【歴史散歩】西教寺へ~明智光秀公菩提寺 | まったり京暮らし

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観光地を避けた京阪神の街歩きや旅の備忘録と、季節の風景などを綴ります♪

しばらくは仕事で通りすがりのややディープな大阪の風景など♪

よろしくお願いします♪

少し前の過日、麒麟がくるの展示を

してるというので、滋賀坂本の西教寺へニコニコ

坂本の町は、お花見などで何度か

訪れたことがあるのですが、

こちらのお寺ヘは初めての参拝。

予想外に立派なお寺で、天台真盛宗

の総本山。

聖徳太子が恩師である、高句麗の僧、

慧慈、慧聡の為に建立したと伝えら

れてるそうで、相当古くからの

由緒あるお寺びっくり

 

ただ、久しく廃寺してた時期があり、

室町時代、中興の祖であり天台真盛宗の

宗祖である真盛が入寺してから栄えた。

その後、比叡山焼き討ちにより本堂は

焼失するも、その功績により信長公

から、この坂本の辺り一帯を賜った

明智光秀の寄進により、3年後復興。

光秀没後は、明智一族の菩提寺と

なる。

ご本尊は阿弥陀如来。

総門は光秀の居城の坂本城から移築

されたものだそうで、戦国の歴史を

感慨深く感じますお願い

ちなみに、比叡山焼き討ちは、当時の比叡山

が土倉という質屋のような高利貸しを行い、

年利は50%~70%にも及び、遅延の際の取り

立てはかなり厳しく、公家の家に押し入る事

を禁止する令が発令されたほど。

それ以外に、関所や市による商品流通酒造

麹の利権などを所有し、相当の利益

を上げていた大財閥で、寺の本分を怠り非道

で目に余る行為を繰り返してたため、これを

解体する意味があったと言われてます。

でも、時代背景は戦国の世。

誰もが生きるために一所懸命で、何人たり

とも家業や領地を脅かして来て、利害が

一致しないなら、戦うしかない。

やってないけど、戦国時代のゲーム

にハマる気持ちよく解る。

禅明坊庭園。

麒麟が来るのタイアップで、わかり易く

作りこまれたパネルや撮影に使われた

小物等が展示されてましたニコニコ

 

続きはこちら↓

麒麟の唐門~西教寺


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