いや〜〜〜〜あせる

先回のブログ更新からまたまた4ヶ月も間が空いちゃいましたねぇ〜〜滝汗

 

別に書きたいことが無くなった訳ではなく、

むしろ書きたいことは、この4ヶ月の間にも山ほどあったのですが、

なぜだか更新するには至らずほったらかしたままでしたガーン

 

去年は結構熱心に書いてたのになー

今年になってから極端に更新頻度が落ちてしまった…

 

その原因は色々とあるのですが、その中でも決定的だったのは、

やはりツイッターを始めたからだと思います。 Twitter ID (@ungm6074)

 

昨年の投稿返信をください その3で、自分でも言及していたのですが、

しかし、このブログも人の興味を引くような記事を定期的に

書き続けなければならないというハードルの高さ…

から、ネット・コミュニケーションの主流はより手軽なSNSにとって代わられたということ。

 

自分で実際にツイッターを使ってみて、そのことがよーくわかりましたてへぺろ

 

 

とにかくブログってめんどくさい。

 

何がめんどくさいって、”文章”を書かなきゃいけないってことが、とにかくめんどくさいガーン

作家やライターなどの文筆家さんたちなら、ブログくらいの軽い文章などスラスラとあっという間に書き上げてしまうのでしょうが、

一般ピーポーの私が何かを伝えるために”文章”にまとめようとすると、そう大した内容でなくとも、あーでもないこーでもないと拙い言葉をこねくり回しているうちにあっという間に何時間も過ぎてしまうえーん

 

対してツイッターの場合は”文章”というより”言葉”のやりとり。

ツイート(つぶやき)とはホント言い得て妙で、その時思い浮かんだ言葉をつぶやくように書き込むだけで、誰かに何かを伝えた気になれる。

で、その言葉も刻々と流れていくTL(タイムライン)上で他の言葉たちに押し流されていくので、多少間違ってたって、なんの脈絡も無くたって構わない。

だからそんなに推敲することもなく、時間もかからず、気負いなく気軽に自分の気持ち、考えを発信することができるわけですニヤリ

 

これは私みたいな凡人にとってはとってもありがたい。

だって一銭の報酬も得られないブログのためにウンウン頭を悩ませて何時間も時間を費やさなくても、

手元のスマホをすわすわ、ぴろんとやるだけで、おのれの自己顕示欲というか承認欲求というかなんというか、

とにかくオレの話を聞いてくれ、という欲求が簡単に満たされてしまうのだから。

 

それにツイッターにある140文字の字数制限。

これも今の時代にはぴったりですよね。

とかく現代人は”文章”というものを読まなくなった。

ちょっとでも長文に出くわすと、いやそれはいいからとにかく

「3行にまとめろ」

あるいは

「ドラゴンボールにたとえて」

となる。

 

長い文章を読んで考えて内容を理解する、なんて非効率な作業はアーバンライクにビジーでエグゼクティブな現代人にとってはコスパ悪すぎで、

全ての情報は瞬時に直感的に理解できるものでなければ、それは見るに値しない、無価値に等しいものなのでした。

 

そんなわけで短文一発、感性に訴えかけるツイッターこそが、現代のコミュニケーションツールとして最適解なのかもしれません。

そして書く者にも、読む者にも「めんどくささ」を強いるブログは淘汰され、このまま衰退の一途をたどっていくのでしょうね…ショボーン

 

 

 

とはいえ、そんなことを言いながら、またこうしてブログを書こうとしている私がいる。

 

ツイッターの140文字制限って、制限が無いと際限なく文章が冗長になってしまう私みたいな人間にとっては、『いかに無駄な言葉を省いてシンプルに自分の言いたいことを伝えるか』のとても良い訓練になって、そういう意味でも楽しかったりするのですが、

でもやっぱり140文字では伝えられることにも限界があるんですよね。

どうしてもツイッターでは言い足りない、伝えきれないことがでてくる。

 

ツイッターを「詩」と例えるなら、ブログは「小説」みたいなもので、同じ”文字”による表現物であってもそれはまた別種のもの。

それぞれが得意とする表現の領域は異なる。

「詩」が「小説」の代替とならないように、「ツイッター」も「ブログ」の代わりにはならない。

コミュニケーションツールという観点ではツイッターの方に優位性があるが、表現の自由度からいえばブログの方に分がある、それぞれの特性に合わせて目的に応じて使い分けられていく、というのが実際のところでしょう。

 

ただ私の場合、ツイッターにつぶやくことで、元来ささやかな私の自己表現欲は十分満たされたと思っていた。

そして「ああ、もう”めんどくさい”ことしなくていいんだ」と安心していた。

 

しかしその実、「ツイッターの140文字」からポロポロとこぼれ落ちた”言いたいこと”が、少しづつ心の奥底に澱のように溜まっていた。

それがいつの間にやら気づかぬうちに溢れそうになっていた。

 

何が言いたいのか自分でもよくわからないが、とにかく誰か

「オレの話を聞いてくれ」

 

そんな心の叫びとともに、この長々としたためた手紙のようなものを”ブログ”という空き瓶に詰めて、広大なるインターネットの海へと放流するのでした真顔

 

 

 

 

そんなこんなの私が今回ご紹介するのは、

 

いましろたかしの漫画

「ハーツ&マインズ」

ですグラサン

 

 

1989年刊行のいましろたかし初の単行本。

 

このカバー写真が、マジやばい。

 

この写真一枚でこの漫画がどういう作品かを端的に表していますねー笑い泣き

 

この部屋を見て

「何この部屋?きったねー。臭そう」

としか思わなかった方は、おそらく いましろ漫画とは全く無縁の人でしょうから、黙って本をそっ閉じで、そのまま陽のあたる場所で人生を謳歌してください。

 

しかし、少しでもこの部屋に哀愁というか郷愁というか、親近感というか同族感というか……いやまさにオレ今こんな部屋に住んでるよ!なんて人には、是非ともこの本を手に取って読んでいただきたい。

 

この「ハーツ&マインズ」という漫画は、こんな汚くて臭そうな部屋で暮らす男たちが真っ直ぐに懸命に生きる姿をありのままに描いた、ペーソスに満ちた、哀しくもやがて可笑しき「爆笑ギャグ漫画」(だけどシャレにならない漫画)なのですグラサン

   

 

 

今は2002年に復刊されたこちらの版が手に入りやすいです。

秀逸なカバー写真が見られないのが残念ですが、その代わり江口寿史の推薦文や狩撫麻礼のあとがきや、その他数多くの著名人たちの復刻の祝辞が載っているので、やはり”買い”ですニヤリ

 

 

この作品は基本、短編の寄せ集めなのですが、シリーズの主人公として3人の男が登場します。

 

一人目は「山下敬介(啓介)」

中学を卒業してすぐ、北海道から上京して寿司屋に弟子入りするも1年の出前持ちであっさりと辞め、巣鴨のボロアパートで一人暮らしをしながら、日雇いバイト生活をすることになる。

夢もなく金もなく、友達もなく、当然女にモテることもなく、満たされない日々を送る山下は、夜な夜な変態電話をかけて持て余した欲求不満を解消するのが日課となっていた。

そんな26歳。

 

二人目は「岡田くん」

フリーターをしながら、こつこつと国家二種公務員を目指す好青年。

しかし容姿は背が低く、顔が大きくゴツゴツとして、猫背でガニ股なのでやはり女にはモテない。

おまけに融通のきかないせいで仕事でもつまらないミスが目立って理不尽に叱られ、人から貧乏くじを引かされることも数多い。

「不器用」の一言につきる22歳。

 

三人目は「谷脇省吾」

彼は5浪の末に入学した大学を「こんな甘っちょろい世界に4年もいたのでは人間腐ってしまう」と2ヶ月で退学してしまう。

そんな彼の部屋には「質実剛健」の文字が貼ってあり、それに向かって、

「俺は 本物になりたいッ」押〜〜〜〜〜忍!!

と叫ぶ。

”本物”にこだわり、考えないで行動する、「硬派」が信条の男。

 

 

この作品に寄せた江口寿史の言葉を借りると、

モーレツに純粋。モーレツに一所懸命。だからモーレツにおかしく、そして悲しい」男たち。

そんな彼らがボロアパートの一室でひとり、孤独に打ち震え、渇望にもがき苦しみ、それでも誠実さを胸に抱いて生きていく、その生き様が短編漫画として描かれていくのでした。

 

 

 

私はこの作品をビジネスジャンプ連載時から読んでいました。

 

連載が始まった当初は、絵的にも構成的にも泉昌之の影響が強く、そのフォロワーくらいにしか思ってなかったのですが(それでも注目していましたが)、

やがて決定的に、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた回が掲載されました。

それは岡田くんが主人公の回、

「中野の友人」でした。

 

 

東京都・中野の夏

岡田は2度目の国家公務員中級職試験に

落ちた。

 

また再び、試験勉強とバイトだけに明け暮れる毎日が始まる。

そんな岡田の唯一の息抜きは、中野ブロードウェイの近くのゲームセンターにある、ピンボール台できっちり一時間だけ遊ぶことだった。

 

生来不器用な岡田は当然のごとくゲームも下手くそだったが、このピンボール台だけは、あまり人のやらないこともあり、やがてハイスコアを叩き出すまでに上達した。

それは大した記録ではなかったが、人生負けっぱなしの岡田には密かな誇りだった。

 

ある日、そのピンボール台を髪を後ろにくくった可愛い女の子が一人でやっていて、岡田のハイスコアをあっさりと抜いてしまった。

悔しい岡田は、彼女が立ち去った後すぐに奮起して記録を抜き返した。

 

以来、二人はこの台のハイスコアを競い合うライバルとなった。

とはいえ、二人はお互いに挨拶すら一言も言葉を交わすこともなく、ただそれぞれが台に興じるだけだった。

 

それは二人の日常生活もまた別々に、全く無関係に続く。

岡田が勉強とバイトに明け暮れるなか、彼女は恋人とデートをしてキスをして、

ひと夏が過ぎ、季節が過ぎて、やがて雪が降り始めた冬のある日の交差点で……

 

 

 

 

 

この作品に出会った当時、私は高校生でした。

 

高校に入学してなんとなく入ったバスケ部を1ヶ月で辞めてしまい、

(バスケ部に入った動機は”モテそう”だからw  その実私はただの漫画オタクだったのだが、だからといって漫研みたいなところに入るのは当時よっぽどの覚悟がないと無理だったゲッソリ まだオタクが差別されていた時代…)

以来、クラスのバスケ部員から嫌がらせを受けたりして居場所を失い、

とはいえ、まぁ友達がいなかったわけでもなく、バンドを組んだりして(私はドラムスをやっていたw)それなりに楽しくはやっていたのだけれど、

でも、バンド仲間の彼らはそれぞれ部活に所属して学校にしっかりと居場所を持っていたが、私にはそれが無かった。

高校の卒業式でも式の後、バンドの連中はそれぞれ所属する部活の集まりの方へ行ってしまい、ぼっちになってしまった私は特に親しくもなかった同じ帰宅部の奴らに混じって、そいつの家でスーパーマリオブラザース2(ディスクシステム版)をやっていた、というほろ苦い思い出がある真顔

 

そんな高校時代の私は「女にモテたい」「みんなからチヤホヤされたい」と思いながら、だからといって周囲に媚びてガツガツと自分をアピールするのは浅ましい、カッコつけなくてもそのままで、

「ありのままの自分をみんなが認めてくれる”本物”になりたい」

と思っている、

がしかし、”本物”になるための努力などはせず、そもそも一体自分が何をしたいのか、具体的に”本物”とは何なのかすらわからないまま無為な日々を過ごしていた、

まさにいましろ漫画を地でいくような人間でした滝汗

 

 

そんな私がこの「中野の友人」を駅前の本屋の店先でひとり、立ち読みをしながら涙していたのも、今となっては懐かしい遠い思い出…

 

 

たった8ページのこの小品が、何でこんなに私の心を惹きつけたのか。

 

誰かと繋がり合うことを強く求めていながら、オレはお前らみたいな”偽物”とは違う、と自ら人を遠ざけるような振る舞いばかりしていた当時の私。

それでも、ある日街角で、こんな彼女みたいな、今でいう”ハイスコア・ガール”みたいな女の子に出会える奇跡を夢見ていたからかもしれない。

 

でも、そんな奇跡への憧憬の、より深いところにある部分。

誰からも相手にされずに、ただひとり不器用にひたむきに生きるしかない岡田のような人であっても、その世間から自分を隔絶している「孤独」という厚く硬い殻を、針の穴を通すように一筋の光が差し込むことがある、その瞬間は確かに存在するということ。

相手がどんな人か名前すら知らないとしても、何かを介して心の深い部分で通じ合うことは可能であるということ。

それは今、私がいましろ作品に偶然出会ったこの瞬間もまた、岡田と彼女がすれ違った交差点と同じ場所だということ。

 

この事実を感覚的に理解したから、自然と涙が溢れだしたのだろうと思う。

 

そして、ラストの岡田と彼女の表情の対比が、私の”こころハート&マインドに温かさと切なさをもたらしたのでした。

 

 

 

 

 

この「中野の友人」は、私が以前このブログで紹介したドラマ「山田孝之のカンヌ映画祭」主演の山下敦弘監督が実写化しているらしいです。(私は残念ながらまだ未見です。…というか見るのが怖いです。思い入れが強すぎて)

 

そしてこの山下監督と山田孝之のコンビが、あのいましろたかし×狩撫麻礼の名作「ハード・コア 平成地獄ブラザーズ」を映画化。

今年の11月23日より現在公開中なのですグラサン

 

 

この「ハード・コア」の映画化を知った時、正直「何で今更…」って気持ちが先立ちましたショボーンなにしろ20年以上も前の作品だしね。

でも「山田孝之のカンヌ映画祭」は傑作だと思っているので、あのコンビが作る映画なら…ということで、観に行ってきましたよグラサン

 

で、感想は、

「よかった〜〜〜」笑い泣き

 

まぁ、欲をいえばいろいろ言いたいこともありますが、

よくぞここまで、あのいましろ作品世界を映像化してくれたなーとそれだけで満足です照れ

山田孝之、佐藤健、荒川良々の演技も見事。

 

そして、原作には無い、映画オリジナルのラストシークエンス。

私の抱いた「何で今更?」という疑問に対する、一つの答えを示してくれた気がして、本当によかったですニヤリ

 

 

 

 

 

この「ハード・コア」の主人公、権藤右近の原型(というかほぼ同一人物)なのが、「ハーツ&マインズ」の山下敬介(啓介)です。

 

この山下啓介の登場回

ジャスティⅡ

もまた、私の心の名作として胸に刻まれていますグラサン

 

 

 

早稲田大学に合格した山下弟(啓三)は、兄 啓介のところへ報告に行く。

 

部屋に入ると、啓介は机に向かって漫画を描いていた。

 

「他人に競争で勝つのはとてもいいことだ」

原稿用紙にガリガリとペンを入れながら啓介は言う。

 

「たかが早稲田だぜ」

啓介の後ろで寝転がってタバコをふかしながら弟は言う。

 

「く…… くそっ!」

突然、握ったペンをへし折る啓介。

「手が…思うように動かん…」

「あ…う…あ 頭が痛い」

 

頭を抱えている啓介の後ろの壁には、ヤングジャンプ月例賞の努力賞「恋のキャッチャーミット/山下啓介」の入賞の告知が額に入れて飾られている。

 

「………… いつからマンガなんて描いてんだよ?」

 

「そ、そうだな もう一年くらいだな…

「集英社の人にほめられてな

「古いけど気合いが入ってるってよ 嬉しかったぜ…!

「それからよ 俺のマンガ道が始まったのは…!!」

 

啓介は弟の方へ振り向いて、嬉しそうに封筒からマンガ原稿を取り出す。

そして「これ読んでみるか?」と弟に読むように勧める。

 

「まあ…今までなんもいいことなかったからな 俺は

「人の下でこき使われて…… チャンスだ マンガは…

「一発当たるとでかい 都内に い…いっ家が建つ」

 

「ど…どうだ!?」

感想をうながす啓介。

 

「ああ 今見てるよ」

弟のその目線の先には、古臭く拙いマンガがあった。

 

「…………  マンガ……  いけるぜ アニキ!」

 

その返事を聞いた、兄 啓介は…

 

 

 

 

涙にむせびながら立ち去る弟の背中に響く、兄の魂の叫びがこだまする。

 

「ジャスティ」

 

この言葉は ぴったりの、ちょうど、正に、本当の、などの意味をもつ(just)からの造語。でありながら同時に、ジャスティス(justice)=”正義”の意味をも含みます。

 

この”ジャスティ”こそが、初期のいましろ作品群に通底する、シンボルとなる言葉です。

 

等身大のおのれを偽ることなく、ただ純粋に自分の信じる”正義”を貫き通す生き方。

 

それは、時に世間に受け入れられずにコミュニケーション不全を起こす、とても不器用な生き方でもある。

 

 

ハーツ&マインズ」が連載されたのは1988年から1989年にかけて。

ちょうど昭和が終わり、平成が始まった時期と重なります。

そしてバブル景気が最高潮となり、日本中が金に踊り狂い始めた時期でもあります。

小金を掴んだ成金どもが、やれ海外旅行だ、やれスノーリゾートだ、ブランド品だ、クリスマスだ、アッシーメッシーミツグくんだー!と浮かれ騒いでいた、

美わしの都はひっきりなしのお祭りさわぎ

 

そんなお祭りの神輿に乗り損ねてしまった者たちは、「ダサい」の一言で世間からつまはじきにされてしまった時代でした。

歪んだ価値相対主義と功利主義が支配していた時代に、彼らの”ジャスティ”など青臭いルサンチマンに過ぎないと鼻にもかけず一笑に付されるだけでした。

 

そうして疎外され、暗く汚く臭い部屋に引きこもらなければならなかった、「四畳半」の住人たち。

松本零士の漫画「男おいどん」に代表される70年代「四畳半」の系譜は、80年代末においては、狂気に踊る世間を尻目に、ただ黙々と孤独におのれの心の刃を研ぎ澄ます場所へと変容していきました。

 

そんな中で、いましろたかしは次の連載シリーズを「ザ⭐︎ライトスタッフ」=”正しい資質” と題し、彼の”ジャスティ”を研ぎ澄ましていきます。

 

そして、バブル崩壊の1991年、初の長編漫画「デメキング」の連載を開始します。

デメキングという謎の怪獣と戦う男の物語。

一部の人々から高い支持を得ながら、14週で連載打ち切りになってしまった、幻の名作。

のちの漫画に影響を与え、2009年には実写映画化されました。

実際、いましろたかしの力量不足で打ち切りを待たずに物語が破綻してしまっていたのは否めませんが、ほころびから漏れ出していた熱量は半端なく、バブル崩壊から95年のカタストロフへと至る時代の空気感を見事に表現していたのは間違いありませんでした。

 

「デメキング」の流産に自身の力量不足を痛感した彼は、この後、同志であり盟友と

なる漫画原作者、狩撫麻礼と組んで再出発をします。

 

こうして同じ”ジャスティ”を持つ者同士が響きあうことで、「ハーツ&マインズ」から始まった彼の孤独な戦いは、一つの集大成「ハード・コア」として結実することになるのでした。

 

 

ところで、「ハード・コア」のラストシーンはとてもあっけない感じであっさりと終わってしまうので、初めて読んだ時は正直拍子抜けしてしまったのを覚えています。

まあ、いましろ作品にドラマチックな大団円を期待する方が間違っているのですが。

 

その演出についてはさておいても、あの結末自体、なんともやるせない気がしてたまらなかった。

狩撫麻礼らしい”エクソダス(Exodus)"な最後だなぁと、その美学に共感する部分もあったのですが、当時の私の気分としては、

 

「それはわかった。…だから、その先をみせてくれ!」

という思いの方が強かった。

 

 

「ハード・コア」の連載が始まった1992年。

 

私は一浪の末、晴れて大学生となった。

大学に入った私がまず真っ先にしたのは「自分の居場所づくり」だった。

あの高校時代の失敗を二度と繰り返すまいと、今回はとにかく自分に合った文化系のサークルを探して入り、さらに保険としてもう一つ別のサークルも掛け持ちして、大学での自分の居場所を固めた。

 

おかげで気のあう友達もすぐに見つかり、彼らと毎日、毎晩のように遊びまわった。

みんなで集まって飲み会をして、カラオケ行って、その後ファミレスで好きな漫画や音楽や映画や文学や美術やなんやかんやとりとめなく朝まで語り合ったり、夜の京都の街をひたすら徘徊したり、深夜いきなり和歌山の白浜までドライブしたり、六甲の夜景を見にいったり。

仲間たちと全国あちこちへ旅行へも行ったし、私が今でも旅行好きで山登ったりキャンプしたりダイビングしたりするのもこの頃の経験があったからだ。

他にもバンドやったり、同人誌を作ったり、残念ながら映画は撮らなかったが、今みたいに安いカメラとパソコンがあったら絶対やってただろうな。

あいかわらず女にはモテなかったが、とにかく、大学の勉強など全くせずに、ひたすら毎日寝る間を惜しんで遊びとバイトに明け暮れる、いわゆる『モラトリアム』な楽しい大学生活を謳歌していた。

 

そんな日々を過ごしていた私はもはや、いましろ的”四畳半”の住人ではなくなっていた。

だから右近や牛山たちの疎外感や、彼らを抑圧するものの存在や、そこから解放される”エクソダス”について、頭では理解できても、実感は伴わなかった。

 

私が”四畳半”から脱出する方法として選んだのは、

まず、日々仲間たちとつるんで自分の中にある疎外感を解消すること。

そして、好きなことを手当たり次第にやって、一つのことにこだわらないようにすること。なにかに拘泥することは、他のより良い選択肢を失ってしまうことになる。

人間関係でも、サークルを掛け持ちしてそこに”所属”はしても”帰属”をしないように、あちこち行き来できる環境を作ること。どこかに帰属してしまうと、その檻に閉じ込められて自由を失ってしまう。

 

それは、当時流行のポストモダンで言うところの”スキゾ”的脱出法とでも言うか、ズレて、逸らして、逃げまくる。そんな自分なりの”エクソダス”を実践していた。

 

だからそんな当時の私としては、”脱出”それ自体ではなく、

「脱出をしたその先の光景を見せてくれ」

というのが正直な感想だった。

 

楽しい大学生活を過ごしていながら、常に背中につきまとう不安の影が、少しづつ日増しに大きくなっていくのを無意識のうちに感じていた。

”脱出”と称して人間関係からも、自分自身からも付かず離れずの距離で逃げ続けて、その行き着く先がどこにあるのか、私には皆目見当がつかなかったのだ。

 

 

やがてその不安の影が限界まで膨らんで破裂する時がやってきた。

 

1995年。

1月に「阪神淡路大震災」が発生。

そして3月には「地下鉄サリン事件」

 

日本列島を揺るがす大事件が立て続けに起こったこの年の春。

私は大学4回生となり、その先の進路を決めなければならなかった。

 

就職するか、それとも……。

この時ついに、それまで目を逸らし逃げ続けてきた「現実」を突きつけられることになった。

 

この大学生活において私は、何ひとつとして実績をあげることができず、何の技量も身に付けられなかった。

勉強もせずにひたすら遊んでいただけ。

自分の将来につながるものを一切手にすることができていなかったことに気づいた。

 

その原因は私の”エクソダス(脱出)”にあった。

私は”エクソダス”の本当の意味を理解していなかった。

私のそれは、単なる”逃避”にすぎなかったのだ。

 

「一つのことにこだわらない」といえば聞こえはいいが、一つのことを突き詰めないで、どんな成果があげられるというのか。

凡人がそんなことをやっても全てが中途半端になるだけなのは火を見るよりも明らかなのに、色々やってりゃいずれ何かの才能が開花するなんてありもしない可能性を盾にして、結局努力しない自分を誤魔化していただけだった。

つまりは全身全霊をかけて努力した結果が報われなかったときの絶望を恐れて、予防線を張っていただけだったのだ。

 

人間関係においてもそう。

結局は人に裏切られるのを恐れて、あんなに親しくしていた仲間たちの誰にも心の奥底を見せることができず、深い信頼関係を築けなかった。

だからこの後、サークルの仲間同士でいざこざが起きたとき、それを引き止めることができずに空中分解してしまうことになる。

さらにもうひとつのサークルの方も恋愛沙汰で居づらくなったりして、

私は気がつけばまた再び、自分の居場所を失っていたのだった。

 

あんなに同じ過ちを繰り返すまいと誓い、今度はうまく立ち回って、あの孤独な”四畳半”から抜け出したといい気になっていたら、とんでもない。

『モラトリアム』という夢の魔法が解けてしまえば、そこは元の”四畳半”のまんま、あの狭苦しい空間をネズミみたいにひたすらグルグル逃げ回っていただけだったなんて、ホント笑えない話だ。

 

この事実に打ちのめされた私は失意のうちにも、慌てて就職活動を始めるものの、それこそ逃げ回るネズミの描く軌跡みたいに支離滅裂な私のエントリーシートでは全戦全敗。

見事に就職活動も失敗に終わり、まったく行くあてもないまま大学を卒業してしまうのでした…チーン

 

 

 

何がこのような結果を招いてしまったのか?

それは私がとんでもなく「アホ」だから。

…と言ってしまえばハイ、それまでよ、なのでゲロー

アホはアホなりに何とかしようがあったんじゃないかと、今更ながら振り返って考えてみれば、あの時の私に足りなかったのは、やっぱり、

 

”ジャスティ”

 

だったんじゃないだろうか。

 

等身大のおのれを偽ることなく、ただ純粋に自分の信じる”正義”を貫き通す生き方

 

あの頃の私は自分を疎外したり抑圧しようとするものの存在を怖れるあまり、まず自分自身から目を逸らし、その輪郭を曖昧にすることで、相手からも見られないようにしていたように思う。そして”自由”という名の予防線を張り巡らして、相手の力をうまくかわし、どこまでもすり抜けられると信じていた。

だが、実際にはその張り巡らした予防線にがんじがらめに縛られて身動きが取れなくなり、気がつけば自分の中が空っぽになっていた。

完全に”ジャスティ”を見失っていた。

 

だが、一方で”自我”や”信念”、”正義”といったもの、まさに”ジャスティ”こそが、疎外や抑圧を生む元凶である、というのも真実である。

特に強固で独特の”ジャスティ”の持ち主は、他者から理解されがたく、排斥の対象となりやすい。

個々人の”正義”ほど千差万別で立場ごとに対立が生まれ、受け入れがたいものはないだろう。

 

 

ハード・コア」の主人公、権藤右近はあまりに純度の高い”ジャスティ”を持つがゆえに、世間から疎外され、味方からも裏切られ、どうしようもないところまで追い詰められてしまう。

 

暗く湿った”四畳半”で、孤独におのれの”ジャスティ”の刃を研ぎ澄まし続ける右近。

自分を疎外し抑圧する世間に向かって、その鋭い刃を突きつけるために。

 

しかし刃を向けたその瞬間に、世間は圧倒的な力で彼を抹殺しようとするだろう。

世間は秩序を乱す反逆者を絶対に許さない。

絶対にハッピーエンドは訪れない。

 

私はこうなるのが嫌だった。

だから一刻も早く”四畳半”から抜け出したかったんだ。

 

 

だが……いや、抜け出すのはこの腐りきった”世間”からだろう?


いや…そうじゃない。

本当に抜け出すべきは、自分で自分を閉じ込めている、その「自意識」だ。

厚く硬くおのれを覆う、その“自意識の壁”から“エクソダス(脱出)”するんだ!!

 

その気になれば「俺たちは空だって飛べるんだ

 

 

 

だから見せてみろよ お前の”ジャスティ”を

 

 叫んでみろよ お前の”ジャスティ”を

 

  口下手だったら 言葉でなくたって構わない

 

   絵だって 音楽だって なんなら口笛や手拍子だって

 

    何だって構わない

 

   だから踊ってみせろよ お前の”ジャスティ”を

 

  うちふり回せ お前の”ジャスティ”を

 

その研ぎ澄ました刃は 厚く硬く覆った

 

  お前の孤独を打ち破るために あるんだぜ

 

 

  今こそ こんな時代だからこそ必要なんだ

 

   俺たちの”ジャスティ”

 

    俺たちのコミュニケーション

 

 

   お前の”ジャスティ”は何色だ?

 

     見せてみろ ”ジャスティス”

 

 

 

 

そうとも、そうでなきゃいけねぇ…………

 

 

 

                               おしまい!グラサン