【近代史】一之船入と京都ホテルの歴史 | まったり京暮らし

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観光地を避けた京阪神の街歩きや旅の備忘録と、季節の風景などを綴ります♪

しばらくは仕事で通りすがりのややディープな大阪の風景など♪

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先日、高瀬川沿いを歩いてる時に
面白いものを見つけたニコニコ
それは一之船入の近く。
まずは史跡一之舟入~

一之舟入~

そして、この史跡の近くには赤い壁

が印象的な中華料理屋さんの

『一之船入』さんニコ

「医食同源」の思想を大切にした、
体にやさしい中華料理だそうで、
ミシュランの星1つを獲得したそう。
この町家はかつて、芸妓を呼ぶ
お店のお茶屋さんだったようで、
建物に風情がありますニコニコ
今はテイクアウトもされてます。
鴨川散歩のお供に良いかも音譜
比較的お手頃なランチくらいなら
と思いつつ、いつも時間外、、
そして、今回見つけた物は、こちら音譜
一之船入の斜め向いに京都ホテル
オークラがありますが、こんな胸像付
の説明があるのは知らなかったびっくり
左側は又吉泉記碑。
こちらは京都ホテル創業100周年の
記念の1988年に諏訪山から譲り
受けた物だそう。
そして、その昔は千円札にもなってた
日本の最初の総理大臣、伊藤博文公が
居られます。なぜこんな所に?
説明~長いけど良かったら、どうぞ音譜
京都ホテルの敷地は元々は長州藩京屋敷
の跡地だったが屋敷は幕末維新の際に焼失した。
後、しばらくは放置されてたが、殖産興業の為、
京都府が1871年に勧業場を設置。
その後10年余りで勧業場は閉鎖。
その払い下げとして、京都ホテル創業者の
前田又吉公が買い受けて、京都ホテル
を1890年にこの地に建設した。
ホテル創業者の前田又吉公と伊藤博文公
は博文公が兵庫県知事の頃から親交が深く、
又吉公が亡くなった際に、道徳を偲び神戸
の財界人と博文公を始めとする政界人で
寄付を募り銅像記碑を贈った。
銅像は第二次世界大戦時に供出されて現存
しないが、記碑は博文公の直筆入りだそう。
お二人の胸像は、さらに最近、平成30
に京都ホテル130年を記念して再建された
そうです。
ちなみに京都ホテルの元となる旅館
『京都常盤』は、神戸の名料亭
『常盤花壇』の京都においての新事業で、
1888年に二条橋西詰上ルの地に開業。
その翌年1889年に東京~神戸の鉄道が
全通して、本格的な大ホテル建設の為、
ここに京都ホテルが建設された
 
という歴史だそうびっくり
幕府の命により商業の中心が
大阪に移り、さらには明治天皇
の東行により、一時は衰退した
京都を復興するの国策の殖産
興業の歴史背景と共に今も
建つホテル。
そんな背景もあり、伊藤博文公
の像も供にあったのですねニコ
後ろからだけど、立派合格
ちなみに、京都ホテルは2002年に
ホテルオークラの傘下に入り、
来年1月には名称をホテルオークラ
京都に変更するそうです。
同時期にオープンするホテルオークラ
岡崎別邸の開業に伴う変更だそう。
 
そして、知らなかったのですが、
京都ホテルは渋沢栄一が創立に
関わった西日本で唯一のホテル
でもあるようです。
 
そんな歴史背景の町なので
ホテルの近くには島津製作所
や現在営業中の日銀京都支店の
建物で旧織殿(おりどの)跡や
京都市役所などがあります。
また別記事で書こうと思います。
 
それにしても、こんな歴史を感じる
老舗ホテルは、泊まるだけでワク
ワクする感じニコニコ
また別邸が新設されて、ピカピカ
のホテルに泊まるのも気分が
上がるし、観光に来られる方には
選択肢も増えて良いと思います音譜
一之舟入近くの紫陽花も見頃で
美しかったお願い
 
京都の町は歩くだけで、勉強になる音譜
 

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