氷川神社 東京都西東京市東伏見二丁目 | 虫と花 人と鳥

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スピリチュアルが好きで関心のあるものにレンズを向けます。ようやく人って面白いなと思い始めています。神々の皆様、背後霊そして周囲の全てに感謝を捧げます。ありがとうございます。


東伏見の駅前近くの氷川神社。正直言ってどこにでもあるような氷川神社ではありますが、ここで私は、知られざる日本の神社史の一面を知ることになったのです。

鳥居です。どうやら、これが取り返した鳥居のようです。分からないでしょうが、最後までお読みくださると分かります。



社殿です。

境内社の榛名神社。よくある境内社ではありますが、今回の注目スポットです。手前側にあるのが笠付塔一対です。以下の説明に出てきます。

本殿です。

この説明板に注目。


説明板の内容を繰り返します。
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文化4年(1807)造立、浄水盤
文政2年(1819)造立、榛名大権現笠付塔一対
文久2年(1862)造立、榛名大権現礎石
明治元年(1868)維新政府は神仏分離を発令すると、神道による国民教化を目的として古代の神祇官にならい、伊勢神宮を筆頭に由緒の神社を官幣各社から郷村杜、無格社等と格付けして神社の統治を図りました。明治40年(1907)にいたると政府は、神道国教化を徹底するため、村段階では一村一村杜を標準にして他を村社に合祀せよと定め、実質的には神社整理を断行しました。
このとき旧上保谷村下柳沢集落の鎮守であった榛名神社は、無格社として村杜に指定された尉殿神社に合祀される対象となりました。以来氏子をあげて十年間の果敢な反対運動を行いましたが、国家神道にまで強化された政府の宗教政策には抗すべくもなく、大正4年(1915)ついに合祀となりました。その後昭和17年(1942)埼玉県浦和市蓮見新田の村杜を引宮したのが現在の氷川神社です。境内「社殿改修記念碑」の碑文のとおり、相殿ながら榛名の神は昭和59年(1984)ようやく故地に戻りました。その長い由緒を伝える丈化財が榛名大権現石造物群です。
平成六年三月

西東京市教育委員会
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政府による神仏分離は知っていましたが、合祀という手段を使っての一村一村杜という強引な神社整理までは知りませんでした。

今まで、それぞれの神社に合祀が多いのは一社一神では氏子の数などの理由で神社が成り立っていかなかったからだと勝手に想像・解釈していましたが、国家の力で強引に神社の数を整理していたんですねぇ。びっくりぽんです。

尉殿神社(西東京市に現存するようですが、私はまだ参拝したことがありません)に合祀されることとなった榛名神社の氏子達は猛烈な反対運動を起こし、警察に盗難届を出して、奪われた鳥居などを取り戻しに行ったそうなんです。鳥居は取り返したものの、鳥居の礎石は大きすぎで持ち帰れず、今でも尉殿神社の参道に放置されたままだとか。

その後長い経緯を経て、埼玉県浦和市蓮見新田の村杜(氏子の数が少なかったらしい)を引宮して現在の地に氷川神社を建て、その境内社としてようやく榛名神社が氏子達に戻ってきたという。





東伏見と言えば、東伏見稲荷ですね。この日(2015年9月22日)の神社巡り、この時点で午後五時を過ぎていましたが、最後に東伏見稲荷に行ってみました。と言うか、東伏見の駅を降りた時点でもともと東伏見稲荷への参拝を意識しています。

駅前にある鳥居です。

高台にある道路の向こうに稲荷の屋根が見えますね。

神社前の大鳥居です。

が、扉が閉まっています。午後五時に閉門なんですね。賢明な神社側の配慮であると思います。

次回のお楽しみ、ということで、門前の大きな狛狐の写真を撮って帰りましたとさ。こちらは玉を、

こちらは鍵をくわえています。