脇坂家のこの歴史は知らなくて
勉強になりました

徳川政権から、伏見の町は大発展して、
商業の中心は大阪へと移り変わり
つつも、戦時中まで~その後京都市に
編入されるまでは独立行政だったから
大抵の事は、今でも近くで用が済み
便利です。
土地の歴史は面白くて大好きです

長建寺の由緒~
13代目伏見奉行 建部政宇が元禄12年
(1699年)、壕川を開拓するとき、
深草大亀谷の即成就院の塔頭多門院
を分離して現在地に移築した。
建部姓の一字と長寿を願いと名づけた
のが寺の起こりだそうです。

お花があまりに美しくお詣りし忘れる
方もいるのでしょう

昨日、NHKの大河ドラマ見て思った
けど、うちの家族やまわりの友人は
類友なのか、皆あのタイプ

京都に住んでなかったら、お寺や
神社に参拝する習慣もないに等し
いから、この立看板にハッとした。
でも、境内に足を踏み入れて素通り
は礼を欠くから、もちろん参拝して
護摩木で祈願しています


有名な桜守の方が手掛けた糸桜
だそう

秀吉公最後のお花見で有名な
醍醐寺からのお裾分けで、
戦後にやって来た樹齢70年の
糸桜は、伏見の酒かすを肥料に
与えたところ、病弱な桜が見事
に咲いたそう。
お酒好きの桜さんかも

桜の季節に、ここを参拝してさらに
駅から、どこかへ散歩に向かう計画が、
これほどのお花にすっかり満足して、
緊急事態でなくなった今も近所から
出れない日々

この辺りに来た帰りには、ここにも
寄ってます

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