週末ポタリング、涼しく心地よい日で
奈良街道沿いに、稲荷大社あたり
まで、どんどん進もうと思ってた

藤森~洛中へと向かう、この街道沿いは
今も町家風の木造建築の家が立ち並び
京都の住宅街らしい風景


通り沿いの歴史的建築の
校舎がある聖母女学院。
この建物は、1908(明治41)年8月に、
陸軍第16師団司令部の庁舎として建設。
戦後、平和を心から愛する当学院の
創立者メール・マリー・クロチルド・
リュチニエのもとに払い下げられ、
正門前のマリア像と共に、当校で
愛されています。
「京都を彩る建物や庭園」として、
2016年には、重文指定。
いいな

ちなみに、叔父は90歳近い年で
大往生ともいえるけど、コロナ前
までは、わりと元気で奥さんを
10年前に亡くされてからは、
一人暮らしで、料理や身の回りの
世話も全て自分でしてた。
キレイ好きで、スッキリ片付いた
お部屋にお花まで飾ってあり、
手入れされた美しい空間に惚れ
惚れする程だった。
他の親類の家も近くにある
から、コロナの前にはわりと、
家にも遊びに行ってたけど
コロナが騒がれ始めた頃から、
感染予防を徹底して、行くのを
止められてた。
亡くなる1か月前に周りの高齢の
親戚ともども、ワクチン2回接種
を完了して、私もそのうちには、
ワクチンを接種したら
会えると思ってたのに、、
今にして思うと、昨今では叶わぬ
願いだけど、無理してでも一度
くらいは会いたかった、、
実家から、聞いた話では、
ワクチンを打ってたので、コロナ
には感染してないけど、それまで
本人にも自覚がなく、気づいて
なかった肺がんがかなり悪い状態
だったようで、それが原因で急に
亡くなったらしい。
でも、コロナ禍ではあるけど、
具合が悪くなり、駆けつけた
かかりつけ医から、何とか検査の
ための大病院を紹介してもらい、
一旦コロナ待機のような隔離部屋で
二週間を過ごしつつ、同時に検査を
進めて、陰性を確認してという経過
だったから、万全の態勢ではあった
と思う。
隔離期間が終わって安堵して
たら、すぐに亡くなったそう。
幸いコロナでなかったから、
すぐ近くのいつも接してる親族
の最小限でも、普通に葬儀は
できたようで、それだけでも
良かったと思う。
けど、コロナがそんな風に
色々と人との繋がりを断って
いくし、良かれと思って、
今だけ我慢のつもりが、
永遠に会えなくなってしまう
のは、無念で寂しい限り。
緊急事態は9月末まで、延長に
なったけど、ワクチンを接種
した人は他県マタギも可能
とか、緩和されるらしいけど
ブレイクスルー感染が流行ってる
らしいし、それもどうかと思う。
それにしても、街角で流れてた、
この歌に癒された。
イエスさんは信仰してないけど、
賛美歌的なクラッシックは美しく
気持ちが安らぐ。
そして、同列上で歌のお姉さんの
動画があったから、みてみたら、
アヴェマリアは、こんなのもあった。
こっちは、あまり聞いた事がなかった
けど、壮大な雰囲気。勉強になった。
そして、お姉さんの歌声は心に染みる。
こっそり応援して下さる方はポチっと♪