【国宝】高松塚古墳 | まったり京暮らし

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観光地を避けた京阪神の街歩きや旅の備忘録と、季節の風景などを綴ります♪

しばらくは仕事で通りすがりのややディープな大阪の風景など♪

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石舞台古墳を後に、バスで高松塚古墳へニコ
 
少し暑い日だったから、極力歩かず、
目的地まではバスで移動しつつ見学
してたけど、壁画館へ向かう道々
の風景に癒されるラブラブ
これはゴルフ場のような整備されすぎた庭園だけど、
街中で育ったから、田園風景は珍しく、
日本の昔ながらの風景かと尊く思う。
そして、森のように樹が繁ってる
所はたぶん、天武持統天皇陵?

手前で栽培されてるのは違うと
思うけど、私のイメージは
明日香といえば、あすかルビーで、
イチゴの季節にはお世話になってます音譜
そうこうしてるうちに壁画館へ合格
 
壁画館には、高松塚古墳の壁画が
描かれた石室を復元したものや壁画
のレプリカが展示されてます。
 
石室と資料室以外の撮影はOKでした。
高松塚古墳は被葬者は不明ながら、
江戸時代の頃は、天武天皇陵では
ないかと伝承されてたそうで、
確証はないけど身分の高い皇室の方
のものだといわれ、藤原京時代
(694年~710年)に築造された終末期古墳。
 
1970年に発見されて、1972年
から発掘調査開始。
副葬品や被葬者の遺骨とともに、石室に
極彩色の壁画が発見されて、
1974年には女子群像などの壁画は、
国宝に指定。
 
詳しい基準はわからないけど、発見
されて2年程で国宝に指定される
のは、それだけ価値が高いらしいびっくり
その理由の1つは、極彩色の壁画の
中の天井部に、こんなような中国の
思想に基づく青龍や玄武などの四神
と日像、月像と被葬者の尊高性を
物語った壁画があり、大陸からの
文化伝来の貴重な資料との役割が
あるからだそう。
鎌倉時代に盗掘されたそうですが、
残ってた副葬品の一部はこんな感じの
物らしい。
そして、レプリカではあるけど、教科書でみた壁画。
こんな色鮮やかな7世紀~8世紀の壁画
が残ってたのは本当にすごいびっくり
発掘調査はこんな経緯だったそう。
 
そして、古墳が見つかった場所へ
移動。
天武天皇が国作りをした当時、
こんなだったかもしれない
風景にしみじみと感銘を受ける。
万葉集に詠まれた風景も、こんな
だったかもほんわか
そして、高松塚古墳があったのは、
あの下で、発掘前もあんな感じの
盛り土だったのかな。

ちなみに現在の姿は発掘調査を元に、
造営当時の姿に復元したものです。

天武天皇は藤森神社や三栖の
炬火祭りの御祭神で、伏見の
その辺りの地域は領地だったのか
と思う事があり親しみ深いお願い

少し上の丘からの風景は、私の想像する
万葉集に詠まれるような飛鳥時代の風景
そのものだった音譜
なんて美しい海外の巨匠の絵画の
ような風景ほんわか
こんな、のどかな場所で村史の編纂の
ために調査した古墳で、あんな物が
見つかるなんて、この辺りの歴史は
本当にすごい合格
 
明日香村は、今回は朝から夕方まで
休憩を挟みつつ、ここまでしか見学
できなかったけど、バスの移動で
涼しい館内を見学してると、
あまり暑さを感じず、熱中症の
ようにならなくて快適だった。
 
また違う季節に他の遺跡も訪れたいひらめき
 
それにしても、近くを訪れたばかり
なのに、安倍元首相の事件は衝撃
だった。
 
万人にとって満足な政治では
なかったかもしれないけど、
現代にそぐわない古い体制を
変えてくれようとした良い
政治家さんだと思っていたのに。
 
安倍元総理のご冥福を心からお祈り
申し上げます。
 

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