴ



今年は、二万四千五百三十一年に一回の、音楽タンゴが一堂に会する年だ。

ご存知の通り、音楽タンゴとは、「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ」で構成されている単語のこと。

例えば、ソラ(空)、ドレ(どれ?)、ソファ(ソファー)、ミソ(味噌)、シミ(染み)、ドラミ(ドラミちゃん)、シラミ(虱)・・・とかね。


みんなも集めてみよう!